第1章 第5部 第33話
ステージを降りると、千霧が待っていた。
「おっと。お前さんにコイツを返してやらなきゃ……か」
磨熊は鋭児を肩車から下ろし、千霧の前に差し出す。
磨熊は完全に千霧を鋭児の本妻だと思い込んでいるようだ。鋭児も勿論千霧の気持ちは聞いているし、ここに来てから彼女と濃密な時間を過ごすことが多い。
そして鋭児も千霧を否定することは無かったが、千霧を見ると照れてしまう自分がいる。
だがその前に、もう一度磨熊の方を振り向く。
「楽しかった。また胸を借りて良いですか?そのうち……」
「おおう。まぁ試合でならな!」
鋭児と磨熊は、固く握手をする。こういうときの鋭児は本当に素直だったし、磨熊という男を尊敬に値すると思っていた。
「ああ、そうだ!」
磨熊が鋭児を呼び止める。
「剛龍炎舞な!あれは……」
「?」
「ありゃ、日向の技だ」
そう言って、磨熊はニヤリと笑う。
「あ、っそ」
恐らく焔が見せていない技などいくらでも有るのだろうと鋭児は思った。それは、焔と鋭児が懇意であると知っての磨熊なりのサービスらしい。恐らく鋭児の反応を見て、それに気がついていないと思ったのだろう。
龍というのは、龍脈という気の流れを使う彼等に総じて冠したい名称である。しかしそれとは違い、己の個性に合わせた技もあるのだ。
鋭児なら鳳凰であったりする。特に最終奥義となる技ならなおさらだ。
恐らく最後に放った磨熊の技もそうなのだろうが、彼は完全に鋭児の足が止まったことを知って、その技を選んだのだ。
ただ千霧の雷神拳という技は、強制的に自分の体を極限状態で動かす技であり、その代償も当然あるが、非常時に使うには、有効な技である。
「筋肉いてぇ」
鋭児は笑いながら、蹌踉めいて前に倒れ込みそうになるが、それは千霧が確りと受け止める。
「ケアをしましょう」
「お願い……します」
鋭児は千霧の肩を借り、磨熊に見送られながらその場を去る。磨熊があえてついて行かなかったのは、二人に対する計らいである。
少し時間が経つ。
まず、呼び出されたのは焔と、そして岩見だ。
首謀者は焔であり、アナウンスの指示を強引に出したのは岩見であるということだ。
鋭児と焔の試合は、後日正しくアナウンスするつもりだったと、不知火老人は二人に説明するが、これに対して焔は閉口した。
ただ、これは筋が通っているようで通っていない。
抑もは、鋭児が焔に会うためのこじつけでしかなく、その褒美として鋭児の気持ちに応えるというのが流れで有り、そこは濁されていた部分である。
まさに、それが焔のいうスカした部分でもある。
ただ、昏々と説教されたわけではなく、殆ど一喝されたというのが事実だ。
岩見と焔が、何となく闘技場のベンチに腰を掛けて、会話をする。
「全く。僕まで巻き込みやがって……」
「悪かったよ。しかしお前、試合でスイッチ入るとホント別人だよな」
「抑も、お前が今回のトーナメントに出なかった意味が解らない」
「うっせぇなぁ。気分じゃなかったんだよ。けど煌壮が試合に出てきたら、お前……」
「そんなの、試合中の僕に聞いてくれ。闘士たる者、試合こそが全てだろ」
「まぁ、正直鋭児が、甘えん坊で助かったよ」
焔が自分に合いたい一心で、そこまでしたことに対して、妙にモジモジとし始める。自分の為に、なりふり構わない鋭児が可愛く思えたのだ。
「デレてろよ。全く……」
焔に付き合わされた岩見は、ふてくされて横を向くのだった。
「さて……、蛇草ちゃん?」
「はい。大老……」
「なんなら焼くんと読んでくれても……」
「いえ……それは……御爺様……」
蛇草も流石にそれに対しては顔を引きつらせる。
「つまり黒野君のアレを知って、真っ先にスカウトに走った……と?そういうことでいいのじゃな?」
「さぁ……でも、それをおっしゃるなら、御爺様が孫のように可愛がっておいでの、炎皇に聞いてみた方が良いのではないでしょうか?」
蛇草は、空になり差し出された、不知火老人のグラスに酒を注ぐのである。
「焔ちゃんめ……、やんちゃが過ぎるわい……」
不知火老人は本当に、ブツブツと呟きながら、酒で口を湿らせる。しかしその様子が、なんとも目に入れても痛くないという様子が現れていた。
「しかし黒野君は、あんな激しい試合を連日熟して、少々無茶すぎやせんか?」
「かといって、日向さんが宣言して、鋭児君が受けてしまった以上は……、千霧には明日にでも報告させますが、余り状態が良くないようですと……」
「じゃが、惚れた男に弱いじゃろうな?」
と、不知火老人はちらりと、蛇草を見る。
「そう!それですよ!あの子、そんな素振り見せなかったんですよ?それを私の前でイチャイチャと!『黒野君は、お姉様に相応しくありません!』なんて、あの子言ってたんですよ?確かに、鋭児君はこれからで、実績もありませんが、私の目には狂いはないんです!それに千霧は、今まで男っ気なんて本当に無くて、お見合い相手なんか、力尽くで黙らせてきて――――」
蛇草の焦りと怒りは、怒濤のように止まらない。
これではどちらが愚痴を聞く立場か分かったものでは無い。
「まぁ、じゃが……。蛇草ちゃんには、もっと向かい合うべき相手が、おるじゃろう?ん?」
しかし、不知火老人のその一言で、蛇草は黙ってしまう。
「それは……言わないでください」
蛇草は、本当に困った表情で押し黙ってしまうのである。
こればかりは、部外者である不知火老人ではどうしようも出来ないことだった。
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