第10話 本当の私

 いじめ? あの学校で「姫」と呼ばれている完璧美少女の天川が?

 僕がそう疑問を持った時に、続けて彼女は話を続けた。


「私が、他の地域に転校していた時よ」


 そうか、僕はその時期の彼女を知らない。


「生意気だとか、暗いだとか理由はもう忘れたわ。最初は物を隠されたり、無視されたり軽いものだった。でも、どんどんエスカレートしていって暴力行為や、クラスで罠にはめられて財布泥棒に仕立てられたこともあった。私の周りには、仲間って言える人は一人もいなかった。それで、私は学校に行けなくなったの」


 今の天川を知っている僕からすると、とても信じられない話だ。


「それで、その時の私を知らないこの地に、私だけが帰ってきたの」


 彼女にとってこの真実は誰にも知られたくないはずの話なのに、なんで僕なんかに話してくれたんだろうかと――疑問に思った。 


「それから私は、同じ目に遭わないように頑張ったわ。皆に嫌われない私に、皆に好かれる私になる為に。皆に尊敬される為に、勉強も運動も。表情だって、毎日鏡の前で研究して練習したわ。皆に好印象を与える笑顔や、なめられないように毅然とした顔も。性格も、皆に優しく平等に。でも、八方美人を嫌う人がいることも知っているから、それも加味して色々微調整した」


 今まで誰にも話さず自分の中にため込んでいた天川の言葉は、まるで決壊したダムから水が流れ出す様にまだまだ止まらない。


「もちろん表面や内面だけじゃ駄目。色々と実績を積まなくちゃいけない。クラスの委員長にも立候補したし、所属している弓道部の部長にもなったわ。どれもこれも別に望んだわけじゃないけど……もうあんな日々は二度と御免だから。まあ、そのおかげでそれなりに皆に認められるようになったわ。全て私が思い描いた通り順調だった」


 さっき疑問に思ったが、きっと彼女は誰でもよかったから話を聞いて欲しかったのだろう。それ程、彼女は自分の中に溜め込んだもので爆発寸前だったのかもしれない。


 そこから全てを吐き出したはずの彼女の表情は暗くなった。


「ある日、とても不安を感じたの。今の自分は本当の自分じゃない。もしボロを出して、皆に嫌われたらどうしよう。またあの日が戻ってきたらどうしようって。そう考えたら、不安で不安で仕方なかった。今の笑顔は間違ってなかった? 今の受け答えは間違ってなかった? って考えたら際限がなかった。心を落ち着ける時が無かった。毎日毎日怖かった。心身ともに疲れ切っていた。そんなある日、家の玄関で聞こえたの……『外に出ない方がいい』って。それと同時に、体がまるで鉛のように重く感じたの」


 奴の仕業だ。その時に、天川に取り憑いたのだろう。


「その日、学校を休んだわ。それから、少しでも体調がすぐれないと思ったら学校を休んだわ。……いいえ、逃げてたのね。そして、今あなたが知っている状態になったの」

「そうか。でも、もう天川を縛っていた妖怪はいないから、もう心配するなよ」


「……本当にそうかしら?」


「えっ?」

 天川の表情は、僕が思っていた安堵のそれではなかった。


「確かに、私を苦しめてた妖怪ってものはいなくなったのかもしれない。でも、それを呼び寄せた私の心は本物だったもの。実を言うと、今もまだ学校に行くのが怖いわ。本当の自分が『姫』って呼ばれる様な大した者じゃないってばれるのが怖い……」


 そうか、彼女を本当に苦しめていたのは妖怪じゃなかったのか。なら、君を救えるのは君自身でしかない。


 なら、本当は言うつもりはなかったことを僕は言おう。


「天川……実はな、僕は今のお前があまり好きじゃなかったんだよ」

「えっ?」

 彼女は少し驚いたような表情を見せた。


「昔のお前を知っている僕からすると、今のお前は近寄りがたいし、知りもしない奴みたいで、人見知りの僕からすると怖い存在だったしな。久しぶりに会った時、ちょっとショックだったよ」

