第1章 第6部 第28話
旺盛と重吾達で交わされた会話は他愛もないものだった。だが、それでも将来の有望株に対して少しでも時間を割こうとする彼の気配りは実に細やかだ。
霞は線の細いタイプで、何となく暖簾に腕押しという言葉がついて回りそうな、柔和さがあるが、旺盛は質実剛健と言うに相応しいタイプである。
「旺盛様……」
線の細い朱色の髪を持つ、上品なスーツ姿の女性が室内に現れ、重吾と赤羽に軽く会釈程度に頭を下げ、視線を再び旺盛に向ける。
「もうそんな時間か」
「外出予定でらしたんですね」
旺盛がそんな時間を自分達のために割いてくれたのだと思うと、尚申し訳なく思う重吾だった。
「まぁな。来年行われる豊穣祭の打ち合わせに、天聖家の方へ……な」
それには少々面倒そうな旺盛の姿があったが、これも当主の務めなのだと、諦めている様子でもある。
豊穣祭は、主語六家の中心となる、宮家の恒例行事であり毎年のように行われている。
この国の繁栄を願い祝う祭である。ただ、場所も段取りも大体は決まっているため、態々この時期から行われることもない。
抑もまだこの時期の豊穣祭も終わっていないのだ。
「ああ、来年次の皇女様が十六才の成人を迎えられるんだよ」
内緒話というわけでもないのだが、赤羽が潜めた声で重吾にそれを説明するのだ。重吾はなるほどと思う。
恐らく自分では一生目に掛ける事の無い存在なのかもしれないが、陰陽二家が守護するのはいわゆる宮家と呼ばれる彼等の原点とも言うべき存在の家柄なのだ。
彼等は特に姓を持たず代々名だけを有する一族で、基本的に女系皇族と言うべき家計で、その次代の皇女が成人するため、儀式が大掛かりになるということだ。
「まぁそういうことだ。余り気軽に名を出さぬようにな」
旺盛は軽く咳払いをして、赤羽の軽口を注意する。
赤羽がそれを知っているのは、当に彼が赤羽家の子息だからである。
焔も吹雪も、また鼬鼠家の嫡子である鼬鼠翔も、その事を知ってはいる。それは立場上のことで、その時が来るまでは、秘匿とされている話だ。
彼女がやがて家を継ぐ事になる。
「オレもそろそろ検査に行ってくるよ」
赤羽はわざとらしくギプスの撒かれている腕を軽くアピールしながら、旺盛のいなくなった応接室から出て行く事になる。
こうなるともう、自由に歩き回って良いことになるのだが、幾ら不知火家にいたときの焔がどういう行動を起こしていたのか、なぜ戻ってきた焔に違和感を感じざるを得ないかを知りたいとしても、あからさまにそれを聞いて回る訳には行かない。
まずは日々闘士達が訓練している、鋭児と焔が戦った闘技場に、重吾は顔を出すことにする。
そこには、煌壮の相手を買って出ていた磨熊がいた。
どうやら二人だけのようである。
磨熊は裏表のない男なだけに、煌壮も相手を頼みやすいのだろうし、また華奢な体で、力強い技を繰り出す煌壮を、存外嫌いではなかった。
「よう。これは珍しい、吾壁じゃないか」
磨熊は煌壮を相手にしながら、重吾を見やる。単純な組み手であるため、磨熊にとっては余裕なのである。
「磨熊さん。まぁちょっと、ね。当主が出かけてしまったんで……」
「ああ……」
磨熊は直ぐに、重吾が当主に会いに来たというのに、彼と入れ違いになってしまったと思ったのだ。実際は少しの間会話もしたし、そのために旺盛も時間を作ってはいたのだ。
ただ、それは重吾の本来の目的ではない。こうして彼等と話すのも目的の一つだ。
「オレが、相手してやろうか!?」
煌壮が暇を持て余していそうな重吾に声を掛ける。
磨熊の小型版であるかのような重吾なだけに、煌壮としても戦いは想定しやすかった。なにより、力量を測るにはちょうど良いと思ったのだ。
「宜しく頼みます」
煌壮はまだ中学生だったが、それでも重吾は丁寧に挨拶をする。その時点で磨熊は何となくピンときてしまうのだが、それはその通りで、下手に出ていた重吾は、健闘の末、煌壮に負けるという事になる。
良い勝負を演じたが、重吾は煌壮に花を持たせた事になる。
磨熊から見たら、年下の女子に花を持たせた甘い男だというように見えたが、鋭児に負けた鬱憤も貯まっているだろう煌壮に、勝ちを譲ったのがその事実だ。
失礼に当たるのかもしれないが、重吾はそもそも闘士として戦うつもりはない。
「強いね」
