第2章 第4部 第3話

 灱炉環はどちらかというと、垢抜けないが可愛らしさのある女子といえる。

 「コーヒー入れますね」

 それでも、とことこと歩いている姿は、憎めないところがあり、いや鼬鼠としては、寧ろそういうところに、苛立ちを感じるのだが、やはりどうにもそれを口にだして、怒鳴りつけることなど出来ないのである。

 

 「ああ……」

 鼬鼠はそれだけを言うと、再びソファに腰を掛けるのだ。

 例の強烈な炭酸ジュースは、やはり気合いの入れたい時や、ちょっとした儀式めいたときによく飲むが、今はそういう気分ではない。

 来客である灱炉環であるはずが、彼女はコーヒーを入れる。

 

 灱炉環は、台所で迷いなくコーヒーの準備をする。

 鼬鼠の部屋のコンポは良いものを揃えているし、ケーブル類もこだわっており、音抜けが良く、力のある音も潰れたりはしない。

 

 すると、灱炉環も曲に合わせて、鼻歌を歌いながら機嫌が良さそうに、コーヒーを持ってくるのである。

 「行かなかったのか?」

 「はい……。キラちゃんとは仲良しですけど、負けた相手の祝勝会って、変な気分ですし」

 「ちげぇねぇ……」

 灱炉環は別に勝ち気であるわけではないし、おそらく彼女は頂上を目指しているわけでもないのだろうが、それでもそういう気性は、炎の能力者らしいと思う鼬鼠である。

 思わず鼻で笑ってしまう。


 そういう負けん気の強さでいえば、風の能力者と炎の能力者は、若干似た性質を持ち合わせている。

 「っと……ですね」

 そして、灱炉環は鼬鼠の横に並んで座ると、オーバーオールの内側をガサガサと漁り始めるのである。

 「おい……」

 あまり女子が服の内側を漁る姿を、鼬鼠は良しとしない。

 しかし、しばらく灱炉環のそれを眺めていると、彼女は一つの袋を取り出し、そしてさらにそこからもう一つ、何かを取り出すのである。

 「じゃーん!」

 「おい……それ」

 「へへ。『ファルコンズの限定復刻版、限定リミテッドエディション』です」

 鼬鼠の表情が硬直し、手がワナワナと震えている。

 「当選しちゃいました!」

 決死で自慢げでは無く、素直に嬉しげな灱炉環だが、鼬鼠は震えが止まらない。

 「っくしょう。マジかよ……」

 鼬鼠はがっくりときてしまう。

 「ハイレゾリマスター復刻版!すごいでしょ!」

 「解った解った。能力者として負ける気はしねぇが、その引きの強さだけは、負けた……」

 鼬鼠は本当にがっくりと、項垂れてしまう。そもそも損なつもりは無いが、こればかりは鼬鼠家のコネを使ったとしても、無理な話である。

 「とは言っても、音楽はやっぱり飾るものではないので……」

 そして、灱炉環は二つ目のブルレイを取り出すのである。

 「念入りだな……おい」

 「へへ。コレクターではないですが、今は開封するべき時期ではありません。ですので……」

 そして、灱炉環は、すっと立ち上がり、鼬鼠がよく耳にしている、ディスクラックの空きスペースに、すっとそれを差し込むのである。

 「おい……」

 何を私物を置いているのか?と鼬鼠は思うのである。

 「私の部屋では、たいした音源は置けませんし、出来ればちゃんと空間で音を聞きたいですから……ダメですか?」

 

 鼬鼠は頭を痛めてしまう。

 鼬鼠からすれば、彼女が自分にご執心な理由がよく解らないからだ。確かに共通の趣味としては、これ以上フィーリングの合いそうな相手はいないのだが、鼬鼠は特に女子に時めいて、恋愛を謳歌したい心境ではないのだ。


 静音と比較してしまえば、彼女は美人というわけではない。あどけなく、愛らしくはあるが、美形というわけではない。ただ、不思議と憎めない雰囲気があるのは確かで、不思議と自分から遠ざけるために、攻撃的になる気にはなれなかった。

 そういう思いは、静音の時だけで十分である。

 「はぁ……」

 鼬鼠がすっかり参ってしまっている前で、灱炉環はただじっと彼の返事を待っているのだ。

 「なんでだ?」

 「え?」

 「いいから言え」

 「えと……ですね……」

 灱炉環は、もじもじとし始めるが、流石にこれに対して、鼬鼠は鋭く睨む。彼は気の長い方では無い。

 「とても……格好良かったです。風皇戦……風皇様が、天海前風皇との対戦の時、とても悔しそうにしていた、お姿がとても……素敵に思えたんです……」

 鼬鼠としては、最悪で屈辱的な場面である。

 確かに風雅の事は尊敬しているし、彼の強さは理解している。そして現時点で勝てるとは思ってもいない。この先勝つことも無いのかもしれない。

 それでも、もう少し自分で、納得行く結果を出したかったのだ。

 

 ただ、その選択肢を出させたのもまた鼬鼠で、仮に次期風皇戦で、再度風雅に挑み、同じ素戔嗚で破れたとすれば、寧ろ鼬鼠と風雅の差を決定的にしてしまうのである。

 それこそ継承に傷がつこうものだ。


 鼬鼠は一瞬さらに苛つくのである。

 「みんな、そうだったんですよ?今年の一年は、風皇様のあの、誇り高くて気迫溢れる挑戦を忘れないお姿に、胸が熱くなってました」


 それは意外である。

 なぜそれが鼬鼠の耳に届かないのかというと、今まさに灱炉環に対して、苛立ちをぶつけそうになった、もう一人の粗暴な鼬鼠の姿があるからだ。


 悪童と渾名される彼の経歴は、噂と広がっている。

 校舎裏で、一年を掻っ捌いたなどという話も流れており、確かにそれは事実で、対象の人間は黒野鋭児という。

 今、自分の腹心とならんとしている男との出会いでもあった。

 ただ、一人歩きしているのは、殺され掛けたという一年がいるという話だけだ。

 「泣きのブルースギターって……感じでした……」

 そう言いつつ、灱炉環はすっかり乙女の表情をつくり、何度もチラリと鼬鼠と視線を合わせては、外すのである。

 そういう表現をされてしまうと――。

 「くそ……解ってんじゃねぇか……」

 思わず、口元を押さえて、灱炉環と視線を合わせてしまう。

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