第1章 第5部 第30話

 先に挑発をしたのは磨熊だ。人差し指で鋭児に向かってくるように、指図をするのだ。

 再び打ち合いになるのかと思われた次の瞬間。

 確かに鋭児は磨熊の懐に飛び込み、連打を見舞うのだが、磨熊は僅かに身を引き、鋭児の拳を全て受けきり、尚且つ隙を狙った蹴りも全て防いでしまうのだ。

 肉体で受ける磨熊の防御は、岩見のようにコンクリートの壁を叩くよな反動はない。鋭児も隙を生み出すために、攻撃を散らすが、磨熊はよく見えている。それに体幹も揺るがない。

 これは完全に体重差の問題だった。同時に磨熊の筋肉は厚い。それを炎の力で強化しているのだ。

 磨熊は十分鋭児の攻撃を受けきると同時に、コンパクトで鋭い拳を繰り出す。

 鋭児は咄嗟に下がりつつ、両腕でそれを防ぎ、更にもう一歩後ろに下がる。しかしその瞬間には、正面にいたはずの磨熊はすでにおらず、完全に鋭児の背後を取っていた。

 何とも嬉しそうに拳を振りかぶっている。

 鋭児は後方を確認することもなく、素早く前に転げるようにして躱し、体勢を立て直し、直ぐさま、その背後に向き直すと、またもや眼前には拳を振りかぶっていた磨熊がいる。

 鋭児はこれをどうにか受けるが、それでも地を滑る足を止めるには、僅かに時間が掛かる。

 当然それは見越されており、又もや磨熊が鋭児の行く先にいるのだ。

 まるでいつまでこの攻撃を躱し続けられるのか?と、試さんばかりだ。

 だから鋭児は、踏ん張るのをやめ、そのまま地を蹴り、磨熊の頭上に出る。滑る足で飛べるのか?と、磨熊は流石に驚きを隠せなかった。

 「爪襲斬!」

 鋭児は指先に力を込め、素早く一度交差させた両腕を、翼を広げるようにして外側に開く。

 磨熊がそれを躱し、その斬撃が、鋭く舞台に爪痕を残す。

 「龍脚!」

 そして、更に宙で体を捻り、つま先に灯した六芒星に対して、気を送り爪襲斬を躱した磨熊の顔面に飛ばす。

 しかしそれは本当に小さく威力のないものだ。それでも、磨熊の顔面に直撃し、彼を少し怯ませる。

 その好機を見逃すまいと鋭児が詰め寄った瞬間。

 磨熊の強烈なアッパーが、鋭児の顔面をかする。まるで炎の龍が空に解き放たれるような強烈な一撃である。

 

 「風の力で。瞬時に空刻しそれに本来の気を流し込む。やるじゃないか。鼬鼠の技か?」

 磨熊はすぐにその出所を知る。尤も鋭児のそれは、鼬鼠が使うほど大掛かりで力の強い風の力ではない、彼の中にある補助的な能力だが、絶えずそうして戦えるように叩き込まれた者でもある。

 本来なら正しく空刻し、そこに気を込めるのが、炎の能力者の戦い方だ。

 だが二人のいう鼬鼠には、ズレがあり、磨熊はすぐに顎で指図するように、観客席を示すのだ。そしてそこには蛇草がいる。

 「いや……蛇草さんに教わったわけじゃない」

 「ふん……なるほど」

 蛇草の視線で、彼女が鋭児を可愛がっているのはよく理解出来た磨熊だったが、鋭児のそれも理解する。どのみち鋭児が東雲家に気に入られているということは、十分に理解出来る所作であった。

 鋭児は少し肩で息をしているが、磨熊は全く呼吸を乱していない。

 これまでの試合運びのあり方が、明らかに両者のスタミナに差がついている。勿論相対した相手の相性というものもある。

 「今度は、オレから行くぞ?確り受けろよ?」

 磨熊が構える。

 勿論本当に受けろというわけではない、磨熊の攻撃を凌ぎきれば良いのだ。

 

