第2章 第1部 第20話
鼬鼠は鋭児の横であったため、要するに鋭児に片付けておいてくれと言っているのだ。そしてそれを聞き入れている鋭児がいる。この二人の関係は少しずつ密になりつつある。
「うん」
そして静音も素直にその忠告を受ける。
その時、鋭児の後ろ側で、酷く乾いた、食器の転がる音が聞こえる。
「おっと、悪いな。ぶつかったよ」
いかにも悪意の隠った謝罪をしている男子生徒がいる。そして煌壮の頭髪から制服に至るまで、汁気のものが盛大に掛かっているのだ。
しかし、それに対して煌壮は一瞥をくれるだけで、黙々と地分の食事を進める。
「くっだらね……」
そして、あざといその行為に対して、彼女はその一言だけを漏らすのである。
勝負以外の行為で挑発をするにも、余りに稚拙すぎると彼女は思ったのだ。
「キラちゃん……」
彼女を心配そうにして、ハンカチを取り出して、煌壮の顔を丁寧に撫でている灱炉環がそこにいた。そして煌壮はそれを邪険にすることもない。ただ、礼を言うこともない。
そして、煌壮はオムライスを口の中に掻き込み始めるのである。
「しょっぺぇ……」
味噌汁が掛かってしまったオムライスの味は、本来の甘みと酸味と濃厚さがすっかり損なわれてしまっていた。それでも煌壮は、そんな挑発には乗らずにいた。
尤も、そんな煌壮が盛大に彼方此方で、彼等のプライドをへし折りにかかったからこその仕返しなのである。
「おい……」
ただ、そんな男子生徒を鋭児が呼び止める。
いつの間にか、鋭児がそんな彼の肩を掴んでいるのだ。
「な……なんすか?」
流石に炎皇黒野鋭児に呼び止められると、その圧力に喉が詰まりそうになってしまっている。
「こぼしんたんなら、ちゃんと始末してけよ」
下らないが、エチケットである。ただ、もう一つのエチケットに対しては、鋭児も何も言わない。
「あと、無関係な奴巻き込むなよ」
そういった鋭児は、少しだけ指先に力を込める。それだけで、肩を握り潰されるイメージしか、彼には解らなかった。
そんな鋭児が視線を向けたのは、灱炉環の方である。
彼女は煌壮の事ばかりを気に掛けていたが、彼女の制服も実は汚れてしまっている。
「わ……解りました」
渋々返事をする男子生徒である。
そして、鋭児は何も言わずその場を去り、再び晃平達の横へと戻って来る。
「去年の焔サンの事件思い出すよ……ったく」
「まぁ、どうしてもエリート意識ってのがあるからね。飛び込みでF1に収まってる彼女が面白くないのに、尚且つ飯事扱いされちゃね」
晃平は、その垢抜けない稚拙なプライドというものに、苦笑するしか無かったが、それとも上手く付き合って行かなければならないと思っている。
だから、煌壮が一方的に阻害されているとは思わないのだ。
その日の午後――――。
鋭児は、久しぶりに午後の授業のような気がしないでもない。
そうはいっても、炎皇になった鋭児は、待ちの一手である。唯一で向いて相手をして貰えるのは鼬鼠くらいだが、この日はそうもいかなかった。
抑も炎皇なったとなると、基本的にあまりウロウロすることも出来ない。
吹雪や焔は時折、鋭児の所に顔を出すこともあったが、始終というわけでもない。矢張りこの立場となると、構えていなければならないということになる。
「これ、結構自己管理大変だな……」
鋭児は、退屈の余り、掌に気を集中して、片手倒立をする。
「おい……あれ、浮いてんよ……」
鋭児がそれをし始めると、周囲はざわめき始める。昨期の鋭児では全く見られない光景である。これは気のコントロールの一環である。
焔の進めでもある。
焔は中央で構えている事が多かったが、そう言う意味では、鋭児は貧乏性だった。
時間があれば、何かをしていないと気が済まないのである。鋭児は自分にはたりないものがまだまだ沢山あると思っている。
事実その通りではある。これほどの力を持っていても、彼はこの学園に訪れて一年である。
「そんなことしてたら、邪魔しにくいだろ?」
晃平は挑戦者癖の抜けない鋭児をクスクスと笑い、彼に近づいてくる。
「知ってるだろ?俺が直ぐ集中力無くなるの……」
「まぁ……そうだな。その辺のハンディキャップは幾らお前でも埋めづらいか」
「目標は百四十四時間ってよ……」
「うは……誰の課題だよそれ」
「焔サンだな」
「なかなか厳しい師匠だな……、どれ……俺も」
そうすると見よう見まねで晃平も真似をする。掌に気を集中して、身体を宙に浮かせるというのは、ただ力を吐き出し続ければ良いのではない。寧ろクッションのようなイメージで、地面と掌に、気の塊を形成するイメージといってよい。
「てか、こんな修行言いつける先輩って、俺みたことないぞ」
晃平は、これは中々厳しいと思った。ただ、そう言う気のコントロールは、抑も晃平の方が遙かに得意なのだ。
鋭児がそれを出来るのは、明らかに力業だ。
そして、何故かこれが、F1クラスのブームになり、一〇分間の準備運動代わりになるのは、割と間もないことだった。
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