第1章 第5部 第36話
焔が下がらざるを得なかったのは、単純に基礎的な筋力の差と、体重差だ。
幾ら焔が手練れであっても、簡単には受ける事が出来ないのだ。特に磨熊という重量級と戦った鋭児にとって、焔の蹴りは矢張り軽いのだ。
ただ、軽いと言っても決して侮る事は出来ないし、まともに食らえば骨が砕けるのは、すでに承知の事実だ。
こうして受ける事が出来るようになったのも、鋭児が成長した証拠である。
「テメェ……」
ほんの少し、互いの呼吸が乱れた瞬間の、焔の一言。
当に『男子三日会わざれば刮目してみよ』である。会わない間に、自分の知らない鋭児が其処にいることに、焔は思わず嬉しくて、ゾクゾクしてしまうのだ。
「チャージして一秒ってとこだな?」
焔はすぐに鋭児が雷神拳を使える時間を読む。そして、それをするために鋭児は必ず風の力を貯める時間が必要であることを見抜く。
抑も鋭児が持つ風の力は補助的なものにしか過ぎず、それを技として放出するには、それ相応の時間が必要なのである。
気を貯めて技に昇華させるのは、栗火鉢と同じ要領だ。肉体に直接作用するその技は、放出する態とは違い、印を描く必要はない。
いや、正しくは印を描いてそれをすると、技の予備動作で行動が読まれてしまうため、無意味になる。
抑も、大技を作り出す隙を生むために、少しずつ相手のタイミングを狂わせて行くのである。
しかし、ここで一端振り出しに戻ることになる。
ただ焔には、鋭児が次に雷神拳を使えるタイミングが解らない。それは試合前から彼がため込んでいた力を放出したか、試合直後からチャージし始めていたのかだ。
一方鋭児から見た焔は、技に迷いがなく、殆ど貯めを必要としない様子だ。矢張り熟れているのだ。
必要なのは、技を練り上げる僅かな時間だ。
二人は時計回りに、少しずつ相手の横へと周り込もうとする。当然いつ速度を吊り上げるかを見計らってのことだ。
ただ、このままにらみ合っても埒があかない。
先に攻撃を仕掛けたのは鋭児だ。焔の想像しているとおり、次に技を仕掛けられるほど気は練れていない。焔に先手を取らせるわけにはいかなかった、鋭児の選択肢のない先手である。
当然好きを誘っているわけでもなく、隙を作ったわけでもない自分に対して、先攻を仕掛けてきた鋭児の思惑は、焔にも伝わっている。
使いどころを理解していたとするなら、もう少し機会を伺ってもも良い場面だったのだ。
ただそれでも、焔は受けに回る。鋭児の連撃に隙が生まれるのを待っているのだ。同時に一撃に関しては、矢張り自分より破壊力があると、焔は感じる。
能力が互角であれば、身体能力の差がどうしても際立ってしまうのだ。
今はまだまだ鋭児の方が荒削りであるが、彼が伸びれば何れ自分を越える逸材になると思うと、それは何とも嬉しい話なのだ。
そんな焔の動きは非常にリラックスしている。力と力でぶつかっているようであって、焔の受けは流麗で実に無駄がない。
次の瞬間鋭児は、攻撃をいなされ、焔はすれ違い様に鋭児の背後に周り込み、鋭い回し蹴りを放つ。
そして鋭児はそれを躱すために、そのまま前に転げ、恐らく焔が攻めてくるであろう場所に、裏拳を放つ。
「おっと……」
焔は鋭児の勘の良さに、少々冷や汗を流しながら、それでも余裕のあるステップでそれを躱す。再び睨み合いかと、思った瞬間。
そのまま後方にバックステップを踏むかと思われた焔が、一瞬にして鋭児との間を詰める。
焔の何気ない掌底が、鋭児の腹に入るが、それは明らかにただの掌底ではなく、栗火鉢である。焔は技名を言わなかった。
ただ鋭児はそれが来ることを理解しておくべきだった。
焔は、観客席で自分の試合を見ていたのだから、自分が千霧や煌壮の技を模倣したように、当然焔もそうしてくると思うべきだったのだ。
焔がその技を放とうと決めたのは、恐らく自分が裏拳を繰り出すと確信した瞬間で、本当に一秒もない間のことだろうと、鋭児はすぐに理解する。
だというのに、強烈な一撃は、鋭児を退かせ、彼を跪かせるに十分な威力を持っていたのだ。
ただそれは焔の一撃が強烈だったというだけではなく、鋭児自身が攻守のバランスを欠いたからに他ならない。
鋭児は焔に攻撃を仕掛けるつもりで、拳に気を込めることに気を取られ、その反撃に対しての配慮を欠いていた。
これは、普通の人間同士の戦いではない。能力を駆使しての戦いである。
その移行も思考に入れて戦わなければならない。勿論鋭児もそうしているつもりだったのだが、そのコントロールは、矢張りまだまだなのだ。
焔との戦いに浮かれていたことも、その要因の一つにある。
完全に足が止まってしまう。同格以上の相手に使われてしまうと、なかなかに厳しい技である事を、改めて認識する。
焔は透かさず、鋭児との距離を取り、手早く床に六芒星を描き、それを一度蹴り上げ、体に弾みを付けそれを少し上から、蹴り下ろす。
一頭の炎龍が、鋭児に放たれ、それが彼に直撃するのだ。勿論これはガードしているが、受けた弾みに、鋭児は数歩下がる事になる。
焔の追撃に懸命に備えようとしたが、焔は追撃をせず、その場でスクリと立ち尽くす。
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