それでも重吾はその一言を添える。勿論それは本音であり、彼女が良い素材であることは理解した。
「焔さんの右腕がどんなもんか一回やってみたかったんだけど、まぁやっぱあの人は別格だよな」
煌壮はウンウンと頷いて、それに納得する。
「そうだ。お前黒野鋭児とはやったのか?」
それは勿論戦ったことがあるのか?という、磨熊の単純な話だ。
「ああ。自慢じゃないが。一応兄貴分ってことになってる」
それは鋭児自身がそう思っており、力は越えても、重吾には頭が上がらない、彼の本音でもあり、重吾もそれに誇りを持っている。
ワクワクした磨熊の表情からも、鋭児の強さを実感したのだろう事は、直ぐに解る。
事実重吾も鋭児が誰と戦ったのか?ということぐらいはすでに知っているし、当人からも聞いているし、映像も入手している。
ただ、二人がその話で少々盛り上がろうかという様相になったとき、煌壮は非常に不機嫌な表情になる。これには重吾も苦笑いである。
「で、どうでした?鋭児の奴は」
「おう。強かったなぁ。一試合目からぶん回してたんで、最終戦まで保たんだろうと思ったが、そのまま焔とまで、持ち込みやがったからなぁ」
磨熊は鋭児の底なしぶりに感嘆していた。
その粘り強さの片鱗はすでに鼬鼠戦の頃から、解っていた事だが、体力自慢の磨熊にそう言わせるのだから、重吾も舌を巻く。
「あんな奴、次に必ずオレが、バキバキにぶっ倒してやる!」
煌壮は悔しそうだった。そして彼女の中では、終の一撃で鋭児の両腕をへし折る妄想が膨らんでいた。
「武者修行の一環らしいが――――。まぁ、アレが東雲家に行くのは少々残念だな」
焔の話をしたい重吾の前で、鋭児の話ばかりが出てしまう。
「てか、焔姉元気してる?」
「ん?ああ。まぁな」
「そっか。あの双龍牙双脚って技、負担かかるっぽくて、一日ダウンしてたからな」
「そう……なのか」
「鼬鼠家の女に担がれて寝室までも取ってたし。爺様も心配してたからなぁ」
「そうなのか?」
どうやら磨熊もしらなかったようである。
「まぁ、オレもちょっと見かけただけだし」
その時の焔は、完全に気を失っていたし、不知火老人と蛇草は、焦らず彼女の寝室にまで哀史を運んだため、疲れた焔を部屋に送り届けたようにしかみえなかったのだ。
そしてその時の煌壮の胸中はそれどころではなかった。
重吾はすこし思案する。そういう事情が含まれており、双龍牙を撃たなかったというのなら、それは合点が行くのかもしれないが、十分に休養を取ったあとであるなら、体力的にも問題無いはずである。
「吾壁?」
何となく思案にふけっている重吾に磨熊が声を掛ける。
「ああ済みません。まぁ焔サンも元気にやってるんで、こっちでそんなことあったことが一寸驚きでしてね」
重吾は思ったのだ。焔は双龍牙を撃たなかったのではなく、撃てなかったのでは?と。そしてそれは、完全に重吾の思い違いでもある。撃てない事実は確かだが、その理由を思い違いしたのだ。
鋭児との一戦で放った双龍牙双脚の負荷が大きく、一時的に技が放てない状態になったという想定だ。勿論重吾は軽率な男ではなく、その可能性があるという程度の考えで、そこに確証がない限りそれを安易に口にしたりはしない。
ただ、確証を得るために動き回ることもまた、問題が生じるため、二人からの話は、貴重なものだと言える。
蛇草がここに訪れた理由は、鋭児の付き添いということは理解出来るが、その彼女が焔に付き添うと言うことは、可成り状態が落ち込んだのだろうと、無理に理屈を付けてみるが、それは自分の納得にしかならない。
「そうだ。爺様のところへは、顔出したおのか?」
「いえ……」
「顔出しとかんと、後でごねられるぞ」
磨熊は半分冗談で笑い飛ばすが、矢張りそうやって自分に会いに来てくれる若者達は、不知火老人にとっては可愛い存在なのだ。
「では、先代に会って、赤羽が戻り次第、学園に戻ります」
「おう。黒野にも宜しくな!」
「はい」
重吾は、静かに、それでいて率無く頭を下げ、二人の元を立ち去るのだった。
こう言う重吾の丁寧さは、不知火家からも好感を得ており、重吾を見送る二人の姿も、それをよく現していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます