閑話――松田月子の近況
「マツ、そろそろ風呂行かないとまた混むぞ」
「ああ、うん。それじゃ、一緒に行こっか」
この山の奥にある中学に入ってそろそろ半年が経つ、生徒全員が寮で過ごすこの学校はこれまでの生活とは違って色々と戸惑うところはあるけど、それなりに日常を楽しんでいた。
入学してすぐの頃は新しい環境で不安だったからか私も気が立っていたし、先生に楯突いて反省室に送られた事もある。さすがに後から考えると私も先生に対して『うるさい、黙ってろ』はマズかったと思うけど、それだけでまさか地下牢みたいなところに一晩放り込まれるとは思わなかった。牢屋みたいとは言えどさすがに本物の牢屋ではなく、地下なだけで4畳半ぐらいの何もない部屋だった。そこで反省文を何枚も書かされて、すごく面倒だった。
今声を掛けてきた子は
この学校の生徒は大体3パターンに分類される、過半数は初等部から通っている家柄もよくお金持ちな家庭のお嬢様達。次に多いのが元々は上流階級の人じゃないけど、成り上がってお金を手に入れたけど箔が足りないからと親のステータスの為に放り込まれた子達。まぁ子供達も他所よりレベルの高い教育が受けられるんだから、親子それぞれに得な部分があるのかもしれないけども。
そして極僅かいるのが、私みたいに親に持て余されて性格や生活矯正の為に預けられた人間。私達は言うまでもなくこの学校の最下層だと思われていて結構風当たりは強いけど、与えられた課題をこなして生活態度を取り繕いさえすれば悪目立ちもせず空気みたいに扱われるから楽だ。入学してそろそろ1学期が終わろうとしているのだから、それくらいの処世術は身につけている。
その取り繕い方が地元で出来ていれば、こんな学校に入れられる事もなかったんだろうにね……まぁ無理か、少なくとも地元じゃこんなにも落ち着いた気持ちではいられなかっただろうし。
着替えとかバスタオルとか、必要な物を持って大浴場へと向かう。金持ち学校だからか、ここのお風呂はめちゃくちゃ大きい。でも混雑する時間になるとまるで芋洗い場みたいになるので、私とスギさんはなるべく早い内に入浴を済ませる事にしている。
「それにしても、マツは痩せたよな。最初はこーんなにプクプクしてたのに」
脱衣所で服を脱いでいると、先に素っ裸になったスギさんが私の腹回りをラ・フランスみたいに膨らんだ感じに手で表現する。冗談でもなんでもなく、入学してからしばらくはそれくらい膨らんでたんだから怒るに怒れない。
「ここの生活であの体型を維持できる人なんていないでしょ」
ため息をつきながら答えると、スギさんは『それもそうか』と笑った。その笑顔につられて私も苦笑を浮かべると、タオル1枚だけ持って浴場へと向かう。この学校はお風呂もルールが厳しく決められていて、先に頭と体を洗ってからでないと浴槽には入ってはいけないのだ。お湯をなるべく汚さないためとか色々理由があるらしいけど、まぁあの人数が使うんだからそれも納得できてしまう。
肩口で揃えた髪を洗い終えて、ボディソープでしっかりと体を洗う。泡まみれになった自分の体を見ると、確かに痩せたと思う。マイナス10キロぐらいかな、もしかしたらもうちょっとかもしれないけど。ゴールデンウィークにあったオリエンテーリングという名の軍事演習みたいなシゴキを始めとして、ここの体育教育は下手したら拷問かと思うくらいのレベルで体を動かされる。さらに毎日の食事は栄養を管理されているから食べ過ぎるなんて事もありえない。もちろんだけど、間食も禁止とくればそりゃあ痩せるよね。そもそも学校の近くは木ばっかりで店なんかないんだから、おやつなんて手に入らないんだけども。
綺麗に体を洗って、もうこれ小さいプールかなと思うくらいに広い浴槽に入る。もう夏だから別にお湯に入らなくてもいいんだけど、私達以外に誰もいないしせっかくだからお湯に浸かる。
私が先にお湯に浸かってリラックスしていると、遅れて体を洗い終わったスギさんがザバザバとお湯をかき分けるようにこちらに向かってくる。ちょ、そんなに勢いよく来るとこっちに波が向かってくるから!
