50――すみれから見るとこの映画はこんな物語です


 映画の撮影は順調過ぎるぐらい順調に進んでいる、何せ台詞のトチリなど失敗由来のNGがほとんど出ないのだからある意味すさまじい現場だ。


 たまに撮影が止まるとしたら、監督から『ここはもう少しこうしてほしい』というディレクションが入る場合のみ。プロの仕事という言葉はこういう状況にこそふさわしいんじゃないかと内心で思いつつ、その中に主要メンバーとして参加できている事がすごく誇らしい。私も今の所ノーミスで撮影をクリアできてるからね、台詞も全部頭の中に入ってるし。


 撮影と並行して、相変わらずピアノの練習も続いている。このスタジオには残念ながらピアノが弾けるところがないので、近くのスタジオを借りてもらって空き時間とか撮影終わりを練習時間に充てて『とにかく指が鈍らない様に』が目標だ。緒方さんはプロのピアニストさんなのでなかなか来られないんだけど、それでも3日に1度くらいは顔を見せてくれる。


 この時代の子供に対する指導方法ってまだまだ前時代的で怒鳴ったり叩いたりする指導者の人が多いのだけど、緒方さんはそんな事はしない。効率重視型とでも言えばいいのか、ピアノ歴がまだまだ若い私にもわかる様に丁寧に説明してくれるので、大体1回か2回指示通りにすれば緒方先生が求める水準の結果が出せる。『優秀なプレイヤーが優秀な指導者になれるかどうかわからない』なんて言葉を聞いたことがあるけど、緒方さんには当てはまらないね。おかげさまで、自分のピアノが上達しているのが自覚できるぐらいだもん。


 緒方さんは『みんながすみれさんぐらい理解力があればいいのにね』なんて謙遜するんだけど、私は普通にやってるだけだしやっぱり緒方さんの教え方が上手なんだと思うけどなぁ。


 それはさておき、台本をもらってようやくピアノと水泳が映画にどう関わってくるのかが判明したので、どんなお話なのか語りたいと思う。





 主人公の朝倉徹あさくらとおるは27歳の会社員、大学を卒業後入社した会社で働いて5年、部下も出来てそれなりに充実した日々を送っていた。だが忙しさから大学時代から付き合っていた彼女には振られて、仕事もミスが続いたりと良いことがまったくない日々を送っていた。


 そんなフラストレーションを酒で誤魔化しながら夜な夜な飲み歩いていると、商店街の片隅の目立たないところで占いをやっている老婆を見つけた。普段は占いなどにはまったく興味がない徹だったが、その日は気が向いて見てもらう事にした。最近まったくもって運から見放されている自分のこれからを知りたいなと思ったからだ。


 老婆はなにやら目の前の水晶に手をかざしながら、ムニャムニャと不明瞭な呪文を唱える。すると水晶が輝き、しばらくしてその光が収まると老婆が小さく笑った様な気がした。そして老婆は告げる、これからはすべてが反転して良い事ばかりが起こると。だから前向きな気持ちを忘れないで欲しいと、先程までとは違い感情がこもった声で言われ、徹はどことなく励まされた様な気持ちになっていた。


 代金を払い礼を言って立ち去ろうとした徹に、老婆は栄養ドリンクの様な大きさのビンを差し出してきた。ラベルも何も張っていない怪しげなビンだが、酒が入っていた徹は笑顔でそれを受け取って帰途に着いた。


 帰宅した徹はTシャツとトランクス姿になりベッドに入ろうとするが、その前にせっかくもらったのだからとグイッと先程もらったビンの中身をあおる。甘いようなそれでいて舌に刺さるような、なんとも言えない不思議な味がする液体を飲み干してマットレスの上に倒れ込んだ。


 まるでタイムワープしたかの様に一瞬で目が覚めた徹は、正体のわからない違和感に襲われる。モゾモゾと体を起こすと、部屋の中が妙に広く感じる。そして周りのものがいつもよりも大きく感じた。


 おかしなところはその他にもいくつもあった、身にまとっているTシャツやトランクスが巨人サイズになっている事やベッドがまるでダブルベッドのサイズになっている事。なにより昨日まで短く刈っていた髪が、何故かフサフサになっている。それどころか背中にまで伸びているのだから驚かずにはいられない。


 しばらく茫然自失としていた徹だったが、己の身体に起こった変化を受け入れきれずにパニックに陥り、慌てて電話機のところに走り寄った。電話を掛けたのは、大学時代の親友で今でも親交がある高田竜二たかだりゅうじだ。徹は自分の声が少女のものになってしまった為に竜二に信じてもらえずに電話を切られかけるが、大学時代に知った竜二の秘密や付き合っていた彼女の名前、所属していたゼミの教授の名前など思いつく限りに彼と共有している情報を話した。確かに徹と竜二しか知らない話があったのと、あまりの少女の取り乱しぶりに半信半疑ながらも竜二は会社に休みをもらって親友の家へと足を運んだ。


