第12話 魔眼
「あれにするか」
「あれ、ですか」
師に連れられ、手ごろな魔物を探していた少年。
数分程で目的の相手を師が発見した。百メートルほど離れた地点からそれを確認する。
それはかなり人の形に近い姿をしている。
ただ、腕が四本あり、目も六つの多眼であった。
加えて、異常なまでに発達した肉体。脂肪のようなものは全くない。血管が浮き出ており、体の表面を不自然なオーラが覆っていた。
「ありゃ闘気だな」
「あれが・・・・・・」
「この都市に現れる魔物は本当に面白い。あれは新種だぞ。階級としてはSってところか」
闘気、以前に聞いた話では肉体を超強化するものだと言っていたなと思い出す。
どれ程身体能力が上昇するのかまだ分からないため、眼前の魔物の脅威を計りかねる。
「丁度いいな。闘気の習得にしてもどんなものか体験しておく方がやる気も出るだろ」
「そういうものですかね」
「そういうもんだ。まあやってみな。見た目はごついが俺と比べれば数段格下の相手だ」
「はい」
【生道世界】の対象を師匠と魔物にし、発動と同時に異界に移動する。
崩壊する前の都市の中、俺はその場から飛び上がり、立ち止まっている魔物の前に舞い降りた。
『・・・・・・』
「でかいな」
身長は二メートル半、上部からの攻撃が厄介だろう。
警戒する少年の前で、四つ腕の魔物は左の拳を前に出し、右腕を引いた。重心も落とし、少年を見据える。
(こいつ、技を使うのか)
知性が弱く、思うがままに暴れていた今までの魔物とはなにか違うタイプの相手に一瞬驚くが、すぐに気を持ち直し、少年も構えをとる。
それは一見構えのようには見えない。腕を脱力させ、重心だけ下ろした状態。瞳だけが鈍く輝く。
初手は、魔物が動いた。
踏み込みで地面を破壊し、弓なりに引いた二本の右腕を振りかぶる。
(速いな)
想定との誤差を確認し瞬時に修正する。
体を右に流す事で攻撃を回避し、そのまま相手の懐に踏み込む。そして下から突き上げるようにして魔物の顎目掛け掌底を放った。
(かったいなぁ)
しかし、顔が少し上がった程度で掌底の威力は封殺される。
一瞬隙を見せたところを、四つ腕を抱き込むようにして捕らえようとする魔物の下に体を逃す事で避けると、一度距離を取って思考に入る。
初手の移動、そして掌底の際に少年は不自然なオーラ――闘気の揺らぎを感じていた。
移動の際は脚に集まり、先程は顎の当たりに闘気が寄せられていた為に攻撃が通用しなかったのだ。
【衝撃波】を使用していなかったとはいえ、本気の攻撃。それが通用しないとなると、現状で闘気の壁を突破するのは難しい。
しかし、闘気が収束されるのと同時に別の場所は薄くなっているようにも感じた。狙うならばそこしかないだろう。
「ふぅ」
息を整えて意識を極限まで集中させる。
今の身体能力がどれ程か確かめるためにも、なるべくスキルは使用せずに打倒するため、脳内で枷を付ける。
「行くぞ」
重心を落とし、体を前面に倒しながら前の足の力を抜くと同時に後方の足で押し出す。
師の見様見真似の歩法だ。あの異次元の速度とは比べるべくもないが、それでも一瞬視界から姿を外す程には速い速度で魔物に迫る。
魔物の眼前で左足を踏み込み、顔の側面目掛け右の拳を振るう。
そして先刻の攻防同様に闘気の移動を察知した瞬間に、少年は攻撃を急停止、体全体を巻き込むようにして左に回転すると、右肘で魔物の胸部を穿った。
『ガッ・・・・・・!』
骨を粉砕する感触が肘を伝う。
よろける魔物の顔側頭部に裏拳の追撃をかけ、のけ反ったところに追い打ちをかけようとした時、魔物の六つの眼が一斉に少年に向けられた。
嫌な予感に後退しようとするが、少年は自分の足が動かない事に気付く。
(これは、魔眼かッ!)
