第六十六話 名づけえぬもの(19)
『だが……』
ズデンカは抗弁しようとした。でも、言葉は出て来なかった。
単に自分が臆病なだけだった、と気付いた。
――もう、どうなってもいいだろ。なら……。
『わかった。どうやって語り掛ければ良いんだ?』
『そうこなくちゃ!』
メルキオールが手を叩く音が聞こえた。だが、どうやらそれは幻聴で、周りには聞こえていないらしい。
『さっさとやれ』
ズデンカは少し気恥ずかしくなった。
『ズデンカさんが、自発的に動けばいけますよ。すごく感覚的なんですけど、前の方に進む感じでやっちゃってください』
いともたやすいことかのようにメルキオールは言った。
『そう言われてもな……う~ん、こうか?』
ズデンカは思念の中で、長い道をどんどん進んでいくイメージをかたち作った。
すると、その道の中を歩いている自分に気付いた。
紫色の鈍い光が、左右を物凄い勢いで走っていく。
「なんだこれは?」
しかも、裸になっていた。
「ルナさんのイメージの世界ですよ」
頭上から、メルキオールの声が聞こえて来た。
「おい、こっち見んなよ?」
「はいはい、声しか聞こえてません! 現に目の再生もまだですし!」
メルキオールは半笑いで答えた。
本当かどうかわからなかったが、ズデンカは先に進んだ。
「しかし、気味が悪いぜ」
左右の光はやがてしわちゃくれた血管が浮かび上がった壁へ変わった。時折、その管が破けてどす黒い血が吹き上がった。
物凄い臭いがする。
だが、ズデンカは少しも食欲をそそられるものではなかった。
「あれは『鐘楼の悪魔』に食い尽くされたさまざまな人の魂ですね」
メルキオールの天の声は説明する。
「魂が血液になるのか」
「はい、『鐘楼の悪魔』が食った魂は、ハウザーの心臓代わりとなっているカスパールに蓄えられ、そこから『名づけえぬもの』へ供給されているのです」
「直接繋がっていなくてもそんなことが出来るのか?」
『鐘楼の悪魔』はそれぞれ独立してトルタニアの各地に広がっていた。それが吸い取った魂が、ハウザーの心臓に流れ込んでいたとは。
「はい。カスパールあってのものです」
「つまり、やつの心臓をえぐり出せば全てはおさまるんだな?」
ズデンカは訊いた。
「それができれば、ですが。ハウザーはとても強いと思われます」
「諦めてられるか。というかここはやつと繋がっているんだな? あたしらが入ってきたとばれないのか?」
「例の結界と同じからくりを使っています。辛うじて認知されないと思いますよ」
かつてメルキオールの助けで、疲労したカミーユとジナイーダを休ませることが出来る空間に退避させたことがあった。
だが、結局ハウザーと共闘する吸血鬼の集団『ラ・グズラ』に近くを攻撃されることになったのだが。
それでも短時間の目眩ましにはなったはずだ。
「じゃあ突き進むだけだな」
ズデンカは後はもう喋らなかった。
血管の壁はやがて消え失せ、真っ白な糸へ変わった。
まるで、繭のなかにいるみたいだ。
「これが、ハウザーの言った毒蛾の繭か?」
「はい、ルナさんはそろそろ近いですよ」
メルキオールは答えた。
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