 チャイムを鳴らすととたとたと軽い足音がして、勢いよくドアが空いて何かが飛び出してくる。腹部に抱きついてきたのは、黒髪の女の子だった。自分の腹部にしがみついているためにつむじしか見えないが、竜二はこの子が女の子である事をなんとなく雰囲気で察していた。


「りゅうじぃ……」


 ボロボロ涙を流しながら上目遣いで竜二を見上げた少女は、間違いなく美少女だった。しかし一度も会った事がない子供が、何故自分の名前を知っているのか。たったひとつの可能性にいきついて、震える声で竜二は少女に確認した。


「お前、徹……なのか?」


 驚愕しながらの誰何に、泣きながら頷く徹。ドアの外でTシャツ1枚しか着ていない子供を泣かしているところを、ご近所さんに見られると体裁が悪いと徹を押す様に家の中へと入る竜二。泣きながら話す徹の話を聞いて、とりあえず占い師からもらったそのドリンクが怪しいとアタリをつける。まだ少しだけビンの中に液体が残っている事を確認し、蓋をしっかりと閉めて自分の鞄へとしまった。


 大学時代に探偵事務所でバイトをしていた竜二はこういうイレギュラーな事に慣れているのか、徹がベッドで涙を拭いながらしゃくりあげている間にさっさと徹の実家に電話をして母親にこちらに来るように指示を出していた。念の為に徹の会社に友人として欠勤連絡を入れ、徹を落ち着かせるために話をしたり朝食を作ってやったりしているうちに、徹の母親がやってきた。何故か後ろに5つ年下の妹まで連れている。


 竜二は幼い少女になった徹をふたりに紹介すると、母親も妹も冗談だと思いまったく信じなかった。そこでぽつりぽつりと徹が家族しか知らない事や、旅行の思い出を話し出すと段々とこの少女が徹であるという言葉に信憑性を感じる様になった。極めつけになったのは、口調や仕草が息子のものにそっくりだという家族ならではの識別方法で、どうやら同一人物であると信じてもらえた様だ。


「しかしお兄ちゃん、こんなかわいい女の子になっちゃうとはねぇ……」


「しみじみ言うな、あとどさくさに紛れて抱きしめるな。ぬいぐるみじゃないんだぞ、俺は!」


 じゃれあう兄妹をそっちのけで、竜二と母親は今後の相談を始める。このままここで一人暮らししたいという徹の要望は、もちろん却下だ。ご近所さんにはこの部屋が成人男性の一人住まいだという事は、おそらく知れ渡っているだろう。そこに小学生の少女が出入りする事になれば否が応でも目立つ事この上ない。


 それに少女の体では会社に行く事もできないし、長期に渡って欠勤する社員を同僚が様子見に来るなんて事も考えられる。何より成人男性から少女へと変貌を遂げるなんて、聞いたこともない変化が体に起こっているのだから、何かが起こった時に誰かが傍にいて不測の事態に備えるのはある意味当たり前だ。


 母親の指示で妹が手頃な子供服を駅前で買い込んできて、その間に母親が部屋の片付けをする。それが終わると徹の意見はガン無視で、文字通り実家へと連れ帰られた。竜二は仕事で知り合った研究員のツテを頼って、あの薬物の解析調査を依頼するために別行動になった。


 夜に帰宅した父親とも朝に母親達としたやりとりを再現する様に行い、なんとか息子の変わり果てた姿だと信用してもらえた。こんな形で久々の実家暮らしが始まるとは、徹もその家族も考えていなかった。


 少女の体では外出すれば補導されるかもしれないし、そうなれば事情を話すしかないが家族や親友以外は誰もこんな奇天烈な話を信じてくれないだろう。よしんば欠片でも信じてもらえたとしても、下手をすれば実験動物の様に扱われるかもしれない。それは徹としては絶対に避けたい事態だった。少女化の原因が占い師からもらった液体なのであれば、もしかしたら効き目が切れたら元に戻れるかもしれない。そんな一縷の望みを持って、徹は家の中で自ら引きこもる生活を送っていた。


 また家族や竜二も、原因を探したり占い師の行方を追ったりと独自に動いていた。父親は戸籍の取得方法や性別の変更方法など法律的な分野についてツテを辿って質問し、妹は女子大生ネットワークを使ってあの占い師についての情報を集めた。そして母はなるべく少女になってしまった息子の傍にいて、おかしな言動や突然体の変化が起こらないかどうかを見守る。


 表面上は変わらないがどことなくピリピリと張り詰めた家庭内の空気は、ナイーブになっていた徹に強いストレスを与えていた。さらにそこへ竜二からもたらされた情報が、徹を絶望へと突き落とす。


「……お前が飲んだっていうあの薬なんだが、調べてもらったところただの水だった。お前がこんなつまらない嘘をつく人間じゃない事は俺がよくわかっているから、おそらく成分が抜けたか元々時間が経てばただの水になる様な特殊な薬液だったか、可能性としてはそんなところだろう」


