第1章 第2部 第17話
空気の流れは一頻り纏まる。
そこからは、ほぼ世間話だった。といっても、過去の鋭児の話題というのは、あまり明るいものではない。ただ、秋仁が上手く纏めて、鋭児は兎に角ワルガキで喧嘩っ早かったという一言に終始する。
当然父母の話など殆ど無く、最初にビールを飲んだときの話だとか、そういう話題になる。
焔と吹雪の話題に関しても、二人には両親がおらず、施設育ちだということぐらいに終始し、幼い頃の明るい思い出話はない。
話す事といえば、オブラートに包んだ、鼬鼠との喧嘩話であり、鋭児が負けたということを、焔が強調してからかい、鋭児がそれに対して、強がってみせるのだった。
鋭児が喧嘩に負けるということが、秋仁には俄に信じだたかったが、彼らの学校が格闘系の学校であると聞かされ、漸く納得する。
一同一様に酒が進み、美箏以外は、全員陽気な赤ら顔になっている。
テーブルの上はすっかり片付けられ、美箏が入れてくれたコーヒーで、一段落といったところだった。
「どれ、鋭児のセンパイがどれだけ強いのか、お手並み拝見といこうか!」
と、秋仁はがっしりと太く鍛えられた腕を見せつけるために、腕まくりをして、自慢の筋肉を露わにする。確かに良く鍛えられた腕で、彼も何らかの格闘に精通しているのが分かる。
「うっし」
と、長テーブルの長辺に二人座って向かい合い、がっしりと手を組むが、お互い乗り出した状況であるため、ノーブラである焔の胸の谷間がよく見えるのだ。
それは、あまりにも目の毒だが、それでもしっかりと目に入れているし、生唾をゴクリと飲む。
鋭児は、そういうことを全く気にしない焔に対して、少々頭の痛い表情をして、目元を押さえて、首を振る。しかし組んでから、二秒もしないうちに、秋仁が力を抜く。
「参った参った!」
組んだ瞬間、まるで地中深く突き刺さった、鉄柱を握りしめたような感覚だったのだ。焔の腕は、決して鍛え上げられたアームレスラーのような腕ではない。健康的ではあるが、やはり女子の腕である。それなのに、それがビクリとも動く気配を見せないのだ。
アルコールが入っているにしても、あまりにも、その差が歴然としており、勝負する気になれない。
「んだよ!おっさん!せっかくサービスしてやってんのに!」
焔がずいと前に乗り出す。
それは、恣意的にそうしているのかと、ツッコミを入れたくなる鋭児だった。
「じゃぁ、鋭児、一丁勝負してみるか!」
「あ……いや、その……」
鋭児は酷く遠慮している。その遠慮は秋仁に負けるからというものでも、酔っているからというものとは違う、妙な遠慮なのだ。
「なんだ?喧嘩の怪我でも癒えてないのか?」
秋仁はこの家で、鋭児と会った時から、彼の長袖のシャツの袖から見え隠れする包帯のことを知っていたが、敢えて黙っていたのだ。
「ん……まぁ。このマエも試合してて……さ」
「関心せんな。学生での試合で怪我が多いというのは……」
秋仁は真面目に渋い表情を作りながら、鋭児を見ると、話しきれない事情があるため、鋭児は視線を逸らすのだった。
喧嘩や試合のことで、鋭児が口籠もるのは珍しい。
特に意気揚々とするわけではないが、話題そのものを避けようとしたり、逸らそうとしたりはしない。
言えるも筈もない、鼬鼠に切り刻まれて、重傷を負ったことや、焔の一撃で内臓が破裂した状態だった……などと。
「まぁほどほどにするんだぞ」
秋仁はそう言って釘を刺すだけにとどめた。
「あ、ああ」
秋仁の表情からもっと追求があるのではないか?と思ったのだが、意外に彼は何も言わずに黙々とおつまみを口に放り込みつつ、ビールをグビッと飲み干した。
「ホラホラ!ぬるくなっちまわないうちに、飲んだのんだ!」
と、無責任にビールを勧める始末である。秋仁的にはコーヒーよりビールなのだ。
「お父さん!!」
「まぁ、いいじゃないか!鋭児はずっと苦労してきたんだ。人より早く飲む権利くらいは、あるさ」
開けた考えの秋仁は、先ほどの渋い顔から一転して、目を細めながら、男らしい笑顔を見せて、鋭児に缶ビールを突き出す。それから、焔や吹雪にも進める始末で、挙げ句の果てには、我が娘にも一杯飲ませようとする。
「美箏!」
秋仁は無粋を嫌い、我が娘にビールを飲ませる。秋仁が娘にビールを勧めるのは、それほど多いわけではなかったが、なにか一つ物事がある場合は、決まって勧めるのだ。今日の場合は、この家のことであるとか、鋭児の言うに言えない事情のことだとかだ。
分かりはしないが、理解はし、腹に収めるという、彼流の会話だった。
仕方が無く美箏は、プルタブを引き、一口だけ飲むそぶりを見せる。
勿論秋仁もそれ以上は強引に飲ませることも無かった。
今日この日にこの場所で、未成年でありながらビールを飲んだという、美箏の記憶は一生のモノとなるだろう。
来年にはもう自分達の物ではなくなっているこの家で飲んだ、最初で最後のビールの味を、忘れる事はないはずである。と、秋仁は思うのだった。
美箏は、当たり前のようにグイグイと飲み干す焔と、割と落ち着いた様子で、普通に飲んでいる鋭児と、静かに飲んでいるものの、確りと量を熟している吹雪を見てから、まるで苦いクスリを飲むかのように、やけくそでビールを一気に飲み干した。
自分の娘だ。一缶程度ならどうという事はないと、秋仁は理解している。
尤も、後で妻にこっぴどく叱られるのは、自分だろう。そうすると、少々零れる笑みと共に、普段より苦く感じるビールを一口に飲み干すのだった。
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