第1章 第6部 第41話

 鋭児達は息を曇らせながら、近くにある神社まで初詣に来る。

 規模はそこそこにあり、夜中だというのに多くの人で賑わっている。ただ、人が通る隙間もないほどの状況というわけでもない。参拝を含め、少しくらい露天を巡る余裕などもありそうだ。

 そして除夜の鐘が鳴り始める。愈々年納めという雰囲気だ。

 「ふふ……」

 少し微笑んだアリスが、するりと鋭児の腕に絡んでくる。

 ただ、べったりという感じではない。

 「美箏も……」

 迷子になってはいけないと、鋭児は少し窮屈そうに振り向きながら、後ろを歩く美箏に手を差し出すのだ。

 「あ、うん」

 連れられて歩くような感じにはなってしまったが、人波に流されないように、鋭児と美箏の手は確りと握られている。

 この寒空だというのに鋭児の体温は、全く損なわれていない。温かい手である。

 それだけに、自分の手が、この気温で冷え込んでいるのが解る。本来手袋の一つも穿いてくるべきだったのだが、この瞬間を思えば、その後悔も何処かへ吹き飛んでしまう。

 美箏は、昨晩から少々自分の心のタガが外れていることは理解している。朝、目が覚めれば、すっかり鋭児の腕の中である。今までの自分なら、誘われるままに、寝床を共にという倫理観に反することなど、あり得ないことなのだ。

 今思うだけでも、顔から火が出そうなほどに恥ずかしい経験であるが、それでいてそれが心地よいと思ってしまっている。

 鋭児はどう思っているのであろうかと、彼の手を少し握ってみる。

 しかし、抑もは鋭児は確りと美箏の手を握っており、それ以上強く握り返されたり、別の反応を見せることもない。

 「不思議ね。他愛も無い食べ物ばかりなのに、とても良い匂いだし、お腹がすいてしまうわ」

 少々気まずくなりそうな物言いをしながら、アリスが鋭児を無理矢理引っ張っていったのは、屋台の焼きそばだったり、たこ焼きだったりと、あらゆる食べ物の露天である。

 「まぁ年越しそばってだけじゃ、確かに物足りないっすからね」

 そう言って、アリスに振り回されるまま、あれやこれやと購入しつつ、彼等は、少し神社の通りから外れた、横道にあるベンチに腰掛ける。

 「あっと、飲み物買ってきますね」

 本来なら、女性二人だけという状況にしておくのも物騒な時間ではあるのだが、美箏の傍らにいるのは、アリスである。彼女がいるのであれば万一のことはあり合えないと、鋭児は安心してその場を離れることにする。

 「ゴメンなさいね。一寸出しゃばり過ぎてしまったわ」

 少し薄暗い中、街灯に照らされた包みを一つ二つと選び始めるアリスだった。

 「そんなこと……」

 確かに鋭児と並んで歩くことが出来ればと美箏は思ってしまっていたが、アリスがいなくとも、焔や吹雪が居れば自分の場所など、さしてないのだろうと思ってしまうのである。

 「やっぱりたこ焼きからね」

 アリスはそう言って、たこ焼きの包みを開ける。そんな彼女はなんとも無邪気で楽しそうである。

 「来年は、きっとみんな忙しい年になりそうだから。正直多分鋭児もお正月は、ううん。こればかりは解らないわね。あの子達こっちで過ごすのを楽しみにしてるから」

 それは、当然吹雪や焔を含んでの事である。それはニュアンスで解る美箏で有り、アリスのそれにコクリと頷くのである。

 二人きりでいられる正月も確かに良いのだが、皆が楽しみに思っている時間を奪い取るということは、彼女に出来るわけもなく、焔に良いようにからかわれている鋭児というのも、それはそれで傍目から見て、中々楽しいのである。