「もしもあの時に飲んだものが原因だったとして、時間が経てば元に戻るとかそういう可能性はあるのか?」


「大人の男が小学生の女の子に変化するには、おそらく莫大なエネルギーが必要だろう。今度は子供から大人への変化だからな、予想される必要エネルギーは今回よりも多いと思う。個人的な意見としては、お前の骨格を変化させて細胞を若返らせ、少女の体へと作り変えた時点であの薬の役目は完結してるんじゃないだろうか」


 それは時間が経過しても元の成人男性の姿には戻れないだろうという、朝倉徹への死刑判決にも等しい宣告だった。それを聞いて以降、どうにも気力がわかずに何事に対してもどうでもいいという様な態度を取る様になった徹は、日がな一日ゴロゴロと寝て過ごす日々を送っていた。もちろん竜二は家族へも同じ内容を説明していたから最初は同情からかそんな徹を責めずにいた家族だったが、さすがに2週間もそんな態度を取られていると見ている側もイライラが募ってくる。


 怒りを口にしたのは、父親だった。発破を掛けるつもりだったが自暴自棄になっていた徹から強い口調で反抗され、怒鳴り合う様な口論になった。頭に血が昇りつつもどこか冷静なところがあった父親が、徹に現在必要なものを見抜く。現状へのイライラもこれからに対する不安も、今の徹には発散するところがないのだ。何か目標を持ち、体を動かす事ができれば少しは冷静に将来さきの事も考えられる様になるのではないかと。


 ちょうど机に置かれていたチラシの束が目に入った父親は、それを手に取るとそこから2枚のチラシを徹の前に突き出した。


「お前は確かカナヅチだったよな、そして楽器も触った事がない素人だ。2ヵ月やろう、ピアノと水泳でそれなりの結果を出してみろ。もしもお前が真剣にやっていなかったと俺達が判断した場合は、お前をこの家から勘当する。施設に入るなり誰かに拾われるなり、どうにかして生きていけ」


「はぁ!? ふざけんなよ、親父! そもそもこんな体になったのは俺のせいじゃねーだろうが!!」


「ああ、お前のせいではない。だから俺も母さんも翔子しょうこもお前のためにと色々と動いているんだ。だが肝心のお前が諦めきった顔でダラダラと過ごしているのを見ると、このままの状況は絶対にお前のためにならない。例え成人男性だったお前が小学生の女の子になったとしても、お前が生きていてこれからも生きていかなきゃいけない現実は変わらないんだよ」


 最後は声を荒らげずに淡々と言い聞かせる様に告げた父親に、徹は何も言い返す事ができなかった。言い方はまるっきり喧嘩を吹っ掛けている様な雰囲気だったが、きっとあれはあれで父親が自分の事を心配しているのだと知っているから。自堕落で投げやりな生活だった事を認めて、徹はその条件を受け入れる事にした。


 その話を聞いた妹が『私ピアノ弾けるし、電子ピアノもあるからお兄ちゃんに教えてあげるよ』と手を上げたが、身内だと甘えが出るからと父親に却下された。結局母親の知人にピアノ教室をやっていた人がいて、2ヵ月だけお世話になる事にした。そして水泳も近所のスイミングスクールに勤めている母親の友達に頼んで、紛れ込ませてもらう事になった。もちろん月謝は払うし、その出処は徹の口座からだ。


 水泳とピアノを必死で練習している間にも、周囲の小学生達や出かけた先でもトラブルなどたくさんあったが、なんとか徹は家族全員に合格をもらえるぐらいの出来まで努力する。その頃には男には戻れないだろうという絶望的な結論を聞かされても、なんとかなるだろうと楽観的かつ前向きな感想すら言えるぐらいに精神的な安定感を身に着けていた。


 徹は小学生の女児として生きる決意を固め、その為に必要な事を調べるために動き出す。そこでエンドロールが流れて、その後の家族や親友竜二の生活が流れ始めてエンディングという流れだ。




 やっぱり水泳とピアノの突然の登場に違和感を覚えるよね、私も最初に台本読んだ時にすごく気になって監督に聞いてみたの。するとどうやら監督は私に練習してねって依頼した時には、小学校を舞台にした映画を撮ろうと思っていたみたい。でも現在の映画のストーリーを思いついて、路線変更したんだとか。


 せっかく私が一生懸命練習したんだし、その努力を活かしてあげたいと思ったんだって。私としてはストーリーが歪になるなら、無理に組み込んでもらわなくてもよかったんだけどなぁ。ただ費用は監督持ちでお願いします、だって監督のお願いで練習したんだから監督が払うのがスジだと思うし。


 他の役者さんやスタッフさんはあんまり気にしてないみたいだから、そこまで唐突でもないのかな? 映画が公開されて万が一観た人達から質問されたら、裏話としてこの話をしてあげようと思う。

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