第1章 第4部 最終話
それにしても本当に見事な銀髪である。通りすがる男性達が、彼女の美しさについつい目を奪われがちになっているのが美箏にも解る。
光の加減なのか、多少青みがかっているように見えるが、基本は銀髪であり、近くで見ると解るのだが、確かにブリーチなどによる毛染めで得られた色合いではなく、自然にそうなったのだ。
その神秘性こそが、彼女に天涯孤独の人生を歩ませているのだろうと、美箏は推測する。
とりあえず、二人は買い物そのものをゆっくりと済ませることにする。
吹雪には解っていた事だが、夜もあるのだし、子供じみた性格のある焔のことだ。空腹に耐えられるわけもなく、お腹が空くと降りてくるに違いない。
ただし、それまでに一通り満足していれば―――ということなのだが、そういうのも付き合いで何となく解ることだ。
吹雪の選ぶ食材を見て、美箏はある事に気がつく。
「鍋でもするつもりですか?」
「うん。皆で囲んで突いて食べるのって楽しくない?」
「ま、まぁそうなんでしょうけど……」
あまりにも季節感がないだろうと美箏は思うのだが、楽しそうに食材を選んでいる吹雪を見ていると、とても止める気にはなれなかった。
そしてそうかとも思うのだった。
黒野家で摂る夕食というものが、吹雪や焔にとって、特別な意味があるのだと。
そこは、日常であるにも関わらず、彼女達にとって、非日常の世界なのだ。
別に、吹雪達の日常を、美箏が知っているわけではない。だが、天涯孤独だと言うことは、そういう団欒の記憶が薄いか、或いは皆無だということを意味する。
彼女達には、当たり前にある家というものがなく、地に足の着いた生活がない。基盤となるはずの場所が非常に不安定なのだ。
安定していそうな吹雪と焔の足下は非情に脆い状態なのである。
そして、現実にある黒野家という場所は、彼女達にとって特別な存在なのだ。自分の進学に対する費用というものが、その居所を奪う一つの理由とないっていたことに、美箏は心苦しさを覚える。いや、より重たく感じたといった方が正しいと言えただろう。
楽しげに買い物を続ける吹雪の横で俯き胸を痛めるのだった。
そんな買い物の帰り道。
「鋭児クンがね」
吹雪が突然そんなことを言い出す。
吹雪の声に、美箏は、意識を現実に引き戻されるかのように、はっとして一度正面を向き、それから左側に歩く、吹雪の顔を少し見上げるようにして見る。
吹雪は、何時も通り上品にニコニコとしている。普段とまるで変わりない。
しかしその口調は、明らかな気遣いがあった。
「美箏ちゃんが気にすることじゃないのにって、でも、鋭児クンも饒舌な方じゃないから」
吹雪は、鋭児の気持ちを代弁するようにニコリと微笑む。
自分達に気を遣っている美箏を見かねてのことなのだろう。鋭児がそれで手放す決断をしていたのならば、それはそれで仕方のないことなのだと、割り切ったような様子で、すこしだけ寂しげな笑みを浮かべるのだった。
そんな会話をしているうちに、黒野家に到着する二人。
真夏に鍋など、本当に季節感のない話だが、吹雪の嬉しそうな表情を見ていると、とても咎める気にはなれない。
「焔―!もうすぐで晩ご飯だからね!」
キッチンに到着するなり、吹雪は遠慮なく声を張って、今頃鋭児との時間を満喫しているはずの彼女に声を掛けるのだった。
焔の返事はない。だが、それほど防音に優れている訳ではない黒野家であるため、聞こえているのは確かである。
二人の情事を想像するだけで、赤面してしまう美箏だが、そうしている間にも、吹雪は鍋やらコンロやらの準備をし始める。
それにしても、まるで知り尽くした我が家のように、吹雪は段取りよく調理を準備を進めるのは驚きだ。利口そうな彼女といっても、これは少々異様な光景である。
「この前来たときに、これだ!って思ったのよ♪」
吹雪は両手に土鍋を持ち、美箏に見せる。だとすると、この鍋は、前々から吹雪が計画をしていたということになる。
用意周到と言うより、随分気の早い人だと思うと、美箏も思わずクスリと笑いたくなる。無邪気に微笑んでいるその姿が、何とも可笑しい。
鍋の中身は、というと。キムチチゲである。鍋は鍋でも、食欲増進の鍋というわけだ。
もう少しすれば程よく煮立つ頃だろうと、吹雪が思った時、濡れた頭をバスタオルで拭きながら、焔が姿を現す。
彼女がシャワーを浴びているのは、少し前から知っていたことだが、本当に丁度良いタイミングだった。
「お?鍋かよ。熱そうだけど、なんか良い感じだよな!」
焔の場合は、食べられれば何でも良いのではないか?とツッコミを入れたくなる吹雪だった。