 そして鋭児が構えた瞬間、磨熊が猛スピードで猛攻を仕掛ける。

 理解してはいるが、トップスピードの最も速い炎の能力者の移動は、瞬間移動と見紛うほどの速度差で、瞬きを許さない。

 鋭児は、次々と振り下ろされる磨熊の拳を、下がりながら躱す。

 舞台の隅に追いやられないように、少しずつ円軌道に足を運ぶのだ。彼が冷静な判断を下しているのが、磨熊にも解る。

 「行くぞ!剛龍演舞!!」

 磨熊の手足に火が点り、拳を振り上げる度、蹴りを繰り出す度に、それが棚引く。それは四頭の龍が回り、踊るようなイメージで、それらが次々に、自分に食らいついてくるのだ。

 単なる打撃ではなく、表現されている通りのイメージの技だ。

 掠めるだけで、衣服が焦げる。気の力でガードを固めていてもその様だ。無防備で受ければ、あっという間に体が焼け焦げてしまいそうである。

 勿論それは、鋭児を実力者と認めたからこそ、繰り出された技であり、磨熊は好戦的だが、残忍ではないのだ。ただこの試合は決勝戦である。

 次の試合を考える必要は無いのだ。

 磨熊は実に楽しそうに、攻撃を繰り出してくる。それは決して歪んだ愉悦的な快楽からではなく、一対一の戦闘を心の底から楽しんでのことだ。

 鋭児が大技を繰り出す隙は無いようだ。それどころか、磨熊の隙を生み出す技を生むための技すら、自分の致命的なミスになり兼ねない状況だ。

 ただ、こうして技を繰り出している最中の磨熊は決して、凄まじい速さを持っているわけではない。いや、速いのだが鋭児と間を詰めたときほどの速さは、感じられないといった方が正しい。

 ただ、安易に後ろへ飛ぶこと等は考えない方が良い。見極められるギリギリの距離が大事だ。

 当然磨熊の一方的な攻撃という展開になる。

 だが、集中力を切らさず、躱し続けていれば、何れチャンスは巡る。

 鋭児がそう思っていた、まさにその瞬間だった。

 鋭児は何かに踵を取られ、僅かに蹌踉めいてしまうのである。

 「しまっ……!」

 鋭児は、思わず視線を切ってしまう。磨熊はそれを見逃さない。大きく上から振りかぶり、鋭児の体めがけて、拳を落としてくるのだ。

 そこには精密性などない。当たれば終わりだと言わんばかりの、強烈な一撃である。

 鋭児は背中を付けた瞬間に、転がりこれを回避し、素早く体制を立て直し距離を空け、構え直す。だが眼前には磨熊はいない。

 そして、その巨大な気配は、すぐに鋭児の真横にまで迫っている。

 鋭児は磨熊の拳の直撃をどうにか両腕でガードするが、それでも大きく吹き飛ばされ、危うく場外にそうになる。

 気がつけば舞台の縁に踵がかかっているのだ。

 舞台中央には、白い歯を大きく剥き出しにして鋭い笑みを零している磨熊が、そこに立って居る。

 「結構いい一撃だと思ったんだがなぁ!」

 「ああ……」

 鋭児は両腕に痺れを感じながら、ゆっくりと、反時計回りに磨熊との間を詰めて行く。

 鋭児は舞台を観察する。

 よく見れば、あちこちに大きな割れ目が生じているのだ。それは、自分のもあるだろうが、大半は磨熊が振り回した拳や蹴りで、ついたものである。

 完全に伏線を張られていたことを知る。足場は思ったより悪くなっているのだ。駆ける分には、差ほど問題無いような足場でも、下がるときには十分な注意が必要だ。

 足運びをより慎重に行わなくてはならない。

 磨熊も鋭児との間を詰めるタイミングを見計らっているようだ。少し睨み合いの静寂が続く。

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