魔眼。
それは魔力を通す事によって、多種多様の事象を引き起こす眼を指す。
“相手を石化させる”“遠くのものを見通す”などがあるが、少年の対峙する魔物の魔眼能力は、“相手の体の空間固定”であった。ただし、一定の力を保有する少年に対して効果が薄いのか、体全身ではなく、足のみに効果が働いている状態だ。
とはいえ、敵の前で立ち止まるというのが危険でない訳がない。
上体を戻した魔物が腕を振りかぶる。
拳には可視化出来るほどの膨大な闘気が収束され、それが少年目掛け撃ち放たれた。
直撃の瞬間、少年は腕を十字に交差させて防御するが、拳の衝突と同時に、ゴキッと鈍く骨が折れる音が響く。
衝撃は体全身を通じ、足の固定が解けると、少年は地面を抉り民家を倒壊させながら後方に後退する。遠目から見れば、進路上の家屋が空を舞っているのがよく見え、師は少し眉を寄せる。
「凄まじいな、これが闘気か」
数百メートル離れた地点まで後退させられて尚、少年は防御の姿勢を崩さずその両足で立っていた。地面は屠れ、引き摺った足の後がくっきりと出ている。
しかし、この大火力を正面から受けて無傷という訳にはいかず、防御した右腕が青く腫れ上がっており、骨がずれているのが分かる。
(右腕は使い物にならないか)
左手で患部に触れ強引に元の位置に骨をずらすと、少年は右腕を脱力させて左だけで構える。
時間を待たずして敵が疾走し少年の元に辿り着く。
お互いの姿が視認できたところで、少年の姿が掻き消えた。
次に姿を現したのは魔物の背後。
(今の身体能力は把握した。もう十分だ)
【影の王】を用いての高速移動。更には長年積み重ねてきた気配操作で、一瞬ではあるが魔物は少年の姿を完全に見失う。
少年はがら空きの背中を左拳で殴打する。
魔物は即座に背後に振り返るが、そこには既に少年の姿はない。
「もう、お前が俺を見る事はない」
背後の声に反応するも、またしても少年の姿はなく。
魔物は周囲から不定期に聞こえて来る足音に翻弄される。
見えないが確かに感じる敵の存在に、魔物は地面に座り、二本の腕で体を斜めに倒す事で周囲の全てを確認しようとした。
闘気が前面に集中している事は、魔物でさえ思考の片隅になかったかもしれない。
ズシャッとなにかを切り裂く音が響く。
魔物はゆっくりと己の胸元を見ると、大剣の刃先が胸元から突き出しているが分かった。
そして視界が反転する。反転する視界の中、首が無くなった己の胴体と、剣を振り抜いた状態の敵の姿を朧げに視認し、魔物は息を引き取った。
魔物が死んだことを確認すると、軽く息を吐く。
簡単に倒せたように見えるかもしれないが、これは一年間修行し続けた技術が綺麗にはまったからに過ぎない。魔物の身体能力が少年よりも上であった事に変わりはなく、もう一手選択を間違えば死んでいただろう。その事を最も理解している少年は更に技量の上昇をしなければと考える。
新しいスキルがあればもう少し戦闘に幅が持たせる事が出来るだろうかと己のステータスを確認する。
「ッ?!」
そして、戦闘中にも見せなかった絶望の表情で地面に崩れ落ちる。
「お疲れ~って、どうしたよおい?」
「れ、練度が・・・・・・敏捷と筋力が、下がりました・・・・・・」
「あぁ、成程、レベルが上がったか。許容値が増えたんだろ、レベルが低いうちはよくある事だ」
「よくある、ですか」
死ぬほど特訓して尚、練度の鍛錬が足りない事実に少年は立ち上がれず足をガクガクと震わせる。師は言った、特訓と平行して魔物の狩りもすると。となると、練度を下げない為に訓練がより凄まじいものになるのは想像に難くない。
「拙い部分は多々あるが、まあ及第点だ。それで? 闘気を見てどう思った」
