第三十九話 超男性(3)
きっと、底抜けの馬鹿に違いない。
ズデンカの勘は正しかったようで、白けた視線を向けられていることにも気付かずヴィトルドは、
「ふむふむ、私の顔がそんなに美しいのかね」
と自信満々に筋肉を見せびらかすポーズを取っている。
「どうでもいいが、汽車の邪魔をするなよ」
ズデンカは釘を刺した。
「なぜ私が邪魔したというのだね?」
ヴィトルドは一向に構わぬ風だ。
「土煙を上げんなよ。車室の窓が曇って迷惑なんだ」
曖昧に言っても通じないと思い、ズデンカは具体的に説明した。
「自然と出てしまうものだからね」
とヴィトルドはうそぶいた。
そうこうしているうちに、列車は遙か彼方に進んでしまっている。
――まずい。
いつでも追いつけるからと高を括っていた自分を叱責して、ズデンカは急いで走りだした。
「競争しようというのかい?」
ヴィトルドはそう言いながらズデンカを追って走り出した。
すぐに二人は並ぶ。
相手が少しでも前に出れば、もう片方は更に前に出る。
これが繰り返された。
ズデンカは最初のうちこそめんどくさいと感じてはいたが、やがて勝負に熱中し始めていた。
――こいつ、思いのほかに早いな。
ヴィトルドの顔を伺うとずいぶん涼しそうだ。痩せ我慢かもしれないが、その態度を見る度にズデンカは腹が立った。
「レディにしては、なかなかやるねえ」
ヴィトルドが言う。
「お前こそ。すぐにへたばると思ってたぜ」
ズデンカは応じる。
「まだまだいけるさ!」
そう言ってヴィトルドは速度を早めた。
汽車の先頭にすぐに辿り着いた。もうすぐ追い抜いてしまいそうだ。
――まずい。
ルナのいるところから離れてしまうと、またハウザーから襲撃を受けた時に対処しきれない。
ズデンカは突如走りを止め、汽車の煙突と砂箱の間へと勢いよく跳躍して、ボイラーを伝いながら客車の上まで走り抜けた。
煙突から煤を浴び、足の裏は熱で多少焦げはしたがすぐに元に戻る。
「お前にこの芸当は出来ないだろ?」
客車の上でどうどうと立ちながら、ヴィトルドを見おろし、ズデンカは言った。
「何を」
ヴィトルドは一瞬悔しそうな顔をしたが、即座に助走をつけてかなり高く飛び上がり、客車の上でズデンカと並んだ。
「どうだ?」
ヴィトルドは自慢げに胸を張る。
「ふん。じゃあ、あたしに付いてこれるか?」
ズデンカは走り出した、客車の屋根は皆一様に同じかたちをしているが、車輌ごとの溝は案外深い。ズデンカは一足飛びに飛び移っていった。
「たやすい!」
ヴィトルドも同じように近付いて来た。
ルナのいた車輌まで戻ってくるとズデンカは屋根から飛び下りて中へ入り込んだ。
急いで廊下を駆け抜ける。ヴィトルドは直ぐには追ってこないようだ。
他に客の影は見えないのは幸いだった。
流石にルナのいる車室まで案内するつもりはない。
だが、交戦することになるのならば、ルナを守れる場所でと思ったのだ。
ややあって躊躇いがちにヴィトルドが中へ入ってきた。
「ここに何があるんだい?」
不審そうにあたりを見回していた。
「何でもいいだろ。もういい加減にこんな追いかけっこは止めだ」
「ということは負けを認めるのだね?」
ヴィトルドはまた大胸筋を見せびらかした。
「ブラヴォ! ブラヴォ!」
ルナの暢気な声が響く。
部屋から抜け出して、どたどたとこちらに歩いてきていた。
――ちっ、藪蛇だったか。
ズデンカは自分の咄嗟の行動が軽率だったことを思い知った。
ルナの好奇心を考慮に入れていなかったのだ。
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