第58話 帰りの支度

 庭園での一騒動が終わり、様々な残処理と取り決めが進んでいく中、瑠衣は帰りの食材調達の為、翔とともに街へ買い出しに来ていた。


 ローランド一のスラム街を持つヨルデは、一つ道を誤ると治安はあまりに良くないらしく、そこは再三の注意を受けたが、城下にある港町は流石の賑わいを見せていて、様々な特産品が立ち並んでいた。


 レナルドの助言を元に訪れた、こだわりの新魚のみを扱うという魚屋には、瑠衣の好物である海老や蟹が存在感を放っていて、自然とテンションが上がる。


「兄様、見てください。こんなに立派な海老見たことないです。美味しそうですねっ。」

「本当にデカいな。買っていくか?」

「いえ、まさか。いくらなんでここんな高価なもの買えませんよ。」

「食事は瑠衣が任されているんだ。瑠衣の好きな物を買ったとしても、誰にも文句は言わせない。それにどうせ金は雇い主あっち持ちだからな。好きにしていいぞ。」

「もう、そんな事言って・・・駄目ですよ。いいんです。私はこの綺麗な海老さんを眺めているだけで幸せなので。・・・それより、兄様は食べたいものありますか? 出てくる前に、他の皆さんには聞いたのですが。」

「食べたいもの、か・・・焼いた海老はどうだ?」

が食べたいものです。」

「なら、焼いた海老だな。」

「残念ですが予算を超えてしまいます。」

「では、足が出た分は自費で・・・そうか、俺が瑠衣に買ってやれば、お前が独り占めしても問題ない。」


 まるでそれが得策だとでも言いたげに微笑んだ翔は、その勢いで本当に瑠衣の好物を買い占めそうだったので、それはなんとか止めて、強引にその腕を引く。


「あ、ほらこちらに兄様のお好きな干物売場がありますよ。これにしましょう。珍しいお魚もたくさんありますね。どれがいいですか? あ、試食させてくださるそうです。 行ってみましょう!!」


 鮮魚売場に翔が戻らないように、しっかりと腕を抱えたまま干物の試食をさせてもらう。

 気のいい店主のおじさんが、いくつもの干物を網で焼いて食べさせてくれた。


「どうしましょう、全部美味しいです!」

「そう言ってくれると嬉しいよ。どれもうちの自慢の商品だからね。ホラ、これも

 食べてみてくれ。」

「はぁ・・・せっかくなのでこの辺りでしか捕れないお魚にしようかと思ったのですが、食べ慣れてるはずのものも味が全くが違いますから、この味はここでしか味わえないでしょうし・・・悩みます!!」


 本当にどれも美味しくて、選ぶのはかなりの難題。

 しかも瑠衣が頭を悩ませる横で、店主はまた違う魚を焼いてくれるから、永遠に答えは出ない気がした。


「俺はこれが気に入った。だが、史郎だったら向こうの魚を好むだろう。他の奴らの好みはお前のが詳しい。」


 悩み続けていると、翔が助け船を出してくれる。


『そうだった。食べる人を第一に考えないと!!』


 初心に戻って考えると、案外すんなりと買い物を終えることが出来た。


「しっかし、可愛いお嫁さんだねぇ。うちの家内にも、こんな時があったんだよ。魚一つに目輝かして、俺の魚が一番美味いって言ってた時期が。」


 品物を包みながら、懐かしそうに話す店主。

 心なしか、その言葉に翔がピクリと反応した気がした。


「ずっと腕組んで、いいねぇ新婚さんは。」

「ちちち違います、私たちはそんなんじゃな―――っ」

「あぁ、俺にはもったいないくらいの出来た奴なんだ。訳あって国では不自由させているからな、せめて羽を伸ばさせてやりたい。どこかいい場所教えてくれないか?」

「そうかい、そうかい。それならこの俺に何でも聞いてくれ。ヨルデの酸いも甘いも教えてやれる。」


 否定して放そうとした瑠衣の腕を、逆にしっかりと捕まえて、悪戯顔で「少し黙っていろ」と指を立てて笑う翔。

 そんなことをされたなら、体中の熱が、頭に上って来るのを感じながら、ただうつむくしかできないではないか。


 調子良く店主と話を弾ませた翔は、ヨルデの観光スポットだけでなく、町の情勢、売場にある魚に合うローランド流の調理法や捜している食材を取り扱っている店なども何でも聞き出してくれる。

