第六十六話 名づけえぬもの(25)

 無言の会話が交わされる。


 とても、親密な。


 だが、少しの油断も許されない状況だ。


 ズデンカは敵に向かいあった。


 再び突進する。


ハウザーはまたも拳でそれを握りつぶそうとする。


 だが、ズデンカも同じ手は食わない。素早く身を引き剥がし、相手の肩の上にひょいと飛び乗る。


「おらっ!」


 ハウザーの横面を激しく殴打した。


 だが、鋼のように固い。


 ズデンカの拳は折れ曲がってすぐに再生される。


 敵わぬとわかって、ズデンカはハウザーの方から飛び去り、後ろに回った。


「わたしが相手だ!」


 ルナが前に歩いてきた。手を翳してハウザーを消そうとする。


 だが。


「消えない……」


 ルナは少し驚いたように呟いた。


「ああ、この心臓がある限り。俺は何者からも干渉されない。君からだって」


「そうか。なら、力尽くで倒す」


 ルナは剣を作り出し、握り締めた。


「君は剣が使えるのかな? 昔はそんな素振りは少しも見せなかったけど」


 歪んだ笑みを浮かべるハウザーの顔を横様に薙ぎ払うルナ。


「習ったんだよ」


 確かにその顔は二つに断たれはした。しかし急激に元へと戻る。


「大したお手並みだね」


 ズデンカはハウザーを後ろから蹴り上げた。だが、やはりと言っていいか、少しもダメージが与えられない。


「ズデンカさん! 手こずって申し訳ありません! あいつがなかなか強かったもので! でもいきなり溶け消えたときには驚きましたよ」


 ヴィトルドが泡を食って走ってきた。どうやら、シュティフターが作り出した腐肉の人形を差しているのだろう。ズデンカは観察し切れていなかったが、シュティフターが紫の塊へ吸い込まれた前後に同時に消失したようだった。


「お前は離れとけ!」


 ハウザーは口からどす黒い炎を吐いた。


 途端にヴィトルドはその中にまき込まれてしまう。


 だが。


「ふんっ!」


 シャツこそ焼け焦げたが、大胸筋を剝き出しにしたヴィトルドが颯爽と断っていた。


「俺の肉体は鋼だ!」


「なるほど、ずいぶんと楽しい友達をルナ・ペルッツは持っているね。収容所ではずっと独りぼっちだった、あのルナ・ペルッツが」


 どうやらハウザーはルナの心に少しでも揺さぶりを掛けようとしているらしい。


「わたしはずっと独りぼっちじゃなかった。ステラも、ビビッシェだっていた」


「だが、どちらも君のせいで死んだだろ?」


 ハウザーは笑った。


 その横面に蹴りが入れられた。ハウザーの巨体が後ろに倒れる。


 しかし、ズデンカがやったのではない。


 青い虎――バルトロメウスだった。


「あの人には世話になっているんだ。あんな目に合わせた君には死んでもらうよ」


 口調は穏やかだったが、その目には怒りが漲っていた。


 しかし、ハウザーは涼しい顔で立ち上がった。


「おもしろい! おもしろい! 幾らでも掛かってきてくれ」


――何かが、おかしい。


 ズデンカは気付いた。


 まるで、時間稼ぎをしているかのようだ。


 『名づけえぬもの』になる、とハウザーは語っていた。


 だが今のところ己の肉体を強化しただけで、世界中に『鐘楼の悪魔』を拡散させる状態には移っていないようだ。


――そうか。


 ハウザーはむしろたくさんの攻撃を身体に受けようとしているのだ。


 そのエネルギーで逆に完全な『名づけえぬもの』へと変化できるのだろう。


「みんな、攻撃を止めろ!」 


 ズデンカは吠えた。

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