第23話 始まり

 草原の上で倒れる神龍の隣で青年が膝を付く。


「はぁはぁ・・・・・・」


 言葉通り、全てを出し尽くした。

 まともに大剣を振るえる力は残っておらず、身に纏っていた闘気も拡散してしまっている。


「ククッ、我に勝る生物がいるとは。これ程愉快なこともない」


 胸部から上だけしかない体で神龍が笑う。

 倒れた状態で視線だけを青年に向ける。


「英雄よ、貴様の名を聞きたい。人の身で神を殺した者の名だ、あちら側でのいいネタになることだろう」


「名は、ない。別段必要ではなかったから」


 まさか死の間際に名前を聞かれるとは思わなかったが、必死に呼吸を整えながら青年は答える。


「むっ、それはいかんな。我を退けた傑物に名がないなどというのは看過できん。それに、これからに必要となるはずだ」


 しばし目を瞑り、ふむと頷いて口を開く。


「フォルナはどうだ?」


 問い掛けの意味が分からず青年は首を傾げる。


「名だよ、貴様の名だ。ないというのなら我が貴様の名付け親となろう」


 名前というのは本来は肉親が赤子につけるものだ。

 その名に意味を持たせたり、将来を望んでつける儀式。


 青年は望まれて生まれた子供ではない。

 将来期待されず、故に、名はない。これからもそれは変わらない、そう思っていた。


「名前・・・・・・」


「貴様にはこれからがある。であれば名前は必要であろう。フォルナ、我ながらいい名前だ」


 フォルナ、世界を渡ると言われている渡り鳥【フォルナリート】から取ったものである。

 体長三メートル程度で、四つの翼で力強く飛ぶ。非常な稀な生物であることと、純白の姿から別名、【幸せを運ぶ鳥】とも呼ばれている。


「フォルナ、フォルナか・・・・・・」


 頭の中で名前を、自分の名前を反芻する。

 実感のない不確かなものを言葉に出す事で認識しようとする。


「名前・・・・・・これからは必要になるのか」


 外に出たいとは思うものの、曖昧な想像だけしかしてこなかった。

 想像だけだったものが、名前という確かな形で一歩進んだ現実に、ようやく青年は一つの区切りがついたことに気付く。


 己にはまだ生きる道が残っている事を、脳の片隅に追いやっていたなにかが顔を出す。


「外の世界は、どんなところなのだろうか?」


 大きな変化への戸惑い、一歩飛び出す事の僅かな恐怖。


「それを今から見に行くのだろう、貴様のその目で」


「・・・・・・そうか、そうだった」


 同じ事を師匠も言っていたなと、フォルナは笑みを浮かべながらあの大きな背中を思い出す。


 ふと、神龍の体が淡く光っている事に気付く。


「そろそろ時間だな」


「逝くのか?」


「数千の年月。我はもう十二分に生きた。これからは・・・・・・しばらく休ませて貰おう」


 静かに目を瞑り、穏やかな表情で言う。徐々に神龍の体が半透明になっていく。


 その身は神への領域に踏み込んだもの。通常の生物とは違い、死と共にその体は世界から消滅し次の顕現時の礎となる。


「フォルナ、貴様を外壁の外に送ろう。この都市に染みついてしまった呪いはまだ根強く残っている。新たに生まれるであろう異形を結界で閉じ込めておかねばならんからな」


 フォルナが都市内部の魔物・異形を一掃したとして、呪いによって変質した都市を根元からどうにかするか、時間経過による呪いの自然消滅のどちらかがなければ異形はまた生まれてしまう。


 今は結界で閉じ込めておくしかないと神龍は言う。


「我が死んでも結界能力はある程度は続く。貴様はさっさとこんな場所から離れるべきだ。後の事はどこぞの国がなんとかするだろう」


 フォルナの足元に外に転移する為の魔方陣が現れる。

 一歩踏み込めばすぐに外へと出れるであろうそれを一瞥して、フォルナは神龍に視線を戻した。


「・・・・・・どうした、早く行け」


「ああ、だが、最後に感謝を伝えたくて」


 フォルナの台詞に神龍は疑問符を浮かべる。


「理由があるとはいえ、あなたが大勢の市民を殺戮した事実は変わらない。大勢にとってあなたは憎むべき敵として覚えられるだろう。でも、俺にとっては、毎日ただただ呼吸を繰り返すだけで、死んだように生きていた俺にとっては他者の死は関係ない」


