第2章 第3部 第9話

 美箏に小さな縫いぐるみを渡したところで、アリスの膝が崩れてしまいそうになる。

 そして鋭児はそれを支える。

 痛みの緊張で体中が酷く冷えている。それだけ彼女が汗をかいているということだ。

 それでも尚、その胆力がアリスにはある。

 「フフ……私ってイイ女でしょ?」

 こんな時だというのに、鋭児に支えられたアリスは、そんな冗談を口にするのだ。

 「ええ。先輩はいイイ女ですよ」

 「じゃぁ先に帰って、ご褒美を待っているわ」

 

 アリスがそう言うと同時に、自分達を拘束していた結界が消える。

 「鋭児さん……」

 千霧は、鋭児の前に一度立つと、軽く鋭児と抱擁し、それからお辞儀をして、アリスを支えて、その場を去るのだった。

 

 「俺たちも帰ろう……」

 鋭児達は帰路につくのであった。

 

 場面はとある車中に移る。


 車種は高級感のあるミニバンで、手入れの行き届いている艶やかなワインレッドのボディだ。

 「あ~あ、折角良い子見つけたと思ったのに……」

 その車を運転しながら、何とも気怠い失望を見せるのは、美箏と保健室にいた、あの依沢だった。

 「まぁ。そういいなさんなって」

 そして、その助手席に座っているのは、黒羽である。

 そう言いつつも、彼は白のタイトスカートから覗かせる、スラリと伸びた依沢の足を何となくチラリと見やってから、言葉とは裏腹に、さほど残念そうに見えない依沢の横顔を見る。

 

 ミニバンををさらりと転がす依沢の姿はなんとも言えないイイ女ぶりを醸し出していた。

 「貴方が、今日が吉日だ!なんて言い出したのよ?なのに獲物を逃したあげく、ぼろ負けじゃない」

 「何言ってんの!向こうの面子凄かったんだぜ?」

 無邪気か邪気か解らないワクワク感を見せながら、その目は欲求にギラついている。どう考えてもこの男は頭が狂っているのでは無いか?と、依沢は思うのである。彼のそれは、完全の目的から外れている。

 「ふぅん……で?どんな?」

 「恐らく奴らの中でも、トップクラスの戦力が、まぁ四人も五人もやがってよ。オレが相手したのは、まぁオチビちゃんに、例の鋭児君とその彼女なんだけどよぉ」

 特に鋭児と焔が同時に、自分に向けて構えた瞬間の圧力は、思い出すだけでゾクゾクとするのだ。彼は両手に噎せ返った汗を思い出しながら、掌を眺めている。

 余りに主観的な言動に、全く理解が追いつかない依沢だった。

 「どうかしてるわ……」

 溜息しかだしようがなく、相手にするのも馬鹿馬鹿しいとった様子だった。

 

 帰路についた鋭児達だったが、美箏もまた直ぐに自分の家へと戻る気にはなれなかった。

 彼女は、自分の両親が能力の事を全くしらないのだと思うと、気が重くて仕方が無かった。このことを説明すべきか、このまま一生胸に抱えて生きて行かなくてはならないのか?と、今はどうすることも出来ない不安で、胸が一杯である。

 

 そして会話は、その道中のことである。

 「なぁ鋭児兄。オレまだ動いちゃ駄目か?」

 緊急事態だったとは言え、煌壮は戦う事を止められなかった。その時に自分の感覚と動作にズレを感じたのだ。鈍っているが身体は軽い、どうにも落ち着かないのだ。

 「ダメージが慢性的にならないうちに、確り直しておきてぇし、神村先生にも言いつけられてるからな……」

 「でも、このまま順位戦てのに出たら、加減間違えちまいそうだよ」

 「そう……だな」

 煌壮は負ける訳ではないと言いたかった。ただ確かにそれは一理あると思うし、逆にそのままでは、試合中に怪我もあり得るかも知れないと思った。

 「だったら、オメェが確りケアしてやりゃいいだろ?」

 「オレは、医者じゃねぇ。アレだって、どうなってんのか解ってねぇし」

 それは、焔の心臓を治したことと、先ほどアリスの肩を治療した時の事である。

 「鋭児君はもう平気なの?」

 「ああ……ん。ちょっと、疲れたましたね」

 鋭児は、少し下から心配そうにのぞき込む吹雪の様子に、空元気で応えてみせる。

 「本来なら、オレがタップリ添い寝してやりてぇんだが、まぁ暫く吹雪に譲るわ」

 焔は意味深にカラカラと笑いながら、鋭児の肩をポンと叩くのである。鋭児の回復に気の受け渡しを多少なりともしたい焔ではあるのだが、それで再び自分が倒れてしまっては本末転倒である。

 当面はケアされることはあっても、する立場では無いと、そんな自覚から出た科白である。

 

 美箏はただ、黙って連れられて歩くだけだ。今の自分の帰る場所とは、一体何処なのだろうとふと考えてしまうのだ。

 両親に秘匿したままでこのまま一生生き続けるとは、何かを失ってしまっているのではないか?と思わずにはいられない。

 そんな美箏の手を吹雪が握る。

 それは自分の心労を察しているかのようで、彼女もまた寂しげに美箏に微笑みかけるのだ。

 「有り難う……ございます」

 それは素直な美箏の気持ちだ。

 そう、吹雪達も決して望んでそうしている訳ではないのだ。それは鋭児も同じである。

 「て、まだ昼過ぎなんだよなぁ。なーんか、白けちまったな」

 黒羽達の襲来で、外出気分が台無しである。

 焔としては、美箏の家で文恵に甘える事を楽しみにしていたのだ。

 焔もまた、自分の母を騙したいと思っているわけではなく、寧ろそう言う環境で育ち、親の顔すら知らないからこそ、人恋しくなってしまっているのだと言うことも美箏は理解は出来る。

 しかし、それは他人であるからこその、無い物ねだりだ。

 美箏にとっては、自分がまるで異物のように思えてならないのである。

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