第1章 第4部 第11話
その焔は、ゆっくりと新の発した唇の動きを真似てから、少し冷たい視線で蛇草を見る。冷たいというか、冷めていると言うべきか。それが東雲家の抱える現状なのだと言うことを確認するための視線だ。
その視線の意味を知った蛇草は、静かに焔から視線を外した。
それは、彼女の視線を嫌ったからではなく、理解した上での所作であることは、焔も理解した。
そうなると、美逆を襲った一件は、世間知らずのお嬢様が企てた、無謀な内紛ではないということになる。
それから焔は、鋭児の方に頭をもたげて、少し頬ずりをした。
そして、それに応えるようにして、鋭児も焔の頭にそっと頬を当てる。
その動作があってから、吹雪が静かに鋭児の腕に絡み、彼と体温を分かち合う。焔の一挙一動が、二人にそれを理解させたのだ。
「あらあら、本当に仲がいいのねぇ。お姉さん羨ましいわ」
更は、相変わらず脳天気のように見える。この人は、そうありたい人なのだろう。そして、考え方は新よりも、霞に近いようだ。
いや、純粋に霞を支持ているのが、更であるといってよい。
「やっぱ。折角のヴァカンスなんだしよ。俺ももらおっかな!」
焔は、目の前にある高級なシャンパンに手を出そうとするが、それを静かに止めたのは千霧である。
「ケチかよ」
「そうではありません。お作りいたしますので、お待ち下さい」
千霧はそういうと、段取りに入る。
焔に障らせては、折角の高級シャンパンも、単なる水になり兼ねない、呑まれ方をしてしまいそうだったため、それを嫌ったのだ。
蛇草は何も言わなくなってしまう。
あれほど、保護者のように振る舞っていた彼女だというのに、視線の会話で、その気を無くしてしまったようだ。それに、少々酔いの酷い霞の世話をしなくてはならない。
「新は仕方の無い子だな……」
霞は少々残念そうにシュンとしてしまう。ただ、恨み節ではなく、本当に残念そうだった。彼の求めているもとの、彼女の求めているものに、随分差があることくらいは、彼も理解している。
その後霞は、新が非常に真面目だとか、六家の古い仕来りなどを、今でも順守していることを話し始める。その話そのものは、彼女と更の二人が、子供の頃から今に到るまでの、成長の記録を話す親ばかのような言い回しで、更は昔から新を困らせていたとか、そんな感じの懐かしいエピソードを延々と話す感じである。
彼女達と蛇草は同年代であるため、ついでに蛇草の話も出てくる。蛇草もまた、東雲家の御庭番としての義と責任を重んじており、誇りを持っている。東雲家にとっては、すばらしい人材であるといったことなどだ。
三人は昔からよく遊んでいたが、矢張り困らせていたのは更であり、なんだか彼女の晒し話のようになり、当の本人はすっかりご立腹で、その後に千霧の話が出てくる。
彼女も施設で育てられ、親のいない身の上だということだ。
そう言う意味では、焔や吹雪と同じ境遇なのだが、彼女は、蛇草に見初められたらしい。
「しまったなぁ。皆のアルバムなんかを持ってくれば良かったなぁ。翔君の分も……」
「勘弁して下さいよ。んなのこの連中に見られた日にゃ、学園での俺の立場も形無しですよ」
鼬鼠らしくない敬語だし、本当に嫌気がさした言い回しだった。それを聞いて霞は、カラカラと笑い出す。
「まぁそう言うな。他愛もない家族の自慢話……さ」
そう言って、霞は蛇草の肩をギュッと抱く。これに対して蛇草は困惑した表情一つ作らずに、霞の好意を素直に受け取っている。
「勿論鋭児君、君もだよ?」
敢えて、千霧のことは言わなかったが、彼女が東雲家の御庭番として加わった話は、先ほどの流れですでにされていることであり、特に彼女を邪険にしたわけではない。唯の話の流れで有る。
「あ。いや。俺の家族は、ここにいますから……」
そう言って、焔と吹雪の肩を抱き寄せるのだった。それを聞いた霞は一度だけ目を丸くする。
「じゃぁ、皆私の家族かな」
鋭児の家族なら、それは自分にも重要な存在である事を霞は、大げさに口にする。フワフワとしたような霞だし、歯の浮くような台詞を平気でいうのだが、この人の言葉には嘘がない。
「さて……私ばかり話してしまったね……とと」
霞は立ち上がるが、蹌踉けてしまい、それをすぐに蛇草が支える。
「飲み過ぎです」
蛇草の霞に対する行動は本当に献身的に見える。そしてその通りなのだ。
「はは、申し訳ない。寝室までたのむよ。それじゃ、皆今日はこの辺りで、お開きにしよう」
蛇草に肩を借りながら、霞は寝室へと消えて行く。
「はぁ……ダリィ」
そう言って、鼬鼠も立ち上がる。
「みんな寝てしまうの?お姉さんつまらないわ」
本当に子供じみた更の一言だが、彼女のその一言は、確かに救われる言葉なのだ。特に千霧のように、蛇草に拾われて、彼女を慕うことが、唯一の心のより所である存在には、その主である一族の一言で、路頭に迷いかねないのである。
ただ、彼女ほどの実力者ともなれば、そんなことは大凡ないのだが、借りに新が東雲家の当主となった場合、間違い無くこのようなアットホームな雰囲気では無くなってしまうにちがいないのだ。
そうなると、それを抑止できる存在は、間違い無く更だけなのである。
「更様、明日も御座います。今日はおしまいにしましょう」
蛇草がいない場合、千霧がこうして場を仕切ることも度々ある。彼女がこうしているからこそ、蛇草も安心して霞に付き添うことが出来るのである。
東雲家は、今の所非常に良く回っているようだが、前述したとおり、若干薄氷を渡るかの如くといった、バランスで保たれている。
若干である理由は、霞も蛇草も十分に健在であり、蛇草の引退後は、鼬鼠がいるし、当然千霧も助けてくれるだろうし、蛇草の視界には鋭児も入っており、将来を見据えている。
いい加減かも知れないが、美逆に当主が入れ替わった場合でも、様々な面に於いて、寛容であることは間違い無い。ただ、彼の存在を問題視している者達も存在しており、それはなにも新だけではない。
といったところが大凡の状況だ。
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