 そして、どうしてそうなったか、最後には規格外の海老やらカニやら新鮮な魚介をお土産としていただいてしまったのであった。


「じゃぁな、あんちゃん。また来いよ。嫁さんも。」

「あぁ、世話になった。」

「あ、ありがとございます。」


 元気よく見送ってくれる店主が、あまりに良い人すぎて恐縮してしまう。

 そんな瑠衣の横を歩く翔はいつものすました顔に戻っていた。


「兄様って・・・いつもこうなんですか?」

「何がだ?」

「私、他人に対してあんなに饒舌な兄様初めて見た気がしますけど。」

「ああいう輩は、のせれば乗せるだけ情報を出してくるので、ついな。それに、少々浮ついた気でいた。すまん。見苦しかったな。」

「とんでもないです。おかげで帰りの食事に対しての悩みはすっかり無くなって、買い物もすぐに済みそうです。店主さんから色々聞いてくださってありがとうございました。」

「俺はお前に何もしてやれんからな、少しでも役にたてたなら良かった。」


 そう言って笑う翔は、もう先ほどのやり取りなど忘れているだろう。

 息を吸うように情報収集してしまう翔には、その場での勘違いすらも利用できる道具の一つなのだ。

 間違いであっても、翔のお嫁さんと扱われた事が、それを翔が否定しなかった事が、瑠衣の胸を未だ高鳴らせている事など、翔は知らない。


 むしろと気にもとめていない翔に、高鳴りすぎた瑠衣の胸がズキズキと痛み始めるのだった。




 ***




 滞りなく買い物が終わり、時間が少し余った瑠衣と翔は休憩をしようと広場にやってくる。

 魚屋の店主が絶対に行くべきだと推した広場には、大きな噴水と英雄の像、そして少しの屋台が立ち並ぶ。


『そういえば広場には【紅髪の豺狼】の銅像があるって言ってましたね・・・この人ですか・・・』


 せっかくなので、銅像を眺めてみる。

 人相悪い長髪の倭人が、今にも人を斬り殺しそうな気迫を纏って、上からこちらを見下していた。


「英雄とは・・・?」


 悪意すら感じる敵意むき出しの銅像を見上げながら、同じ倭人として、どうリアクションするのが正解なのか、その真意に困惑し、銅像の台座に書かれた文字に視線を移す。


 ―――

 虹の橋を渡り 胡蝶は舞踊る

 鳥たちはさえずり 黄昏の道を行く

 七つの星が降り 約束は果たされる

 空に小人は唄う 風にとけたこの詩を

 ―――


 そんな詩を何となく読みとって、どこかで覚えのあるものだと思ったところで、屋台を見に行っていた翔に呼ばれる。


「瑠衣の好きそうな氷菓があった」


 そう言われ、指さされた先にはソフトクリーム屋さんの屋台が。

 それもピンクと白とオレンジの3色のカラフルなソフトクリームで、二つ返事でそれを食べることに決めて屋台に並んだ。


「随分と熱心に見てたな。そんなにあいつの像が気になるのか?」

「あいつって・・・ヨルデの英雄を知り合いみたいに言わないでくださいよ。いえ、台座に書かれた詩に覚えがあったんですけどね、聞いたことがあるなぁと思って。でも、不思議なんですよ。最後の歌詞が、私が知っているものと違うんですよ。」


 ぼんやりと頭の中に響く誰かの歌声。

 それはゲームの中ではなく、瑠衣として生きてきた記憶の中の一部。

 だから翔に訊ねてみたが、そもそもそんな歌は知らないと返されてしまった。


「はい、お待たせ。落とさないように気をつけてね。」


 そんな会話をしているうちに出来上がったソフトクリームを受け取る。

 ベンチに腰掛けて、翔と2人でそれをつつきながら、『これって恋人みたい・・・』なんて気づいて早くなる鼓動と熱くなる頬に、瑠衣が冷たいソフトクリームをかきこんでいると、ソフトクリームの屋台の店員がそっと寄ってきて話しかけてきた。


「やぁ、うちのソフトクリームは口にあったかい?」

「はいっ。とても美味しいです。倭ノ国でも是非売って欲しいくらい。」

「いいねぇ。私は常々倭ノ国に行ってみたいと思っているんでね、励みになる。 ・・・ところで、あんたさっき英雄像の台座の詩の話をしていただろう? あんたが知ってる歌詞はどんなやつだい?」

「えっと・・・『いつかあなたに捧ぐ 桜色のイリス』だったと思うんですけど・・・」

「やっぱりそうかい!! 倭人がその詩を知っているとは嬉しいねぇ!!」


 全面に喜びを押し出した店員が握手を求めてきたので手をあわせると、握られた手がブンブン振り回された。

 おかげで落ちそうになるソフトクリームを翔が支えてくれる。


「あの歌は昔からある子守歌。あんたの知っている詩はその替え歌さ。かの英雄が恋仲だったイリーネ様に贈った約束の詩。イリーネ様は、倭ノ国の桜が好きだったそうでね、国花であるイリスも桜色にしたいと言っていたらしいんだよ。そこで英雄は颯爽とその手をとり、その詩を替えて歌ったのさ。」

