第1章 第5部 第7話
翌朝。
焔は赤羽と寮の正面門にいた。
赤羽の様態は安定しているようで、昨日に比べて表情も和らいでいる。
顔色という意味では、彼も寝起きであるためか、あまりぱっとしていない。荷物は、緋口が纏められた物をそのまま持ってきたという状況である。
「痛みは?」
「ああ、ないよ」
ぶっきらぼうな漢字だったが、焔の気遣いに赤羽の表情もより和やかになる。それを見た焔も、安心した様子で、ふと笑みを零すのだった。
やがて二人の前に、黒いリムジンがやってくる。
それは、不知火家の物で、二人はそれで向かう事になる。
焔の頼みであるならば、ここまでされるのかと、赤羽は若干引きつった顔をしていた。勿論本当に不知火家から用事があるときは、別の話だが、今回は本当に急なことだったのだ。
仮に誰かがこの状況を見たとしても、二人が呼ばれて出て行くのだという体裁は保たれることになる。
車中焔は、ニヤニヤしながらスマートフォンを弄り始める。
「こっちは、家の恥にになるかどうかの瀬戸際だってのに……」
「ああ、ワリィワリィ。鋭児のヤツ寝かせたまま出かけてきたからよ」
そう言う焔の目尻が、きゅっと下がるのだ。焔と鋭児の関係は、ある程度知れ渡っている。そんな話を聞かされてしまうと、思春期の少年としては、思わず顔を赤くしてしまう。
何か一言二言声を掛けようとも思ったが、なんとも声を掛けづらくなった赤羽は、窓の外の景色を見るしかなかった。
それから一週間ほどが経つ。
赤羽は、どういうわけか左腕をギプスで固めた状態で、学園に帰ってきた。
焔は居ない。午後からの授業の前に、不知火家のリムジンで、学校に戻ってきたのである。だが、あまり悲壮感はなかった。何となく小恥ずかしそうに、ニヤニヤとして降りてきたのである。
それを見かけたのは、数人の学年だったが、兎に角そんな感じだったそうだ。
骨折が治るまで、少なくとも二週間ほどは様子を見た方が良いとのことだ。
通常の骨折が治るには、そんな短期間では済まないのだが、そこは治療次第と言うことで、赤羽は、当面神村の居る保健室通いとなる。
三学年のFクラス二位の赤羽が怪我をしたということは、なかなかの問題ではあるが、当の赤羽は、あまり深刻な表情をしていなかった。
赤羽の部屋に状況の確認に訪れたのは、緋口に重吾、そして鋭児である。
鋭児が来たことに関しては、赤羽は少々面食らったようだが、一緒に行ったはずの焔が帰って来ていないことが気になり、重吾に頼み込んだといった具合だ。
赤羽が言うには、闘士の真似事をして、舞台に上がったときに、焔に右腕を折られたというのだ。
勿論不可抗力ということなのだが、その話そのものに、不審な顔をしたのは、緋口だった。
当然である。本来赤羽の体の検査をすべく、不知火家に出向いたのだから、彼が闘士の真似事をするという話の流れが不自然だったのだ。
「まいったよ。コレじゃ暫く、戦えないな」
そう言う赤羽は、参った様子をしているが、あまり深刻な顔をしている様子ではなかった。
緋口はピンとくる。赤羽の腕は、態と折られたのだ。
そして、闘士の真似事をして腕を折られたというのなら、それは赤羽がその期間戦闘をしなくて良いようにするためだ。
つまりそれが赤羽が絶対に安静にすべき期間なのである。
そいて、赤羽の顔が深刻でないと言うことは、安静にすべきではあるが、彼の病状は深刻なものでは無いということを意味する。
その時鋭児は、すっと赤羽の前に左腕を出す。
「それ、焔さんがやったってなら。俺の腕、好きにしてください」
鋭児はジッと赤羽を見つめるのだ。何も恐れないその表情に、赤羽は少し戦いてしまう。
「アンタ等と、焔サンには確執があって。焔サンがまだそれを許せてないってなら。今度はあの人止めなきゃなんねぇけど、その前にその痛みはオレが受けておかないと」
何故そうなるのかと思ったが、重吾には何となく解った。
鋭児は焔の腕を折りに行くつもりだったのだろう。だから焔の痛みをまず自分が受けると言ったのだ。