ややもすると鋭児が姿を現すが、何ともばつの悪そうな表情をしながら、ブツブツと言いながら、席に着く。
機嫌の良い焔とは、対照的な表情だが、特に機嫌が悪いというわけではない。勿論鍋が嫌いなわけでもない。
焔はそれに反応することも無く、鍋を突き始める。。
辛みは強いが、出汁が利いており、食べれば食べるほど癖になる感じだった。
吹雪は何も言わずにニコニコとしながら、鋭児ばかりに野菜やら肉やらを取り分けている。
吹雪も鋭児が不機嫌で俯いているわけではないことくらい理解しており、そんな鋭児をみて不安がることはない。
「いやぁ食った食った!」
それは、黒野家から美箏の家に向かう道中での焔の一言だった。
何故?となると、それは美箏の家に泊まるためだからだ。焔の予定は最初からそうだった。だから、日中に鋭児を頂いたといった所なのだが、彼女が美箏の家に泊まるというのは、彼女の伯母との約束でもある。
次回にも顔を出すという約束なのだから、焔としては単純にそれを守っているだけのことなのだが、何故自分の母親が焔を気に入っているのかが解らない美箏であった。
彼女の境遇は理解出来る。両親というものを知らずに育った焔は、それだけで幸せではないと思えるし、家庭環境すらまともに知らない所は、尚不幸だ。
それらを撥ね除けて力強く生きている焔は、確かに見ていて応援をしたくなるのだが、如何せん男以上に裁けた行動をし、遠慮のない図々しさは、差し引いても余りあるのだ。憎いわけではないが、何故か迷惑さを感じてしまう。
輪を掛けて騒がしいというのもある。そして、美箏がわかりやすいむくれ面をしても、全く意に介さないところが、更に腹立たしい。
「おばさんの朝飯楽しみだよなぁ。アレだけでも出てきた甲斐があるってもんだぜ」
今お腹がいっぱいだといっていたのではないのか?と、美箏は呆れてしまうが、確かに身内贔屓を差し引いても、自分の母親の作る食事は美味しいと思う。
「吹雪も確かに上手いンだけどよぉ。何通か、おばさんのを食っちまうと、まぁまだ底が浅ぇなって思うわけよ。うん」
解ったようなことをいっている焔だが、美箏も美味しいと思っていた吹雪の料理に対しての評価がそれなのだ。
当然吹雪と美箏の母では、その年期が違う。当然と言えば当然だが、こういう部分が焔の憎らしい所なのだ。彼女ほどストレートに、掛け値無しにそれを言われてしまうと、確かに作りがいがあるというものだ。
悪ガキのような焔が、素直にそれを面と向かって口にするのだから、誰もが彼女のそれが本音であることは、理解出来ようものだ。
美箏は、なるほどと思った。
毎日当たり前のように頂いている食事ではあるが、感謝していないわけではない。しかし、それを表現してくれなくなると、確かに新鮮みに掛けてしまう。
焰の対応は、彼女にとってまさにそれなのだと美箏は思う。
美箏の家に到着すると、焰はまるで我が家にでも戻ったかのような様子で、気軽に玄関を開ける。
「こんちわ!」
普通はインターホンか何かだろう。若しくは、自分が入った後についてくるのが当然の礼儀だと思ったのだが、焰はすでに玄関で靴を脱ごうとしている。
「あら、思ったより早かったのね」
文恵、つまり美箏の母の名なのだが、普段礼儀に厳しい彼女でさえ、焰に対してはそんな対応なのだ。これではどちらが娘なのかわかったものではない。
それに、玄関に出てくるタイミングも、どことなく見計らったような感じである。おそらく何気に何時でも対応出来るように構えていた違いない。
美箏は思わずため息をついてしまうのだった。
それでも焰が心得ているのは、脱いだ靴を散らかすのではなく、ちゃんとそろえておくところだ。流石にそこまでの乱暴者という訳ではないというところだが、もちろん鋭児の前ではもっと乱暴である。
「まぁな。一緒に風呂入って背中流す約束もしたしな!」
それでも、相変わらずのこの焰の言葉遣いには、文恵も少しだけ呆れた顔をせずにはいられなかった。それでもそこには、幻滅の意味などは込められておらず、あくまでもやんちゃ坊主を相手にするかのような、暖かみのある視線だった。
焔は遠慮もなく文恵の背中を押し、リビングへと向かう。本当に実家に帰ってきた娘のような振る舞いである。
焔の天真爛漫さが羨ましく思える美箏だった。
そして鋭児を含めた一同の夏は、平和のうちに過ぎてゆくのであった。
ただ、アリスとの約束だけは、すっかり忘れている焔なのである。
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