第1章 第4部 第14話
「地道な反復は嘘をつきません。良いことだと思います」
そう言って姿を現したのは千霧である。
彼女もまた、白いTシャツに黒いトレーニングパンツといいったスタイルで、スニーカーというスタイルも、鋭児と変わりない。
「千霧さん」
こんな早くに?と、鋭児は思うのだが、装いを見る限り、考えて居ることはほぼ同じであり、訊ねることは愚問である。
ただ、熟練度という点では、千霧と自分では雲泥の差があり、彼女ほどの実力があれば、折角のヴァカンスなのだから、ゆったりと過ごしてもよいのではないか?と思う。
蛇草も非常にスタイリッシュであるが、スレンダーさのある千霧のトレーニング姿は、よりスマートで上品でスポーティーなイメージがある。
そんな千霧もスニーカーと靴下を脱ぎ、鋭児と同じように裸足となる。
「私はランニングと柔軟を済ませた程度ですが、黒野さんは?」
そう言いつつ、もう一度体をなじませるように屈伸を始める千霧だった。
「少し体動かして、筋肉ほぐした感じかな」
「そうですか。では、軽く組み手でも行いますか?」
「うっす」
再び立ち上がった千霧に対して、鋭児は一礼をする。
体格も腕力も鋭児の方が遙かに上なのだが、矢張り倉庫街での彼女の動きが思い出される。あのときは、千霧がどのように動いたのかすら理解出来なかった。鼬鼠もあっというまに倒されてしまっている。
早朝からのトレーニングで、千霧がどこまで本気を出してくるのかは解らないが、今は彼女の素性も知れており、鋭児にとって、今後を知るための絶好の機会である。
少なくとも、蛇草が見込んでいる実力とは、どれくらいのものなのか?を計り知ることが出来るし、自分が今どの当たりに位置しているのかも理解出来る。
とりあえずは、通常の組み手から行い、体を温める。
千霧が使うのは鼬鼠と同じく蛇咬拳である。
そもそも、蛇咬拳そのものが鼬鼠家が受け継ぐ拳であり、蛇草と共に育ってきた千霧もそれを使う。
ここ最近では、鼬鼠に勝負を挑むことも屡々だが、鋭児の実力を知った以上鼬鼠も手を抜くことはなく、蛇咬拳そのものは、もう見慣れたものだ。
それでも鋭くかみ切るような鼬鼠の拳とは違い、しなやかに、するりと素早く入り込む千霧のそれは、また違う技のように思える。
鋭児は基本として空手だが、ここ最近は優雅に舞うようなそぶりを見せる。それは何とも鋭児の性格らしくない、色気のある動きなのだが、それが何を意味しているのかは、千霧にも理解出来ていた。
ただ、それは一朝一夕には、完成しそうにない。
空手の動きの中に、時折織り交ぜられるといった感じ出在る。身を翻すことの多いその技は、必然的に背中を見せることが多く、非常に大きな隙を作る事になる。
ただ、素早いために、通常の状態では、なかなか間合いを詰めることが出来ない。なので、時折千霧は意地悪をするようにして、気を込めて身体能力を上げて、がら空きになった鋭児の背中を蹴り飛ばすのだ。
「やっぱ上手くいかねぇな。蛇草さんは、鳳凰は優雅に舞うものだなんて、メールしてきてから、色々試行錯誤してんだけど、なんか俺らしくねぇっつぅか……」
幾度か千霧に倒された後、鋭児は、先の見えない技の完成度に、ため息がちになる。
「そうですね。黒野さんらしくはないですね。それに、一対一で使う動きでは無いですね。蛇咬拳とは異なりますし、風の力そのものは、非常に範囲的ですから、黒野さんの動きとは真逆ということになります」
真逆というのは、蛇咬拳が一対一の戦いを補うための技だというのなら、瞬間火力に頼る炎の力を、如何に広範囲で扱うか?というのが、今鋭児が使っている技だという意味だ。
なので、一対一だと解りきっている状況で、鋭児が蛇咬拳を使う千霧に対し、その技を試すというのは、状況に即していないのだ。
加えて、同等の実力者との、多対一となる状況となってしまった場合、どう考えても勝ち目はなくなる。自ずと条件も状況も見えてくる。
「まぁ……今は、年度末の炎皇戦が目標だし、焔サンをがっかりさせないようにしないとな」
鋭児はすっと立ち上がる。
「では、少しだけ慣らして終わりにしましょう」
「宜しくお願いします」
この後、互いに気を高め、それぞれの属性を伴った拳を繰り出したり、技の組み立てなどの基本的なことに終始する。一対一であるため、鋭児は一度スタイルを空手に戻す。
千霧も鋭児も、少しずつ速度を上げ、互いが見えていることを確認しつつ、互いに技を作り出せる状況に持って行く形を取っている。
千霧の必殺奥義は、六花風刃というもので、相手の周囲に円を中心に描いた大きな六芒星に、分身を生み出し、同時に攻撃を仕掛けるというものだ。当然その中には本物の彼女が存在するのだ。
鋭児が使うところの、鳳輪脚と言ったところだが、鋭児が鳳輪脚を出せる場面は、そうそう訪れない。使えるのは鳳凰鳴哭か襲凰拳だが、襲凰拳はカウンター技であるため、これもなんらかのアクションが必要となる。
千霧の六花風刃を防ぐには、刻まれる六芒星を切ってしまえば良いのだが、問題はそれ以前に使われる、月弧という移動方法で、気で繋いだ二点間を瞬時に移動してしまう技だ。
鋭児は上手く、その中に誘導されているというわけだが、それだけ鋭児が千霧の思うように動かされているという事でもある。
