第三十話 蟻!蟻!(6)
それはつまり、蟻を食べる癖です。
物心付いた頃から昆虫と遊ぶことが好きな子でしたが、私がそれに気付いたのは、サシャが十五歳を迎えてからでした。
普通その年齢になると、昆虫と遊ぶなんてことはしません。
スポーツに熱中したり、ませた子なら歓楽街を遊び歩くことに精を出し始める頃ですからね。
ところがサシャは独りでいることを好み、厩舎のすぐ外の雑木林の中で地面にしゃがみ込んでいるのです。
何をしているのかと思えば、穴に向かって一列を成して進む蟻たちの姿をじっと見詰めているのでした。
サシャが人差し指をその先へと押し付けると、蟻は迂回して穴へ向かいます。しかし、中には鈍くさいためか、差し出されるままにサシャの指の腹へと乗るものもいました。
蟻を乗せた指を、顔の近くまで持っていくといきなりそれを口の中に吸い込んでしまうのです。
わたしは放任主義を貫いているので、普段息子が何をしようと干渉はしません。しかし、サシャの様子はあまりにも異様です。
でも、直接訊くのは尻込みしました。だから、イザークに尋ねたのです。
「何か最近あいつの様子に変わったところはないか?」
「変わっているのは昔からだろ」
イザークはサシャと同じぐらい無口です。でも、実に当を得た答えでした。
私はあまりにも息子たちを避け続けたために、それに気付けなかったのです。
理由はあります。
ちょうどサシャを産むと同時に母親――妻が死にまして。
産褥熱に罹ったのです。
苦しんで死んでいった妻の顔。
残された私は子供に対する向き合い方がまるでわかりませんでした。
毎日仕事ばかりで、イザークの面倒はすっかり妻任せにしていましたし。
おむつの替え方すら知りません。忙しいので一から学ぶなどということも出来ず、ある時期から乳母を雇って任せるようになりました。
それからは出来るだけ関わらないようにしてきた訳です。
イザークは歳が上なぶん、そこがわかっていて、言葉として漏れたのでしょう。
自分が見ないようにしてきた過去から不意に襲われた気分になりました。
「蟻はいつから?」
「それは最近だ」
イザークは相変わらず言葉少なでしたが、ちゃんと弟のことは観察しているのです。
さらに聞いてみると、どうもここ一月ばかりのようでした。
止めさせる必要があると思い、私はサシャを呼び付けました。
「蟻を食べるのは止めなさい」
「はい」
サシャは短く呟きました。
それを聞いてしばらくは蟻を食べることはなくなりました。けれど、何ヶ月も経ってすっかりこちらが忘れ始めた時に、また庭にしゃがんで食べ始めたのです。
叱ることはできませんでした。
いつの間にか蟻たちはサシャの指を迂回することを忘れて、一列を成してサシャの口まで運ばれていくのです。
まるで催眠術に掛かったように。
わが息子ながら、不気味でならなかったのです。
息子はどんどん蟻を食べて、いや、丸のみにしていきました。身体の中に、一体どれだけの数が溜め込まれたのでしょう?
ある時一気にそれが爆発したのです。
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