「そうですね・・・・・・あれは並みのスキル以上の価値があります。是非習得したいですが」
「そうだろうそうだろう! はっはっは! ――じゃあ、それも並行してやるか」
「ッ?!」
少年は遅れて自分の失言に気付く。
もう少し濁した言葉であれば未来が変わったかもしれないが、少年自身が『やりたい』と言ってしまった事で、鍛錬に有無を言えなくなってしまった。師の顔を見れば嫌らしい笑みを浮かべており『計画通り!』とでも言いたげである。
ここでもし言葉を訂正しようものなら、更に悲惨な未来が想像できるため、少年は梅干を嚙み潰したような表情で唸る。
「くっ、うぐぐ」
「学べ学べ。外に出れば、強さだけが全てではなくなるからな」
豪快に笑う師の姿を見ながら、少年は立ち上がる。
・・・・・・
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」
数時間後、一日の訓練を終えた少年が地面に寝ころんでいた。
「お疲れさん。汗流してやろう」
宙で指をなぞるように振るうと何処からともなく大量の水が現れ、バケツをひっくり返すように少年に降りかかる。
「ふぅ・・・・・・」
ずぶ濡れの体をそのままに、髪だけかき上げると、少年はすぐに立ち上がる。
「本当に回復速度が早くなったな」
「骨折はまだ完治してないですけどね。それで、闘気の鍛錬とはなにをするのでしょうか?」
「そうだな。まずは闘気の存在を感じる所から始める。座禅してみな」
師に言われるままその場に座禅する。
「目を瞑り体内の力を感じろ。僅かにだが身体機能以外のなにかを感じるはずだ」
少年は目を瞑り、体の内部に意識を向ける。
極限まで研ぎ澄まされた感覚は、心臓の鼓動、血管を流れる血の動き、筋肉の収縮まで認識する。ただ、それ以外にはなにも分からない。
「どうだ、分かるか」
「いえ、それらしいのはなにも感じないです」
「その集中力で分からないんじゃあ、才能はねえな」
師はあっけらかんとそう言い切る。
あまりにも堂々とした宣言に少年は僅かに頭を垂れる。
「落ち込むところじゃねえぞ? 才能がないから出来ない訳じゃないんだ。変に自信を持たなくて済むのだからむしろ喜んでいい」
「そ、そんなものでしょうか?」
「ああ、才能なんてちっぽけなもんは幾らでも努力でひっくり返る。この世は驕った者が負けるのさ。ほら、何時間掛かってもいいから続けな」
「・・・・・・はい」
結局、その日は闘気の存在を感じる事は出来なかった。
ほぼ同格の魔物を狩り、鍛錬も苛烈さを増す中で、闘気に気付く事は出来たのはその一週間後である。
「し、師匠! 分かりました。かなり微弱ですが心臓部の近くになにか感じます!」
「おぉ、やるじゃねえか。一か月はかかると思ってたぞ」
思わず大声で報告する少年の髪を笑いながらガシガシと強引に撫でる。
次に『それを操作できるか?』という問いに、少年は意識を集中させて闘気を動かそうとするが、振動させる事は出来ても動かす事は出来そうになかった。
「十分だ。今度はそれを動かせるように鍛錬すればいいだけの話」
「はい」
「習得するまで長そうだが、折れるなよ」
ニヒルに笑いながら言う師は、少年が途中で挫ける姿などあり得ないと半ば確信していた。こんな場所で何年も一人で生きていた怪物がこの程度の事に根を上げる訳がないのだ。
(いい目だ)
冷静で物事を俯瞰した瞳。それでいて、この一年でなにか思う事があったのか、小さい灯だが、確かな意志を感じる。
もし闘気を習得したのなら、己の剣技を教えてもいいかもしれないと、師は少年に背を向けて軽い笑みを浮かべた。
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