第1章 第6部 第37話
そして、鋭児とアリスの二人だけになる。
すると、途端にアリスは椅子に座ったまま、両腕を伸ばしながら、猫のように眠たげな欠伸をするのである。
無理もない。朝が早かったのだ。そしてアリスとしては、慣れない街への外出でもある。
「ベッドで話しましょう」
「ベッドって……」
ベッドと言えば、この家には鋭児のベッドしかない。場所は自ずと決まってしまうのだが、鋭児はアリスから聞かなければならないことがある。
鋭児は自室のベッドにごろりと寝そべると、アリスは鋭児の腕枕の中に、すっぽりと頭を納める。
「いいわよ……」
少し眠たげなアリスが、目を閉じながら鋭児の質問に応える用意をするのである。
「美箏って……そうなの?」
「そうね。というよりも鋭児、貴方も黒野家なのだから、不思議なことじゃないでしょ?」
そう言われてしまえばそうなのだが、美箏自身は全く自覚がないようで、勿論鋭児も自覚はなかった。学校で力を引き出されるまでは、彼は普通の学生だったのだ。
しかしそれはそれで不自然で、だとしたら身内から能力者が出ていても不思議ではないと鋭児は思ったのだ。しかし父も母も普通の生活をしており、あの日が来るまで鋭児は、自分にそんな力があるとは思いもしなかったのである。
「でも、もし俺みたいに力があることを美箏が知ったら……」
鋭児は、アリスが美箏に筋が良いといった言葉をハッキリと覚えている。先ほどの会話なのだから、抑も忘れるはずもないのだが、アリスほどの人間に筋が良いと言わしめる人材なら、何時それに気がついても不思議ではないだろう。
勿論その時は、相当なパニックになるだろうが――――。
「知っている人がいて、嘘をついている人が居れば、隠すことは大した問題じゃないわ。ただ、黒野家はそれほど強い能力者の家柄ではないから、普通の人との交雑で、能力は薄くなる一方でしょうけど、たまに居るのよ。隔世遺伝的な……ね」
それが自分であり美箏であると言うことか?と、鋭児は思うのだが、その事実は異なる。鋭児は抑も、母方の血の影響であり、能力も炎系である。
黒野は黒を冠することから、闇の能力者の系統であることは、鋭児にも容易に想像出来た。だとすれば鋭児の能力は、その名を冠するところから、本来は闇でなければらないのである。
「えっと……」
鋭児は若干混乱する。
「フフ。貴方は、黒野鋭児よ」
確信を持ったアリスのその一言である。何故彼女はそこまで確信を持って言えるのだろうと、鋭児は思ったが、彼女が魔女と呼ばれる学園一の闇の能力者であることから、自分達の知らない何かを見ているのだろうと鋭児は思った。
納得でたわけではないが、彼女は軒並み近未来を指し示すような一言を言う。
初めての占いの時のことを思い出す。彼女は晃平や鼬鼠たちに、予言めいたことを口にしていたのだ。
「アンタ本当に何物なんだよ」
「お姉ちゃんよ……」
何処までが嘘か本当なのか、アリスは人をはぐらかすような一言をさらりと言う。
「ハイハイ……」
自分を意地でもそう呼ばせたいらしいアリスは、その一言を最後に、鋭児の腕枕の中で、すやすやと眠ってしまうのであった。そして鋭児もそのままアリスに腕を貸したまま、眠りについてしまう。
鋭児は夢現の中、美箏の力のことを考える。思考と言えないレベルではあった。
美箏とは、子共の頃から一緒に育ったといっても過言ではない。鋭児は生活こそ祖母と共に過ごしていたが、帰り道なども彼女と共に過ごしたり、疎遠になることはなかった。
ただ、鋭児は中々心の内を明かすことが出来なかった。彼自身両親の死を消化しきれないまま、ここまで歩んできたのだ。
従妹である美箏には、気持ち的に随分救われたとは思っている。信頼出来るし迷惑も掛けたと思っている。だから家の売却金の一部が彼女の学資に充てられると聞いた時も、差ほど腹立たしさはなかったし、寧ろ彼女の役に立てるなら、それでも良かったのだ。
色々な気持ちが蘇ってくる。
鋭児は、消化しきれない事実に苦しまないため、諦めるという選択肢をとった。家が売られると聞いた時、それで良いと思った。
だが、蛇草がそれを救ってくれたとき、本当に膝が崩れそうなほど、自分が安堵したことに気がついたのだ。帰る場所を失うという、自分がそこから断ち切られてしまうと言うものが、どれほど切ないものかと、身に染みて理解したのである。
この家は自分が帰ることの出来る場所なのだ。
今日も、美箏は態々それを知って、昼食の準備までして、自分を出迎えてくれたのである。美箏もまた、この家が残ることで自分との繋がりを残しているのだと、鋭児は思う。
美箏には沢山助けられたが、考えれば余り美箏を見る余裕が、自分にはなかった。
時間の余裕をくれたのは、間違い無く焔であり、吹雪である。めまぐるしく動いた数ヶ月だというのに、不思議と気持ちは満たされている。
先ほどのアリスの話を思い出す。恐らく今後美箏は、力のことで困ることが出てくるかもしれない。その時は間違い無く自分が助けになるべきだし、そうしなければならないと鋭児は思った。
いや、それ以前に、この短い滞在時間で美箏に何か出来ることはないだろうか?と鋭児は思うのだった。
夢現の中で、途切れ途切れに、そんなことを延々と思っていた次の瞬間、鋭児は眠りの中から目を覚ますのである。
自分の腕を枕にしていたアリスは居ない。
何処へ行ったのかと思うが、窓から差し込んでいた、冬の弱い日差しはすっかり消え失せており、常夜灯の明かりが、僅かに部屋の中を薄暗く照らすばかりだ。
「来年、LEDにでも取り替えるかな……」
鋭児はそんなことを呟きながら、ベッドから起き上がり、緑の蛍光色でボンヤリと光っている電球の紐を二度ほど引く。
白昼色の蛍光灯が、数度瞬いた後、部屋を明るく照らすのだが、殺風景な部屋は、十二月の気温ですっかり冷え込んでしまっていた。
本来それを寒いと思うのだが、炎の能力者の鋭児は、体幹で気温を低いと感じながらも、震えるほど寒いとは思わなかった。
彼の中で、絶えず炎のエネルギーが満たされており、寒さに対しての抵抗力を上げているのである。
鋭児が降りてくると、野菜の良い香りがする。それに薄らと出汁の利いた香りもするのだ。
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