第2章 第1部 最終話

 煌壮が寝ていたのは、炎皇の部屋の別室である。

 それは、焔や鋭児達が使っていた、大きなメインルームではなく、来客用に設置されている個室である。

 ホッと一安心した煌壮だが、彼女は抑もバスローブのみを羽織っている状態で、その下は下着である。そして、ショーツは今、ローブのポケットにねじ込まれた状態だ。

 「何か食うか?」

 「……何でもいい……」

 鋭児は積極敵に声を掛けるが、煌壮には抵抗がある。どのみち身体が思うように動かないのだから、命令されれば従わなければならない状況だ。

 置かれた状況が、最悪だと感じたのである。

 

 鋭児は部屋を出る。

 「吹雪さん!」

 部屋を出た鋭児は、遠慮無く彼女の名を呼ぶ。

 そして少しすると、吹雪が部屋に入ってくる。そうすると煌壮は、怖ず怖ずと挨拶するのである。

 といって、身体が動かせないので、ほぼほぼ目線だけの挨拶となる。

 そして、吹雪は何も言わないで、煌壮の膝や、肘などを触り始める。すると、ヒンヤリとして気持ちいいのだ。

 「最低二週間の試合停止。五月の連休明けの順位戦にコンディションを作れるかどうかって所。無理は禁物。鋭児クンの言うことを聞く。私も今日は、こっちに泊まって、煌壮さんの治療の手伝い」

 吹雪は、淡々と煌壮のすべき事と、置かれた状況を説明する。

 「……はい」

 煌壮は、やけに素直な返事をする。

 初めて吹雪と接したときのなんとも言えない威圧感が忘れられないのである。そして今も吹雪は涼やかな顔をしているが、内心穏やかでない事を、煌壮は知っている。

 それは吹雪が煌壮を嫌ってのことではないのだが、煌壮としては最初の印象が悪すぎた。

 

 「スープ……」

 鋭児が煌壮のいる部屋に再び現れ、カップに入ったコーンスープを持ってくるのだ。

 吸収も良いし、暖まるし、ここ数日痛めつけられた煌壮の身体に、まずはストレスのない食べ物を、ということだ。

 「鋭児クンは、少し寝てて」

 「あぁ、いや、今のうちに焔サンのリハビリに行ってくるよ」

 「そう?じゃぁ、鋭児クンも無理はしないでね」

 「はい……」

 鋭児に対しては、絶えず柔らかな笑みを絶やさない吹雪である。そんな吹雪の微笑みを見ると、鋭児は目を細めて、そう返事を返すしか無かった。

 

 スープを飲み終えると、煌壮は再び眠りにつく。

 煌壮の身体には、まだ熱がこもっている。吹雪は彼女の額を撫でたり、炎症を起こしている部分に触れたりしつつ、痛みを取る作業をしている。

 「鋭児クン。気の使い方上手になったな……一年前は、何も知らなかったのに……」

 吹雪は一晩を通して、煌壮の状態が随分良くなっている事を知る。

 ただ鋭児は炎の使い手であり、吹雪のようにアイシングなどは出来ない。

 吹雪が呼ばれたのは、鋭児が少しでも煌壮の怪我をよくしてやりたいからという思いからだ。

 当然、煌壮の治療をすると言うことは、鋭児も吹雪も、登校出来ない事になる。それだけの時間を彼女に費やすことを決めたのだ。

 

 その日の夕刻。

 

 煌壮は再び目を覚ます。

 側には誰もいない。部屋は静かな者だと思われた。

 だが、何やら声が聞こえる。

 「でね?同類項を……こうして纏めて……」

 「ああ……」

 それは吹雪と鋭児の声だ。

 煌壮は、疑心暗鬼ながらも身体を起こす。起こせないとも思ったが、何時までもベッドで寝ているわけにはいかないのだ。

 そして思った以上に身体が動くことに気が付く。重たさはあるが痛さはない。

 「トイレ……」

 煌壮は、起き上がり部屋から出ると、何故か赤縁眼鏡を掛けて、鋭児の家庭教師をしている吹雪がそこにいる。

 急に扉が平からタモのだから、勉学の師弟関係となっている鋭児と吹雪の視線が、一斉に煌壮に向けられることとなる。

 「トイレいってくる」

 煌壮は、無愛想な声で断りを入れながら、ゆっくりだが鋭児と吹雪の横を通り過ぎて行くのだ。そして、トイレに隠る。

 「半日しか経ってねぇのに……チクショウ……」

 厳密に言うと、一晩以上は経っている。ただ、自分が気が付いてから夕方という時間を考えると、その復調のめざましさは、手に取るように実感出来る。

 半年だ。

 自分のデビュー戦だったはずの試合を奪われて半年である。

 戦う技術は確かに煌壮も磨いてきてはいたが、それ以外の分野での気の扱いで、これほどの差が生まれている事が信じられなかった。

 自分の成長を完全に置き去りしてしまっている。他人のコンディションをコントロール出来る程の技術を、鋭児が身につけている。

 それは繊細さが必要なのだ。

 「何でだよ……なんで……」

 煌壮は悔しかったのだ。力はあるが、素人だと思っていた鋭児の変貌ぶりに、悔しさがにじみ出る。まだそれほど強く握れない拳を、それでも強く握り、軋む音がするほど、歯を食いしばるのだった。

 

 

 数分経つ。

 

 「腹減ったか?」

 「すいた……」

 鋭児と、トイレから出てきた煌壮の会話がまずそれだった。

 「私鋭児クンのチャーハン食べたいなぁ」

 吹雪がそんなリクエストをするのだ。そんな吹雪は実に機嫌良くニコニコしている。そして、それは数少ない鋭児のレパートリーである。

 「はいはい……解りました」

 煌壮の事を考えれば、もう少し栄養バランスを考えた食事の方が望ましいのだが、吹雪にそう言われてしまえば、鋭児としては返す返事がなかった。

 

 そして、煌壮が初めて食した鋭児の大したことの無いはずの手料理が、妙に暖かいのであった。

 

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