第1章 第7部 第26話
冬枯れの雑木林が、より空気を引き締めに掛かっており、美箏の火照った心には、その寒さが寧ろ心地よかった。
美箏は、ミルク仕立ての抹茶ティーのペットボトルを両手で持ち、心身を冷やすのとは真逆に、その手に温もりを感じているのだった。
「雹堂さんのメール聞いてない……な。アリス姉さん……出るかな……」
美箏は、知らずにアリスのことをそう口にしており、はっとして気がつく。それは彼女が美箏に掛けた暗示であり、要するにアリスのことをそう口にすると言うことは、美箏の心が乱れているということだ。
しかし、そのアリスが抑も美箏の心を乱した張本人である。
美箏は先ほど依沢から貰った紙の包みを再度取り出し、それを思わず繁々と見つめる。
「こ……こんなのどうしろっていうのよ」
美箏が手にしていたのは、男性用の避妊具である。つまり男性に、最低限のマナーを守らせろということだが、美箏は想像を膨らませはするものの、当然其処にいたる勇気や冒険に対して一歩踏み出すということなど、自分ではあり得ないと思っている。
「やっぱり、こう言うのは大人になってから!うん……せめて卒業してから……」
若干自分に対するハードルを下げつつ、改めて道徳心と常識に自分の身を委ねる事に決心をするのだった。
清い冷風が彼女の心を落ち着かせたらしい。依沢のアドバイスが役に立ったといったところか。
美箏が、納得してそれをしまおうとした時だった。
「あれ?こんな所で女子高生とか……」
不穏な空気である。そんな風に声を掛ける男に碌なものなどいはしない。抑も人気の無い神社の一角に、彼女のような女子が一人居ることも、確かに希で、要するにそういう場所は、治安という部分から、若干縁遠くなるのもまた確かな事なのだ。
白いニット帽とオレンジの、フリースパーカーを着込んだ、青年が慎重に距離を詰めながら、美箏に歩み寄ってくる。
「おい見ろよ隆史!コイツ、こんなの持ってるぜ!」
隆史が注意を引きつけ、もう一人の男が、美箏の手首を強く握り、彼女の手から、それを取り上げるのだ。
「え?なに?そんな顔して飢えてんの?ああ、まぁこんな時間にこんな所でサボってんだし、中身は満更ってことか」
「痛い!やめて!」
その間に隆史は、美箏に近づき、彼女から奪われたそれを、仲間と繁々と見つめて、ニヤニヤとしている。
「うわ……コイツ結構良い匂いするぜ」
美箏の手首を吊り上げていた男は、彼女の首筋に鼻筋を掏り当てながら、美箏の香りを堪能する。
「これ、発情してんじゃん……やば。コイツ、ビッチか?」
隆史も反対側から、美箏の匂いを嗅ぎ始める。
「うわ……出た。お前ほんとそういうの、良く解るよな」
もう一人がケタケタと、卑猥なエイもを浮かべながら笑い始める。
「こんなの、使わない方がもっと気持ちいいよ?な?」
隆史は美箏の耳元で、しめった息を吹きかけながら、彼女の性感をくすぐりに掛かる。
「やめ……」
美箏は、首を竦めて抵抗するが、手首を強く握られ吊り上げられているため、立ち上がる態勢に入れず、隆史に耳元を責められ続ける。
「助け……て」
抵抗したいはずだというのに、耳元の騒めきが、彼女の体中にノイズを走らせ、行動不能にさせる。腰の力が抜け、膝頭が震え、完全に恐怖で体中がパニックを起こしている。
やがて隆史が美箏の背中にピタリと身体を寄せ、後ろから首を抱き込むようにして彼女の口を塞ぎ、もう片手を彼女の両膝の間に滑り込ませようとした瞬間。
もう一人の男が、急に吹き飛ぶ。
「いって!なんだ!?」
吹き飛んで鼻頭を抑えた男が叫ぶ。
隆史は一度それに視線を向け、先ほどまでに彼がいた位置を見ると、そこには黒髪の女性が立っており、今度は隆史の手を捻って、美箏から引き剥がし、隆史の後ろに回り込むと同時に、腕を更にねじ上げ、隆史を立ち上がらせ、そのまま前に突き出しす。
バランスを崩した隆史は、もう一人の横に、無様に倒れ込む。
「この前、治安が悪くなったと。皆で話をしていたでしょ?」
それはアリスである。本来学園にいるはずのアリスが、何故か其処にいるのだ。
いつ来たのか?美箏も信じられないが、悍ましい恐怖から彼女を救ったのはアリスである。
「アリス……姉さん!」
美箏は一瞬アリスに抱きつこうとしたが、アリスは美箏の前に掌を突き出して、それを制止する。
「この!ま、まぁイイ女そうだし、この分のお礼はタップリその身体で払って貰うかな」
隆史は、不意を突かれたからこそ、女の細腕で自分達は弾き飛ばされたと思っている。
彼は得意げに身体全体でリズムを取りながら、拳闘のスタイルを取るのだ。
「え?」
だが、次の瞬間隆史は、グルリと回る空を眺めていた。そう思った直後には、背中を地面に強打している。
二人の間に割り込んだアリスが、あっという間に、彼等に足を掛け、襟首付近を掴み、引き倒してしまっているのである。
美箏にも、どのタイミングでアリスがその位置に移動していたかなど、分かりはしない。ただそうなっていたのだ。
そしてどこからともなく取り出した、数本の真っ黒な刃で、二人の衣服と地面を貼り付けにする。それは間違い無く気の力だが、通常の人間にも可視出来る程練り込まれた強い力だ。
その時、アリスの身体全体がノイズのように一瞬乱れる。
「よりによって神社だなんて……、私の相性と悪い場所ね」
美箏は自分の目を疑う。目の前にアリスは確かにいるのだが、彼女の像が幾度となく乱れるのだ。
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