「いやいや!あくまで試合中のことだったし!日向は!……日向は、そんなことするヤツじゃ……ねぇよ」
赤羽は、尻すぼみな感じで焔を肯定する。
それを聞いた鋭児は、すっと腕を引いて、ニコリと笑う。先ほどの覚悟の形相と違い、えらく好青年な笑みを浮かべてこう言うのだ。
「知ってます」
どれだけ確信を持った笑みなのだと思う赤羽と緋口だが、重吾だけはクスリと笑うに止めた。
「狂犬!お前どれだけ、日向が好きなんだよ!」
呆れかえって、緋口がどっと疲れた様子で、狭い部屋で仰向けに倒れ込んだ。それでいてホッとした表情ををするのだ。
不思議と彼女も、今までの蟠りが、すっと溶けた気がしたのだ。それは赤羽も同じだったのだろう。脱力した緋口の姿を見て、小鼻を掻きながら、クスクスと小さく笑うのである。
何より、自分達を追いかけ回していた鋭児と同じ空間を共有していることにおかしさを感じずにはいられなかった。
そして、焔の名誉のために、彼は言わなければならないことがあった。
それは、生徒の中では、焔と緋口、そして彼だけが知っている事実だ。
「なぁ黒野」
赤羽に話しかけられ、鋭児は俄にキョトンとした表情をする。
デスクと反対方向に向き、椅子の背もたれにギプスで固められた方も含めて、両腕を乗せて組んでいた赤羽が、少しだけそれを揺らしながら、語り始める。
「なんつーか、オレ心臓に負担が掛かって、ぶっ倒れて不知火家に行ってたんだよ」
それを言い始めた瞬間、緋口は勢いよく起き上がって赤羽の方を見るが、彼はいたって平穏な表情で悲壮感はなかった。
それはこの部屋に集まってからも変わらないことだったので、彼の様態がそれほどのものではないということを、緋口も理解していた。
要点はそこではなく、鋭児にそれを話し始めたという事実だ。
「で、まぁウチも五月蠅くてさ。幸い心臓の方はどうって事なくって、暫く安静にしてろって。けど、オレも学年二位だからさ、解るだろ?」
それに対して鋭児はコクリと頷く。
怪我をしている赤羽は、暫く戦闘が出来ない状況である。その連絡は、不知火家から学園にまで連絡が行っており、当然彼の家にも連絡が行く。それは大層丁寧な謝罪だったそうだ。
それほど焔は、不知火家に気に入られていると言うことである。
「あと、もっと心肺機能鍛えろってさ。原因がそれで、力に体がついてきてないって言われた」
コレに関しては、情けないばかりであると、赤羽はヘラヘラと笑う。
赤羽の家は名家で有り、彼自身は能力に恵まれているが、それにかまけていたために、体が耐えられなくなったというのが事の顛末らしい。
赤羽は確かにマッチョではないし、筋肉質という雰囲気ではない。
それでも炎の使い手である以上、筋力量はそれなりにあるのだ。ただ、それでは足らないのである。逆に鋭児は、相当に絞られている。体脂肪率も九パーセント台である。能力を使わず体を鍛えてきたことが、ここに来て功を奏した言った所だ。
「まぁそれでも、親には怒られるだろうけどね。ただ、相手が日向だってのが救われるよ」
焔は炎皇と呼ばれる地位を手にしている。
赤羽家が優秀な人間の集まりだとしても、そこから炎皇になった者はいない。
それだけ皇位に着く人間の力はずば抜けており、他の追従を許さないのだ。
「試合の出来ないオレは、クラス最下位まで落ちるってのが、一寸悔しいけど、大学で取り戻すしかないかな」
そういう赤羽は少しだけ悄げていた。しかし自分が能力者として引導を渡されるという訳ではなく、その部分に対しては前向きになれる。
この時点で学年二位の炎使いということは、落ちた順位はある程度挽回出来る事だろう。
ただ、問題はここに居る、緋口と吾壁は別だ。この二人を再び追い抜くには、相当苦労をするだろうし、時間切れになるかもしれない。
大学四年間の勝負というわけだ。
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