 どれだけ絶望に叩き落とされたかは数えきれない。

 ただ、それでも、それを越えた今がある。


「だから、俺の人生を変えてくれたことに、師匠と逢わせてくれたことに、名前をくれたことに。その事実に俺は感謝したい。本当に、ありがとう」


 慣れない笑みを浮かべ、フォルナは魔方陣に足を乗せる。

 その姿が消えると、神龍はフッと微笑を漏らす。


「弔鐘の代わりに感謝の言葉というのも悪くない」


 徐々に体が消え、意識が希薄になっていく。


(ようやく・・・・・・待たせたな、我が友よ。久方ぶりに喋り尽くそう)


 視界の端で人型の二つの影が見え、懐かしさに目を細める。

 全てが淡い光となり、神龍は消えた。




・・・・・・


 匂いがした。死臭ではなく、透き通った空気の匂い。

 風が吹く。遮られることの無い自由な風が。


 フォルナが顔を上げる。

 そこにはいつも見ていたものが高く聳えていた。

 都市を守る城壁。厄災の後は檻となっていた城壁。いつもと同じそれだが、見え方が違っていた。


 外壁の凸部分が前面にきて続く壁が前方に伸びている。


 恐る恐る、フォルナは振り返る。


「・・・・・・」


 言葉は出なかった。

 ただただその光景に圧倒された。


 視界を遮るものがなにもない。

 どこまでも、どこまでも草原が続く。

 不意に風が吹き、巻き上がった草がフォルナの頬を撫でた。


「・・・・・・ッ」


 徐々に動悸が激しくなるのを押し留め、フォルナは都市に向き直る。


「ありがとう、ございました」


 万雷の想いを込め、言葉を紡ぐ。


 望んで生まれた訳ではない。

 それでも、五体満足に産んで抵抗の余地を与えてくれた両親へ。


「あなたがいなければ、今俺は生きていない」


 十余年。

 少年だった彼を一から育て、生きる意味を与え、進む道を照らした師へ。その大きな姿が、どれだけ心強く少年だった頃に精神的支柱になっていたか。いくら感謝しても出し切る事など不可能だ。


「俺に、想いを託してくれて、ありがとう・・・・・・」


 不屈の意思を決して曲げず、たった一人で神龍を守っていた騎士。

 大剣の柄を強く握り、騎士の姿を強く思い出す。この神器がなければ神龍に対抗するには随分と厳しかったと言わざるをえない。


「俺に名を、この世に存在しているという証をくれて、ありがとう」


 まだ、その姿は声は力は、鮮明に記憶に残っている。

 正しく頂きの存在。数多を圧倒し、最強として君臨し続けた龍。威風堂々、荘厳な様は真に上に立つ者としてどうしても魅了された。


「ありがとう・・・・・・ございました・・・・・・ッ!!」


 たくさんのものを受け取った。

 二十年前には何もなかったはずの彼は、今は心の底から誇れる唯一無二を握りしめ、都市の外に立っている。


「くっ・・・・・・」


 体を自由に操作できるはずなのに、両目から溢れ出た涙がどうしても止まらない。

 頬を伝い、地面に吸い込まれる。腕で涙を拭い唇を震わせながら耐える。


 最後にもう一度強く頭を下げ、勢いよく体を起こす。


「行ってきます!」


 大剣を肩に担ぎ、フォルナは都市に背を向ける。


 もう振り返る事はしない。

 これからは自由なのだ。いつか師匠に話したように、世界を見に行く。


 旅の後、いつか面白い話を今度は自分が師に話す番だと意気込みながらフォルナは草原を駆けだした。


 ここまでが、世界を大きく揺るがす存在の。

 最強に至るまでの、長い長いプロローグである。

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