第六十二話 なぞ(4)

「また見えたんですよぉ! 顔がぁ! 顔がぁ!」


 オドラデクは叫び続けていた。


 人がいないからいいようなものの、往来の真ん中なら赤っ恥だ。


「どこだよ」


 フランツは頭を掻きながら後退してオドラデクから距離を取った。


「こっち、こっちですよお!」


 とオドラデクは先ほどの紳士がいた反対側の部屋の扉をがらりと引き開けた。


 やはり、誰もいない。


「あっれー? おかしいなあ。さっきまであの窓にあんなに大きく映っていたんですけど……」


 オドラデクは窓をためつすがめつ眺めていた。


「そろそろ客が入ってくるかもしれん。戻るぞ」


 フランツはクンデラで新しく買った腕時計を見ながら諭した。


「はぁ~い」


 しょぼくれた感じでオドラデクは客室を離れた。


 フランツも一瞬だけ窓を確認した。


 だが誰も映っていない。


 こちら側は向こうの線路が見えるだけなので、人の顔を幽霊と間違えた可能性は極めて少なくなる。


 フランツも些か奇妙な話には思えてきたがこれ以上追求のしようがない。


 静かに扉を閉じ、オドラデクのを後を追った。


 部屋に戻ると、オドラデクは席に坐り、しかめ面をしたまま腕を組んでいた。


 なかなかお目に掛かれない情景だ。


 フランツは噴き出してしまった。


 だがオドラデクはそれにも気付かず、考え込んでいる。


「ふむん。謎が謎を呼びますよ。いったいぼくが見たのは何だったんでしょうね?」


 オドラデクは続けた。


「謎なものは謎のままにしておけばいい。さっきも言っただろ」


「ぼくが解き明かすんですよ! きっとルナ・ペルッツならそうするに違いない!」


 びしっと人差し指を立ててオドラデクは言った。


「いや、俺はお前ほどやる気が起こらない」


 ルナの名前を出されて少しばかりフランツは後ろ髪を引かれたが、何も調べる糸口が見つからないではないか。


 せっかく時間はあるのだし、寝台車へ移動して英気を養っておく方が良いのではあるまいか。


 フランツは重い足どりで寝台車の方へ向かった。


 適当な一室を借り、横たわる。


――ルナもここで寝たかもしれないな。


 そんなことを考える自分が気持ち悪くなりフランツは目を閉じた。


 たちまち眠りが訪れる。


 すぐ、目覚めたように思った。


 だが、時計を見てみるともう三時間経過しているではないか。


 フランツは驚いて立ち上がった。


――寝坊しすぎたな。


 そろそろ暗くなり始める頃だが、寝台車には誰もいなかった。


 しんと静まりかえって、とても怖く感じられた。


 スワスティカ猟人はまず恐怖などの余計な感情のコントロールから学ばされる。


 怖いなど思ってはいけないのだ。かりに思ったとして、それを客観視し、何でもないものと見なさなければならない。


 フランツは急いで廊下へと出た。


 ぎしり、ぎしり。


 床板が鳴る音が響く。


 来た時には感じなかったものだ。


 汽車は走り出し、客の数もかなり増えているようだ。


 フランツは迷惑にならないよう静かに進んでいった。


 と、一室の扉が開いていることに気付いた。


 その窓に。


 フランツの視線はたまたま舞った。


 青白い、横長の顔がニヤリと微笑んでガラス窓の向こう側に張り付いていたのだ。


 フランツの背筋は凍った。

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