第七十八話 見知らぬ人の鏡(20)
全身血に塗れながら、フランツはファキイルを抱き上げ、教会のなかへと運んでいった。
犬狼としての本来の姿はとても巨大なのに、身体はとても軽かった。
休憩室はニコラスが寝ているから使えない。
まだかろうじて残っていた座席の上に、ファキイルを横たえる。
フランツは隣に腰掛けた。
「ファキイル……あいつの言ってたことは本当なのか」
「ああ……本当だ」
ファキイルは短く答えた。
今まではとても畏れ多くて訊けもしなかった話……アモスのこと。
「じゃあ、お前が、アモスを殺したのか」
「ああ。我が首を葬った。西蛇海に沈めた」
「西蛇海だと? じゃあお前がいたガレオン船は……」
「そうだ。ガレオン船にはアモスの墓守をさせていた。永遠に」
「……」
ガレオン船乗っていた海賊たちは、アモスを馬鹿にしたから、海の上をさまよわされたと聞いた。でも、アモスの墓守の目的もあったとは、初耳だった。
犬狼神は嘘は吐かない。でも、隠したいことはあったのだ。
フランツは言葉もなかった。神話によればアモスとファキイルはとても仲が良かったとされる。最期、アモスはファキイルに食い殺されたとも伝わっていたが。
しかし、細部を見れば何もかも違う。
神話だとファキイルは男だし、アモスは老人だ。だが、ファキイルは女で、あの胴体を見ればとても老いた身体とは思われない。
過去の事象は、どれだけ現在に伝わらないか。
ファキイルはすべて答えてくれそうだった。
だが、フランツは今は訊きたくなかった。
――今は、そんな場合じゃない。
立ち上がり、教会の外へと走り出す。
戦わなければならない。グラフツにかなわなくても。
「オドラデク、オドラデク!」
フランツは叫んだ。
「はぁい! フランツさぁん」
オドラデクは陽気に走ってきた。グラフツと戦っているのかと思いきや、メアリーとの戦いを観戦していたようだ。
メアリーは苦戦していた。糸を巧みに使い、斬撃を繰り出すグラフツ。
身体の全てが兇器になるのだから、手数が多いのは当然だ。
幾らメアリーが早く、訓練されていても、身体に幾つもの裂傷を拵えて、血を流しているところを見れば、このまま独りで戦わせていたら負けるのは確実に思えた。
「オドラデク! 剣になれ」
フランツは空の刀身を抜いた。
「待ってましたよ!」
オドラデクはぴょんと跳びはねて全身を糸に変え、フランツが差し出した剣の刃となった。
「ぷはははははあ、なんちゅうその浅ましい姿は! オドラデク、お前がそんなへなちょこの刃になるなんてこりゃ、臍で茶沸かすわ!」
メアリーの斬撃を受け流しながら、グラフツは笑った。
「おらああ!」
フランツはそれに応じる気もなく、グラフツに近付いて剣を振るった。
だが、グラフツは見事躱した。
「なっとらんなっとらん! そら見い! アンタが動くせいで女のほうが動きが鈍くなっとるで!」
確かにそうだった。
「シュルツさん、どいてください」
フランツは前に立ちはだかって剣を振るうせいで、後ろのメアリーはどうしても前に進めないようだった。
「多少傷ついても大丈夫やな。二人とも大人しく鏡に食われな!」
グラフツの両肩が鋭い針金のように尖り、二人の喉首へ迫ってきた。
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