第三十話 蟻!蟻!(3)
「さあ。この世に不思議なものは多いからね。そうとは限らないかも知れない」
ルナは答えた。
と、さっきまで黙っていたカミーユが身を反らせ、抜く手も見せずにナイフを放った。
厩の外に聳える欅の繁みへだ。
気配を感じ取って投げたのだろう。
祖母から身体に刻み込むように訓練された賜物だ。
狙いの正確さと裏腹にその表情には驚愕の色があった。
「チッ。何すんだよ」
聞き覚えのある声がするかと思えばするすると幹を滑り降りてきたのは自称反救世主の大蟻喰だ。
「お前か。死んだと思ってたぜ」
ズデンカは毒を吐いた。
「残念ながらまだ消滅していないようだね。ズデ公」
大蟻喰は言い返す。
「まあまあ二人とも」
ルナは二人の間に入り込み、肩を組んだ。
「でも、ステラが来てくれると心強いよ。蟻には詳しそうだから」
ステラとは大蟻食の旧名だ。
どうもルナとは古い知り合いらしい。ズデンカもあまり詳しい情報は持っていないのだが、自分の知らないことも知っているかと思うと胸の中がこそばゆくなる。
「まあね。ボクは人間も食べるけど、蟻も一応食べるよ。どれが美味しいとかはわかるつもりだ」
「じゃあお願い」
ルナは蟻を指で摘まんで大蟻喰の掌の上に置いた。
うごめく蟻を見詰めたかと思うと、無言で口へ放り込んだ。
ガリガリ押し潰すように歯で噛み、ゆっくり嚥下した。
「うーん、普通の黒蟻だ」
とつまらなそうに呟く。
「なるほど、蟻自体は変わったものではないんだね」
ルナが答えた。
「ボクは食べた物の来歴を全て知ることができる。どんなちっぽけな昆虫だって親とかどんな場所で暮らしてきたとか、そういういろんな情報を持ってるはずだ。でもこの蟻にはほとんど記憶がない。いきなりこの世界に涌き出てきたように思える。空っぽなんだ」
「うーん、実に不気味だ」
ルナが言った。しかし、その言葉とは裏腹に少しも動揺の色がない。むしろ喜びまくっているように思えた。
「全く訳にたたねえな」
ズデンカは嘲笑った。
「はぁ? お前は何か出来るのかよ。この木偶の坊が」
大蟻喰は食ってかかる。
「あの! ごめんなさい! ナイフを投げてしまって」
決心したのか、そこへ一息に走り寄ってきたカミーユは頭を下げた。
「キミ、誰?」
大蟻喰は機嫌悪そうに睨み付けた。
「カミーユ・ボレルって言います」
「ボレル? 聞いたことがある名前だな」
大蟻喰は首を捻った。
「処刑人の一族の……」
カミーユが説明した。
「あー、確かいたな。一人食べようとしたけど取り逃がしたのが」
「食べるって!」
カミーユは顔を一気に青ざめさせた。
「意気地がないね。でも、その割りにさっきのナイフの筋はよかった。油断してたらボクも首をざっくりやられてたとこさ。キミ、気に入ったよ」
と手で首を横に掻き切るポーズをとる大蟻喰。
「は、はぁ……」
あからさまに恐縮するカミーユ。
「苛めるのはやめとけ」
ズデンカは注意した。
「苛めてないよ。キミの方こそ、仲よさそうじゃないけど」
カミーユに複雑な感情を抱いていることを見抜かれたズデンカは顔を顰めた。
「さあさあさあ、謎を探そう。絶対答えは見つかるはずなんだ!」
微妙な雰囲気の三人を無視して、ルナは手帳と鴉の羽ペンを取り出して、勝手に歩き出した。
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