第1章 第5話 第37話

 「なんでだ?」

 そして、唐突にそんなことを聞くのだ。

 「え?」

 「なんで、アレを使わねぇんだ?」

 鋭児は、一瞬それが何を指すのか分からなかったが、焔の睨み具合で、何となく理解するのだ。

 それは、焔に姑息な手段を使って勝ちを取ろうとした者達に制裁を加えた時の、チート技だ。

 確かに焔との一戦だけであれば、どうと言うことはない。

 技には使いどころというものがあるのだと言うことを焔は言いたかったのだ。鋭児が最初からあの技を使っていれば、間違い無くアドバンテージは、鋭児に傾いていたし、間違い無くこの戦いにおいての、最終戦である。

 惜しむことなど無いはずだと、焔は言いたかったのだ。

 「あれは!」

 鋭児は、一度膝を拳で叩き、自分を奮い立たせる。声には少し苦しそうだった。それは決して焔に入れられた一撃が苦しかったからではない。

 「あんなのは……、アンタと向き合うために……あんなのは使いたくねぇんだよ!」

 確かに肉体的な能力を飛躍的に向上させる事は出来ても、余りに破壊的で破滅的な技である、しかも使った場面が余りに悪すぎた。

 それに、この戦いは、何が何でも勝ちを拾わなければならないものでは無いのだ。なりふり構わずに勝利を掴まなければならない場面ではない。

 勝ちに拘るために、戦い方に拘らなければならない場面なのだと、鋭児は言いたかった。

 「そうか」

 鋭児は、そんな返事をした焔に思わず見とれてしまうのである。

 こんな最中だというのに、彼女は何とも嬉しそうで穏やかに目尻を下げてそう言うのだ。その笑顔だけで、鋭児はもう満たされてしまうのだった。

 思わず拳を上げ、構えることすら忘れてしまいそうになるのだ。

 しかし、それに相反して、焔は構え直す。彼女にとって心の器はまだ満たされてはいないのだ。焔は鋭児の成長を、極限まで見極めたいのだ。

 「前哨戦と行こうぜ!鋭児!」

 なんの前哨戦なのか鋭児にはすぐ理解出来た。自分と焔の約束は、炎応戦で拳を交えることである。それこそ死闘を演じるほどに激しい戦いを彼女は望んでいるのだ。

 それは、一光と戦わずして、炎皇という地位に就くことになった、彼女の宿願でもあるのだ。

 彼女は自分がその座から降りるときに、完全燃焼したいのである。そして鋭児が本当にそれを託すに相応しい男なのかを、この場で見ておきたいのだ。

 その思いを感じると、鋭児は唇を噛み締め、力を入れて構えずにはいられなくなる。

 「よし。良いツラだ」

 焔の表情も再び勇ましいものになる。

 

 痛みが取れたわけではない。

 それでも鋭児の体は、自然と動いた。何故かそれ以降、体が流れるように動くのを感じることが出来る。

 決して止まって見えるなどと、神がかった奇跡などではないし、可成り際どい攻防だったが、不思議と隙らしい隙は見せなかった。

 それでも、そんな僅かな隙を見つけるのが焔で、一日の長がある。激しい打ち合いの中で、鋭児の拳をいなし、懐をこじ開け、その顎を蹴り上げに来る。

 超至近距離での焔の膝蹴りは、常套手段に近い。二人の特訓では、割とよく見る光景であるが、鋭児が自分の膝に意識が行く瞬間、焔は鋭児の頭をつかみに掛かる。

 勿論それも織り込み済みだ。

 鋭児は焔の手を払い、一度距離を置き、するりと足下に前転気味に滑り込み、地に手を突き、そのまま一気に足を突き上げる。焔から見れば、鋭児が視界から消えたように見えたのだ。

 「飛燕脚!」

 まさに燕が急激に切り返すような鋭児の動きに、流石の焔も大きく仰け反り、その頬に鋭い焼け跡を残す。

 これには可成りヒヤリとした表情をみせ、ヒリヒリと痛む頬を拭う。確かに強烈な一撃だった。ほんの一瞬視野に違和感を覚え、体が反射的に反応したのだ。

 鋭児は、素早く体勢を立て直すも、その直後は大きな隙を作っている。恐らく二度目はない。

 「アレ躱すんだ……流石……」

 勿論その技で、焔を倒せるとは思わなかったが、それでもヒットすれば、焔は間違い無く体勢を崩すだろうと鋭児は思ったのだ。しかしそれを躱されてしまっては、元も子もない。

 組み立て直しである。

 よく動けている半面、徐々に講じる策に限界を感じ始めていた。

 それでも一分一秒でも、焔との戦いを楽しんでいたい気持ちがある。拘っておきたい一戦であるが、勝利を焦る必要は無い。鋭児は再び、焔の隙を伺うべく時計回りに、焔の回りを動き始める。

 

 「しゃぁねぇなぁ……」

 焔がぽつりと呟く。鋭児が慎重になり、一つ一つ動きを崩すルーティンに入ろうとするならば、そんな単調な動作は、闘士としてはあり得ない。

 同じ工程だとしても、一つ上を行かなければならないのだ。

 焔の肌が紅く輝き始める。それは以前、自分との殴り合いで見せた本気の焔だ。それを見せると言うことは、焔の奥義である双龍牙が出るのだと、鋭児を意識させた。

 つまり、それを自分達の最後の打ち合いにしようと、焔が言っているのだ。

 だとすれば、自分も鳳輪脚を撃つべきタイミングがそこにあると鋭児は思った。

 フィニッシュホールドの打ち合いで優劣を決めようという、確かに焔らしい提案である。しかし、そのタイミングを作るのがどちらかなのか?である。

 鋭児が先に飛ぶのか、焔が龍を呼び起こすのか。

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