波が顔に直撃して私が恨みがましい視線を向けても何のその、マイペースなスギさんはそのまま肩までお湯に浸かって満足気にため息を吐き出した。
「マツはさ、夏休みどうすんの?」
ちゃぽん、と音を立てて腕を伸ばしながらスギさんが言った。目下私の悩みはそれだったりする、帰省すべきかせざるべきか。ただサイズが合わなくなったせいで殆ど着れなくなった私服を補充したいから、数日は戻ろうかと思っているんだけど踏ん切りがつかない。
「前に言ってた妹ちゃんの事?」
私が返事をできずに黙っていると、めずらしくスギさんが踏み込んできた。あんまり他人の事情に踏み込まない子なのにね。アイツの事は詳しくは話してないのだけど、妹と仲が悪いから帰省時期が重なった時は絶対に帰省しないという話はしてあるから、気になったのかもしれない。
「……うん、どうしようかと思ってさ」
なんとなく両手でお湯をすくって、顔を洗ってみる。それでこのモヤモヤした気持ちが晴れる訳ではないし、何の意味もない行動だったりするんだけどね。
地元でアイツ――妹と一緒にいた時は、本当に殺してやりたくなるくらい憎らしかった。それは妹が実家からいなくなっても続いて、私はそのイライラをうまく処理できずに問題行動を繰り返した。どれだけ親に窘められても、祖父母に蔑まれても、祖母に憐れまれても変わらなかった。でも、実家から離れてこの学校へ来てからわかった、アイツへのこのどうしようもない憎しみや嫌悪感はあの家庭環境からきたものだと。何故なら現在彼らから離れてここにいる私は、ある程度ではあるものの冷静に客観的に自分とアイツの関係を見つめることができているのだから。
かと言って直接会ったらまた同じ事の繰り返しだろうし、仲直りができるなんて馬鹿げた事は考えていない。私はあくまでアイツが嫌いだし顔を見れば殺してやりたいと思わずにはいられないだろうし、あっちだってあれだけ理不尽に私から暴言やら何やらぶつけられていたら好意など抱くはずもないだろう。
親や親類がいないこの状況がすごく楽だし、地元にいた頃よりは精神的にも肉体的にもまともな状態で生活できているのだから、私としては今すぐにでも自立して今後彼らとは会わずに生きていきたいのだけど、私はまだ中学1年生の子供でしかない。どうやったって自活していくのは難しいだろう、せめて中学を卒業するまではこの祖母が用意した檻の中で暮らすしかない。
「とりあえず、妹ちゃんが帰省するかどうか聞いてみたら? 最悪の場合は親にお金振り込んでもらって、一緒にアタシの家に行こうぜ。近所にスーパーもあるから、服も買えるしな」
私がぼんやりと考え込んでいると、スギさんが何の気負いもなくそう言う。スギさんとの出会いは、私に地元では気付けなかった事を教えてくれた。それは私が関わる人はこれからもっともっと増えていって、家族以外との繋がりだっていくらでも選び放題なんだって事だ。イライラしたり自分以外の人間に殺意を抱く様な繋がりを大事にしたところで、自分にとってはマイナスにしかならない。どうせなら私は自分が楽しくて成長できて、何より自分らしくいられる繋がりを作ってそれを大事にしたい。
そもそも親達のせいでこんな事になってるんだから、学生の間は利用できるだけしてやろうと思っている。なんなら大学まで出て東京とかに下宿してやろうかな、お金はあっち持ちで。そのまま向こうで就職して次に会う時は両親どっちかのお葬式とかやると面白そう。そんな事を考えるぐらいには両親に対してもイライラがたまっているし、ムカつきや嫌悪感を抑えられないくらい抱え込んでいる。
「ありがとう、スギさん。ひとまず親に連絡入れてみるね、どっちにしてもお盆は寮から全員出ていかないといけないらしいし」
「いやいや、なんのなんの」
スギさんのおっさんくさい返事を聞きながら、私はお風呂から上がったら久々に母親に電話をする事に決めた。父親とは絶対話したくないから、母親が電話に出てくれたらいいなぁ。
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