第十七話 幸せな偽善者(3)

 二人はそのまま建物の中に入っていく。


 画廊は狭かった。人もほとんどいなかった。


「幸先いいね。自由に見ていられる」


 とは言いながら、絵をぱっと見飛ばしてすたすた歩き去って行くルナ。


 当然ズデンカもそれを追っていき、


「こんなぱっと見でいいのか?」


「うん。出来るだけたくさん見たいからね」


 ズデンカが生まれた頃に活躍していた画家の作品もたくさん架かっていた。


「この作家は当時から有名だったの?」


「わからん。昔は絵なんてちっとも興味なかったぜ」


 ズデンカは首を振った。


「君はそう言うとこがダメなんだよ。長く生きてるのにさ」


 ルナはズデンカの肩をポンポン叩いた。


「あたしだってその時今の知見を持ってたらインタビューだってしたかもしれないが。あの時、ああやってたら、なんて後悔は一杯ある。気にしていても仕方ない」


 ズデンカはあたりを見回しながら小声で言った。


「ふむふむ、面白そうな絵画だな」


 ルナはズデンカを無視してとある一枚に見とれていた。


「おい!」


 ズデンカは思わず声を荒げてしまい口を押さえた。


 そこには一枚の笑顔の老婆の油絵があった。


「これがどうした? どこにでもいそうなやつの絵じゃねえか」


「タイトルを見てよ」


 ルナは指差した。


 ネームプレートには『幸せな偽善者』とある。


 ズデンカは少し背筋が寒くなった。


「なんだよ、これ」


「作者名がわからない」


 確かにネームプレートに書かれてあるのはタイトルだけだ。


「またか」


 ズデンカは蝶のことを思い出していた。


「まあ聞けば分かるだろう」


 ルナは部屋の隅に立っていた学芸員の元へと歩いていった。


「あの絵誰が書いたんですか?」


「ああ、館長ですよ」


 学芸員は苦笑した。


「へえ、ご自分でも絵を描かれるんですか。お目が高いだけじゃないんですね。ぜひ、お会いして聞いてみたいな!」


 ルナは笑顔で満面輝かせて言うのであったが、ズデンカはそこに色濃い悪意を感じ取った。


「ちょっと聞いてみますね……」


 学芸員は退席した。


「そこまであの絵が気になるのか?」


「なんだか綺譚おはなしの匂いがしてきそうじゃないか」


「曰わくはありげだよな」


 ルナはわくわくと肩を揺すりながら黙って待った。


 ズデンカは呆れた。


 いつものノリが戻ってきたのだ。 


 やがて眼鏡を掛け細面な男がこちらに向かって歩いてきた。


 間違いなく館長だ。


「やあ初めまして、わたし、ルナ・ペルッツと申します」


 ルナはお辞儀をした。


「おやおや、高名なペルッツさまではありませんか」


 館長は畏まった。


「あちらに展示されている『幸せな偽善者』、お描きになったのは館長さまと伺ったのですが」


 ルナは慇懃に質問した。


「はい、年寄りの手習いではありますが」


「いえいえ、とてもお上手ですよ。一目で気になりました。モデルはどなたで?」


 ピカピカに磨き上げられたルナのモノクルが光った。


「ああ。伯母ですよ。もう死にましたがね」


「なぜ、『偽善者』なのですか?」


 館長は少し顔を伏せた。


「そのままの意味です。伯母はとんでもない偽善者でした。しかも、そのことに終生気付くことがなかった。私はその一番の被害を受けたんです」


「面白い。ぜひ聞かせてください」


 ルナは懐から手帳と鴉の羽ペンを取り出して言った。


「大して面白くない話かも知れませんが」


 館長は断った。


「いえ、面白い面白くないはこちらが判断しますので」


 ルナは笑った。


 「それでは」


 館長は咳払いして話し始めた。

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