第2章 第4部 第19話

 いくら鋭児や焔が、蛇草に対して礼や世辞を述べたところで、それがどれだけ本心であったとしても、気遣いとしての社交辞令にしかならないのだ。


 互いに敬意を示しているからこその、遠慮となる。


 でも確かにそうなのだ。一見世間知らずで、辿々しい社交辞令のような言葉遣いの煌壮の本心が、蛇草の心を随分と軽くした。


 彼女が焔と鋭児を慕い、その心配事を払拭せんとしたその姿が、隠しようのないほど、彼等の本音だとしか捉えようがなかったからだ。

 

 「次は、家長として襟を正さなきゃならないね」

 「はい……」


 それは、新の自分勝手な行動の後始末ということになる。それもまた気の重たい話である。ただそれは後日の話で、今は彼女の心を落ち着かせる事が大事である。

 

 その日曜日、つまり煌壮の戻った一日後のことになる。時刻は昼をとうに回った頃になる。

 鋭児を乗せた車が、焔の住まいへと戻って来るのだ。


 「それでは、また後日……」

 「はい」


 名残惜しそうに、千霧がそっと鋭児に抱擁を求め、彼はそれに応じる。

 もう少し彼女のためにも時間を作ることが出来ればと思う鋭児ではあるのだが、千霧曰く、今は学生としての時間を謳歌すべき時で、自分との時間はいずれ、彼が大人として自立してからでよいとの事だ。


 勿論その抱擁で、彼女が寂しさを抑えている事は、十分に理解出来る鋭児ではあるが、こればかりは、しっかりと割り切らなければならないと、千霧は一定時間の抱擁を終えた後、自ら離れるのである。


 「では」


 鋭児が車から降りると、千霧は車窓の内側から手を振って、その場を去る。

 

 「さて……と」


 鋭児も、少し心を落ち着かせることにする。

 目の前には、自分の今帰るべき家があるのだと言うことを、しっかりと意識するのだ。

 

 「只今」

 

 鋭児は、当たり前のように扉を開けると、広々としたリビングには、焔とアリス、そして煌壮がいる。


 「吹雪さんは?」


 その中に、もう一人、望んでいる姿がない。


 「アイツは、ちょっと天聖の家に行ってる。ここんとこ、ちょいちょい呼び出しがかかってるよな」

 「ええ、まぁ、彼女も大学に進学したことですし、そろそろあちらへの顔出しも多くなるでしょうね」

 「ふぅん……」

 

 そして、煌壮は現代っ子らしく、スマホでゲームをしている。


 「で、なぁ……煌壮?」

 「ん?」

 「服変わってるのはいいんだけどさ……」

 「うん……」


 煌壮は、ちょうど良いところなのか、鋭児のそれには、空返事である。


 「なんで、オレの服なわけ?」

 「えー?だって、前のは鋭児兄の成分が薄くなったから、充電しないと……」

 「充電……て……」


 呆れるばかりだ。それに何の成分があるというのだろう。


 「ふふ。鋭児ももう少し服くらい持っておかないとダメね」


 妹分にとられてしまっては、鋭児としても諦めざるを得ないのだろうと察したアリスが、笑みを零す。現に鋭児は参った様子を見せはするものの、取り返すために躍起になったりはしない。


 「っと……」


 煌壮は、ゲームをやめる。


 「無課金ていちいち宣伝入るんだよな。まぁしねーけど」


 どうやら、それが面倒くさくなって閉じてしまったらしい。

 

 「さて、鋭児兄の顔も見たし、アッチに帰るかな」

 「あら?晩ご飯は?」

 「食べる……」


 現金な煌壮である。一度立ちかけておいて、晩ご飯が得られるとなると、もう一度ソファに腰を掛けなおすのだ。


 「まぁでも長居すると、鋭児兄と焔姉が、イチャイチャしだすもんなぁ」

 「解ってんなら、早く帰れ」


 焔は、さっさと煌壮を追い返そうとする。


 「冷てぇなぁ。鋭児兄の事になると、焔姉は、途端にケチになるよなぁ」

 「ケチじゃねぇ」


 だが、そう言っている焔は若干ソワソワとしているのだ。

 

 「んじゃ、ちょっと焔さんの、状態確認して、煌壮のメンテして……っと」


 鋭児は背伸びをするのである。そしてもう一仕事する準備を始めるのである。


 「ワリィな、疲れてる所よ」

 「まぁ……多分、問題ないと思うんだけどさ……」

 「そか?」

 「うん」


 そう言って、奥のベッドルームに張っていくのだが、その途中で煌壮の頭をひと撫でしていくのである。

 少々乱暴に、クシャリと撫でていくのだが、煌壮にはそれがなんとも心地よいのだ。


 「ふふ」


 鋭児の兄ぶりに、アリスは平和そうに微笑む。

 そのときのアリスが本当に幸せそうなのは、煌壮にも伝わっており、魔女と呼ばれる彼女は、おそらくこの中でも、誰よりもお節介焼きであり、この空間を心地よく思っているのだろうと理解する。

 そして、その空気は、自分にとっても心地よいのだ。


 「なぁアリスちゃん」

 「何かしら?」

 「家って、こういうのをいうのかな」

 「そう……ねぇ。そうね」

 「アリスちゃんは、それでいいのか?」

 「ふふ。そうね」

 「じゃぁ、いいんだけどさ。オレも好きだし」


 煌壮は言葉の核心に触れない。それはアリスが今あえて口にしない確信だ。そしてそれは自分の問題ではない。ある意味ドライな対応であるが、その価値観よりも守るものがあり、どちらがより優先順位が高いのかと言えば、アリスと煌壮の答えは、意外なほどに一致している。

 

 「それにさ、爺様とは家族みたいなもんだけど、そういう意味では、『家』の価値観て、庶民と六家じゃ、随分違うんだなぁって思うよ。鋭児兄とアリスちゃんが知ってて、焔姉達がそれを心地よく思ってて」


 「ふふ。そうね。私は知っているというよりも、理解しているだけね。鋭児が小さい頃知っている、一番幸せな時間を、今みんなで共有しているって所なのかしらね」

 「ふぅん……」


 それはおそらく漠然としているのだろう。

 だとしたら、一般家庭にある、両親がいて自分がいて、兄弟がおり、将来結ばれるべき彼女がいるという、明るく暖かい将来像が、あってしかりだ。


 「てか、鋭児兄の価値観歪んでなくね!?」

 「あはは」


 いつも澄まして静かに笑うアリスだというのに、この時ばかりは、不意を突かれたように口を大きく開けて、声を出してしまうのである。


 確かにそうかもしれないと、アリスも思う。


 彼が意図しなくとも、結果的に自分以外は、恋人となるべき女性ばかりに囲まれており、っ彼女たちは実に睦まじく暮らしている。

 確かに一般家庭とは大きくかけ離れた価値観である。


 「んで、オレの場所も、ちょっとくらいある……のかな」


 儚い幻想であると、煌壮は思った。どれだけ望もうとそれは擬似的なものであり、自分と鋭児との縁は、皇を受け渡す間の短い師弟関係しかなく、結ばれているのは、たった一つその糸だけなのだと思うと、あまりに寂しい。


 「大丈夫よ」

 「アリスちゃん……」

 「だって、私公認だもの。でしょ?」

 「はは……それは心強ぇな」


 煌壮は、行儀悪く、うつ伏せになってソファに寝そべりながら、それでも嬉しそうにはにかみながら笑うのであった。

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