「イリーネ様って?」

「イリーネ様は当時のヨルデの領主様の一人娘でね、素晴らしい絵の才を持つ美しい方だったそうだよ。あの像はイリーネ様がなくなった後、伴侶だったトラウ様が建てた像なんだ。お二人がこのヨルデを治めていた頃は、争いこそあったが、貧民街なんてない、領民たちが支え合う暖かい領地だったと祖父がよく言っていた。」

「英雄さんとイリーネ様は添い遂げる事はなかったんですか?」

「そりゃぁね。いくら英雄でも異人が領主にはなれないだろう? だからこその約束だったと私は思うね。まぁ、未だにこの世に桜色のイリスは存在しないんだけど。それに、こんな話を知っている人間はもうそう多くない。今のヨルデにとっちゃ【紅髪の豺狼】なんてもう過去の産物さ。それでもね、私は信じているんだよ。あの英雄は、いずれ約束を果たすんじゃないかってね。」

「お好きなんですね。【紅髪の豺狼】様が。」

「あぁ。ヨルデを救った名もなき異国の英雄。格好いいじゃないか! ま、今じゃ変わり者っていわれちまうけどね。だから倭人のあんたが、英雄の残した詩を知ってる事が嬉しかった。英雄は、ヨルデをイリーネ様に約束の詩を贈った後、倭ノ国へ帰ったと言われているんだ。もしかしたら、あんたにその歌を歌ったのは英雄の子孫かもしれないよ!」

「成程・・・。でしたら、私もこの詩を忘れずにいようと思います。」

「あぁ。是非そうしておくれ。よし、そろそろ戻るわ。話せて良かったよ。まぁなんだ、ヨルデを楽しんでいってくれ。」


 そういって、店員は屋台へと戻っていく。

 それを見送りながら、瑠衣の頭の中は様々な出来事がかすめていた。


「史郎さんだった気がします。私にあの詩を唄ってくれてたの。」

「あぁ。俺に覚えがないんだから、必然的にそうなるだろ。」

「・・・史郎さんって・・・」


 だけどその先は、言葉にしてはいけない事のような気がして瑠衣は首を振った。


「史郎は・・・史郎だろ。それ以上でも、それ以下でもなく。・・・史郎だ。」

「そうですね。史郎さんは史郎さんです。私もそう思います。・・・それより兄様、私、大切な事を思い出しました。」

「何だ?」

「ちゃっかりソフトクリームなんて食べてのんびりしてましたけど、今お仕事中でしす! ・・・急いで帰りましょう!」

「どうせ戻っても気まずい思いをするだけだ。なら、そんなに急がなくたっていい。」

「あ・・・」


 そうなのだ。

 一連の出来事の中で瑠衣が行使した魔法が、実は少しの波紋を呼んでいる。

 特に、仮にも術師でもある萌生は、瑠衣の魔法が常軌を逸していることを理解してしまっているのだ。

 才能の一言では片づけられないわだかまりは、見えない壁となって2人の間に立ちはだかってしまった。


 勢いで立ち上がってみたけれど、再び翔の隣に腰を下ろす。

 翔が預かってくれていた食べかけのソフトクリームを受け取り、今度はそれを、ゆっくりと味わいつくした。


「美味かったか?」

「はい。とっても! 蘭子さんにお願いして、菓宝堂かほうどうでのお品書きに加えてもらいたいくらいです。パンケーキにのせても、絶対美味しいですよ!!」

「相当気に入ったんだな。良かった。」

「はい! ・・・では、そろそろ・・・」

「そういえば、向こうに城へ続く散歩道があると言ってたな。せっかくだし、そこへ行ってみるか。」

「え・・・でも」


 いよいよ、帰ろうかと思ったが、翔が遮り別の提案をしてくれる。

 それは、賑やかな商店街を少しはずれた、落ち着きのある遊歩道。

 魚屋の店主が教えてくれた、最近流行のデートスポットだ。


「散策の相手が俺では不服か?」

「とんでもないです!!」


 不服なはずがない。


『・・・むしろ、光栄です』


「ん? 何か言ったか?」

「い、いえ、何も。」


 声に出ていたかも知れないと、慌てて口を塞ぐ瑠衣を不思議そうに見ながら、「では行くか」と立ち上がった翔が手を差し出してくれる。

 その手を取って、瑠衣もさっと立ち上がり、2人並んで歩き出す。


 日が傾き始めた散歩道では、カップルたちが思い思いに散策を楽しんでいた。

 その姿は、誰もが笑顔で楽しげだ。


 そんな中を、瑠衣と翔も手をつないだまま、仲睦まじく歩いていくのだった。

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