勿論それだけではなく、それ以前に幾つも仕掛けがされてこその結果というものなのだが、それがいつから仕掛けられていたのか?などは、鋭児に解る訳もない。
「黒野さん」
「なんすか?」
「六花風刃は、非常に気を消耗します。一日に何度も使える技ではありません」
たしかに、気で練り上げられた分身を五体も同時に動かすのだから、相当な消費となるだろうことは、理解出来る。
千霧の言いたいことは理解出来る。今日一日があるのだから、彼女がそれを何度も今使うわけには行かないし、消耗した分の回復も必要である。
「私は黒野さんの鳳輪脚を一度も見たことがないのです。蛇草姉様が、とても優美な技だとおっしゃっていましたので、一度見せていただけませんか?」
どうやら、朝のトレーニングは、それで終わりらしい。確かに鳳輪脚を一度も出せていないのは、ストレスでもある。
「そっすか?んじゃ……てか、鳳輪脚のもう一個上、今開発中なんすけど、試していいっすか?焔サンとの一騎打ちに取っておきたいんで……」
千霧にそれを評価してほしいというのだ。
焔に見せられないと言うことは、当然吹雪にも見せられない。二人の意思疎通を気にしてのことではなく、焔に見せずに吹雪に見せるというのは、なんだか気が引けたのだ。
「解りました」
「んじゃ……」
鋭児は、そう言って十数歩後ろに下がり、軽く駆け出すと同時に両腕を大きく広げて、空高く飛び上がる。
本来鳳輪脚は上空に飛び上がると同時に逆さになり、両手で円と六芒星を一気に描き上げる技なのだが、鋭児はそのままいつもより高い位置に飛び上がる。
そして、高さのピークに達したと思われた瞬間、鋭児の背中から炎の翼が現れ、それが推進力になるかのように、もう一段高く飛び上がる。
その姿は勇ましく天空を目指す鳳凰のようだ。
それだけでも、十分に見る価値はあったのだが、当然技に入っていない。
上空に飛び上がった鋭児は、ひらりと身を翻す。それは、きびきびとした動作が必要な鳳輪脚とは違い、非常に優美な動作である。
ただ実際は、可成りの速度ではあるのだ。
あまりの優美さに、時間が止まったように、ゆったりと流れているように見えるのである。
そして、鋭児は鳳輪脚の体勢に入るのだ。
宙で逆さになり、指先で五重の円を描き、中に六芒星を描く。しかし、その際に広げられた炎の翼が大量の羽根をまき散らしながら、回転する。
鳳輪脚に必要な回転数は二回転。
朝であるにも関わらず、飛散した炎の羽根が非常に美しく宙で輝き、ゆったりと舞い落ちつつ、技が完成する。
そして、鋭児はその中心を一気に蹴り抜くのだ。
次の瞬間、海面に叩き着けられた、炎の塊が、大爆発を起こし、大量の水蒸気と発生させ、水しぶきを上げる。
凄まじい威力の技である。
そして、鋭児は海水の中に飛び込むのだ。勿論着地体勢はとっている。
「なんという……」
本当に宙を舞う鳳凰の舞である。
「本当は、もっと円の中に、気を集中させたいんすけどね……」
鋭児がその技が未だに未完成だと言うことを千霧に伝える。勿論現状でも、基本的な鳳輪脚の威力より、相当上回っている。
「ですが、少し動作が長いですね。あれでは狙い撃ちにされますよ?」
「いや、アレで良いんすよ。鳳輪脚そのものが、抑も一対一に特化しがちな炎の属性の術者において、多対一、或いは多数対多数を想定した技みたいなんで。それにフィニッシュブローですから、決めるときは、相手の動きを何らかの形で封じてる時だと思いますそれに……」
「それに?」
「焔サンと、やり合うときは馬鹿正直にやることになるんで……」
「なるほど……」
焔は、確かに馬鹿正直なほど、真っ向勝負を好む性格であることは、千霧にも理解出来ることだった。
現炎皇との真っ向勝負に相応しいフィニッシュブローが必要なのだと言うことを、理解する。
勿論鳳輪脚でも、十分にその価値はあるのだが、今の鳳輪脚の優美さは、その比では無く。闘う為だけではなく、当に魅せるための一撃なのだ。
「鋭児!」
血相を変え走ってやってきたのは、焔であり、その後を吹雪がついてやってくる。なにかとんでもない事態が発生したのか?と思ったのだ。
「お前!急に爆発音が聞こえたとおもったからよ!表見たら、なんか水蒸気立ち上ってるし!」
「あー……」
鋭児は説明に困った。確かにあれほどの爆音が響けば、誰でも気がついてしまうだろう。しかし、そんなことは考えにも及ばなかったのだ。
「今、互いの奥義を披露しあっていたのですよ。私は、鳳輪脚という技を見たことがありませんので、お願いしていたのです」
「ああ?お前あんなの海面にぶち込んだのかよ!焦るじゃねぇか……」
焔は一気に力が抜けて、砂浜にへたり込んでしまう。
彼女は、もしや鋭児の身に何かあったのでは?と思ったのだ。羽織っているパーカーも蹌踉けて、その力の抜け具合が、よく現れていた。
「そっか。あの技は確かに綺麗だものね。私見とれちゃって、避けるのわすれちゃうかも……」
吹雪は、宙を舞う鋭児の姿を想像しながら、指を唇に当てつつ、宙を見つめる。
「ははは……」
嬉しい褒め言葉だが、そんなことを言われてしまっては、吹雪と闘うときには使えないような気がする鋭児だった。
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