 それに、今回焔が来ていないことを残念がっていたのは、自分の母である。千霧の名前を出さないのは、美箏の中で千霧は、まだ千霧の存在が理解されていないからである。

 ただ、それも少しすれば解ることだと、アリスは思っている。

 「多分。吹雪が大学を出る頃には、子共の一人くらい出来ていそうね。焔は花嫁修業の方が先でしょうし」

 と、少し美箏の慌てそうな話をするが、なにせ吹雪は清純そうな外見とは裏腹に、行動は過激そのものであり、焔は直球でそのままの性格だ。

 要は、二人ともそのつもりでいるし、鋭児のシェアという考えは、変わらないだろうとアリスは言いたいのである。

 「あ……アリスさんは、どうなんですか?」

 本来なら、誰彼無しに手を出しているようにしか見えない鋭児なのだが、美箏はあいてそれを避けるような言い回しをするのである。

 要するに、ライバルはどれくらいいるのか?という意味である。

 「そう……ね。あの子次第……かも」

 他人のことはえらくハッキリと言っているのに、自分の気持ちはさておき、鋭児にその主体性を任せるとは、妙な話である。

 あれだけ、距離を詰めていたのなら、彼女はさぞ鋭児を気に入っているのだろうと思うし、鋭児もアリスとの距離感を嫌がってはいなかった。そして、夕べも二人で鋭児の腕枕をシェアしていた事実がある。鋭児は、アリスに言われるがままに、そうしている。

 美箏としては淫らで不謹慎であるはずなのに、そこには嫉妬がなかった。正直心地よく舞い上がっていたために、そう言う思考も欠落していた。

 尤も、鋭児がアリスに素直に従う理由の一つとしては、後で何をされるか解らないという、防衛反応が働いてのことでもある。

 「お待たせ……」

 鋭児が三人分の飲み物を買ってくる。食べ物的にお茶のペットボトルである。

 「これ喰ったら、行きますか」

 彼等は露天巡りばかりをしていて、本殿への参拝へはまだ向かっていないのだ。

 そうしている間に、除夜の鐘も鳴り終わり、年始めのカウントダウンなどはとっくに過ぎてしまっていた。

 夜中だというのに、煌々と照らされた電球のために、夜の静けさとは無縁ではあったが、こうして喧騒の中から離れると、矢張りそれなりの深夜なのだなと、鋭児も思う。

 鋭児がやってくると、アリスは、すっと美箏との間を空ける。

 要するに鋭児に対して、真ん中に座れといっているのである。

 「あーん」

 鋭児が座ると、何の躊躇もなく、鋭児の上にたこ焼きが置かれ、アリスは口を上品に開いて、彼にお強請りをするのである。

 確かにたこ焼きも少し冷めており、口の放り込んでも、パニックになることもない。

 「はいはい」

 ご機嫌を損ねなければ、アリスも大人しいモノであると、鋭児は心得たように、彼女に一つたこ焼きを運ぶ。

 「鋭児は食べさせる係ね」

 「いや……それは……」

 自分に食べる権利はないのかと、思いつつ。鋭児も自分の分をたこ焼きを楊枝で拾い上げた時だった。

 「あら……ちょっと嫌な雰囲気ね……」

 そう言って。アリスがすっと暗がりの中を指指すのである。

 「ん?」

 鋭児が視力に集中すると、彼の光彩がほんのりと赤みがかる。

 「ああ……」

 鋭児自身はそれに気がついていなかったが、僅かな暗がりが、鋭児の目が鈍く光っていることに、美箏も気がつくのである。

 一瞬何かの見間違いではないのかと思った直後。

 「美箏。あーん」

 「あ……あーん」

 何のご褒美かと思ったのだが、鋭児自身は美箏の方を見ていない。だが、正確に美箏の口元へとたこ焼きを差し出している。

 美箏がそれを頬張っていると、鋭児はすっと立ち上がる。

 「一寸行ってくる……」

 「え?」

 美箏には会話の内容が理解出来ていない。ただ、連続で不意を突かれて、少し落ち着きがなくなってしまうのだ。

 鋭児は立ち上がると、そのまま暗がりの方向へと向かってあるて行く。

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