第2章 第2部 第18話

 目を覚まし、顔も洗い、さっぱりした煌壮が鋭児に要求したことは、美箏の家にいる焔に会いに行くことだった。

 

 彼等は徒歩で逝く事にする。バスという手もあるが、折角街を見物がてら行くのだから、時間もあることだし、それが良いと思ったのだ。

 特に見慣れた町並みであるが、何かを案内するつもりで歩いたことなどない。

 住宅地であるため特に何か珍しい何かがあるわけでもない。

 「お、おい!」

 鋭児が適当に歩みを進めていると、煌壮は鋭児の肘のあたりを引っ張る。

 「お前、さっさと歩くなよ!迷う……だろうが」

 煌壮は一人で、外に出た経験がない。だから、好奇心もさることながら、見知らぬ土地を歩く事に不安もあるのだ。角を何度か曲がってしまうと、鋭児の家すら解らなくなってしまいそうに思うのだ。

 「ああ……」

 鋭児が、ポケットに手をねじ込みつつも、腕を煌壮に差し出すと、煌壮はその腕の内側に、そっと指先を掛け、キョロキョロとしながら、誘導されるまま、歩くのである。

 「ちょっと、遠回りになるけど表通りいこう」

 「う……うん」

 煌壮の散歩デビューと言ったところか。彼女は若干緊張の面持ちで、相変わらず街を見回す。休日の朝と言うこともあり、人も車もまばらだ。

 それでも、静かな不知火家の邸内とは全く違い、絶えず何らかの騒音で満たされている。ガードレールの整えられた広い歩道を歩いていており、静かな住宅街とは違い、少し背の高い建物が、道の両側に並んでいるが見える。

 「コンビニよって、何か買ってく?」

 「うん……」

 煌壮には若干余裕がない、緊張した唇をきゅっと噛み締めながら、注意を払っているのだ。その姿何ともおかしくて、鋭児はクスリと笑ってしまう。


 その時である。


 「あ」

 「あ?」

 コンビニの駐車場付近で、誰かと鋭児が互いを見知ったように、そんな声を出すのである。

 もう一人の声の主は東条である。

 そして東条は、鋭児の腕に手を掛けて歩いている煌壮を見つける。マニキュアを塗ったような煌壮の綺麗な爪が印象的だ。

 「知り合い……か?」

 「ああ。中学ん時のクラスメイト」

 それは煌壮にとっても、新鮮ではあったが、煌壮の表情は若干観察的で、探るようにして東条を下から睨み上げるのだ。

 東条からすれば、自分が鋭児の彼女と勘ぐられているように見える。

 ただ、東条はアリスと美箏という人物を認知しており、そんな鋭児に女の一人として数えられたところで、大した動揺は無かった。

 それにしても、煌壮は小柄だ。身長は極端に低いわけではない。ただ肩幅や骨格などが、明らかに細いのだ。

 「ええ?黒野。顔出したと思ったら、また別の女連れてんの?」

 これはからかいもあったが、それそのものは事実である。

 「いや、コイツは……だ」

 「俺は、コイツの弟子だ!」

 誤解はされたくないが、どうやらここへ来るためにこじつけた、体面上のその関係を律儀に認識しているようだ。

 「弟子……?」

 鋭児が強いという話は、知っている東条だったが、まさか弟子を作るほどの腕前とは、少々驚きである。高校生にしてすでに弟子持ちとなるほどの腕なら、何処かの大会に名を連ねても、不思議ではない。

 「へぇ……」

 煌壮の体躯を見ても、鋭児の弟子と思えるほど格闘に精通しているようには見えない。東条が若干疑いの眼差しを煌壮に向ける。

 「それ……貸せよ」


 勿論それは、煌壮にも十分伝わっており、当然プライドをかけて、その疑いを晴らさなければならないというわけだ。


 煌壮は東条が持っているコンビニ袋の中にある、缶ジュースを指指す。

 「?」

 東条はなにがどうなのか解らないが、煌壮が疑いを持たれたことに対して心外だと言いたげな顔をしているのは解った。

 さて、何をどうするのかと思い、彼女の望み通りにそれを渡す。

 

 すると、煌壮は缶を軽く宙に放り投げると、それに向かって拳を繰り出す。すると拳は僅かに缶の端を掠め、缶はその場でクルクルと回り始めるのだ。煌壮はそれを何度も繰り返す。

 まるで宙に止まるように、缶はそこで回り続ける。

 「おお……」

 これには東条は驚きを隠せない。何という正確無比なコントロールなのだろう。

 ただ、芸としても少々行きぎている感はある。だが、リズムに乗ってきた煌壮は、得意げにそれを繰り返し、ついでに蹴りも交えて、缶を宙で踊らせるのである。

 

 すると鋭児は煌壮の正面に立ち、東条は鋭児と煌壮の両方を見る事の出来る位置に行く。

 当然煌壮も鋭児が何をしようとしているのかは理解しており、ニヤリと笑うのだ。

 「よ!」

 今度は煌壮と鋭児が交互に、缶の角を掠めて、その遊びに加わる。

 煌壮は、流石だと思った。

 鋭児は煌壮の呼吸に併せて、それを行っているのだ。勿論煌壮も鋭児の動きを見ているが、鋭児は涼しい顔をしている。

 こうなると、東条は手を叩いて感心せざるを得なってしまう。

 そして最後には、挟み打ち缶を止める。絶無料な力加減で、潰れないように二人の足が缶を挟んでいるのだ。

 これは決まったと、二人して決め顔をしていると――。

 

 「ちょ!それ、なんかパンパンになってるよ!」

 東条が一歩二歩と下がり始める。

 「え……」

 どうやら、シェイクされた缶が、内部の圧力にい耐えきれず、破裂寸前になっているようだ。

炭酸系飲料だった。

気のせいかも知れないが、缶がミシミシと音を立てているような気がする。

煌壮が、挟み込むのを止めると同時に、鋭児の方へと、それを蹴る。

「いや、ちょっと!」

 鋭児はそっとキャッチして、慌ててコンビニ店の横にそれを待避させ、三人で若干店から距離を置くのである。

 「ふぅ……」

 どうやら、破裂はしないようだ、考えれば飲む前の缶ジュースを散々足先で蹴り上げたのだから、それはもう飲み物としての価値はない。

 洗えば問題もないだろうが、鋭児は煌壮とコンビニで買い物を済ませて、東条に同じ飲み物を渡す。

 「別にいいのに。面白いもの見せて貰ったし」

 鋭児の何とも律儀な面を見た東条だった。そして、コンビの横に待避させられている缶が、何ともシュールに思えた。

 ついでに、煌壮の手にはコンビニで買ったソフトクリームが持たれており、彼女は早速それを食べている。


 それから鋭児は、コンビニから立ち去る東条を見送る。

 それを、煌壮がじっとりとした横目で睨みながら、彼の脇腹に遠慮の無い肘鉄を入れるのである。

 「んだよ……」

 「別にぃ……」

 

 それから鋭児は、どうにか爆発せずにすんだジュースの缶を拾い、他の荷物と共に美箏の家へと持って行くことにするのだった。

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