「ふふっ、私もショックね。皆に好かれるようにしてたつもりだったけど、こんな身近な人に嫌われてたなんて」

「お前は神様にでもなるつもりか? そんな全ての人間に好かれている奴なんて、いるわけないだろ。それこそ神様でも無理だ」


 僕は、不安や恐怖から彼女を守ってはやれない。だから純粋に思った事を伝える。


「でもな、久しぶりに会ったお前を見て他にも思った事があるんだ。……本当に努力したんだなって」

「努力?」

「ああ。別に勉強が出来たわけでも、運動神経が良かったわけでも、愛想が良かったわけでもなかったお前が、スーパーヒロインになって帰ってきたんだ。並大抵の努力じゃ、ああはなれない。本当にスゲーって思ったよ」

「私が……凄い?」

「さっき、お前は本当の自分がばれるのが怖いって言ったよな? でも、本当じゃない天川って誰だ?」


 僕の問いに、天川は要領を得ない顔をした。


「もし僕が、明日から学年で一番の成績を取ろうとしても取る事は出来ない。もし僕が、明日から学校で一番の人気者になろうとしてもなることは出来ない。人はいきなり変わろうとしてもそれは無理なんだ。色々な努力、色々な挫折、それを何度も繰り返すんだ。変わりたい自分になる為に」


 僕は、天川に伝えたい事を伝える為に、真っ直ぐ彼女の目を見た。彼女も、僕の目を真っ直ぐ見る。



「天川、お前は偽物になったんじゃない。努力して、成長したんだ。今のお前は紛れもない本当の天川だよ……頑張ったな」



 その時、天川の頬に一筋の涙が流れ落ちた。そして彼女は、いつも皆に見せているものとは違う、きっと鏡で練習したものじゃない笑顔を見せた。



「ありがとう……本当にありがとう。……本当の私を見つけてくれて」



 きっとこの時、天川は今までしてきた自分の努力を思い出していたんだろう。

苦しかっただろうが、その過ごしてきた時間は決して嘘じゃない。


 周りは完璧だと思っていたが、少女は過去の経験から自分に自信が持てなかった。だが、ここでやっと今ある天川乙姫という存在が、紛れもない本当の彼女自身だと受け入れられたのだろう。


 少し時間が過ぎ、天川は平静を取り戻した。

 どうやら、僕の予定だった午前中に仕事を終わらすのは無理みたいだ。でも、別にいいやと僕は思った。

 

 天川を見送る為に、鳥居の所まで彼女の少し後ろを付いて行く。穏やかな暖かい春風が藤の花を揺らせ、その木々の中を歩く彼女の姿を艶やかに彩っている。後姿だが、彼女は皆が言うようにまるで姫の様に見えた。


 鳥居をくぐり、階段の所でふと立ち止まった天川は僕の方に振り返った。


「私……あなたに惚れたわ」

「……えっ?」


 突然のストレートすぎる思いの丈に、僕の頭は一瞬にして真っ白になった。


「だから、私はあなたが好きになったって言ったの」


 普通なら少し恥じらいの仕草を見せつつ告白をするのだが、何故か彼女は堂々とした態度でそれをしてきた。


「えっ、えっと。なっ、なんで?」

「別に不思議な事じゃないでしょ? 自分のピンチに、白馬の王子様のように颯爽と現れて私を救ってくれた。普通の女の子だったら、そんな王子様に惚れるのは至極当然じゃない? それに、あんな素敵な言葉まで送ってくれて。それなのに、元気でね、また今度。なんて都合のいい終わり方が出来るとでも思った?」


 何か最後はちょっと可笑しい表現だが、前半部分は冷静に考えればそうなのかもしれない。


「……で、何か言う事は無いの? 出来れば、何でもいいから喋って欲しいのだけど。これでも、こんなことは初体験なの。この間をどう保てばいいのか分からないわ」


 さっきは堂々としていた天川だが、今はよく見たら肩が少し震えている。

 真っ白だった僕の頭も、時間と共に色を取り戻した。


 彼女は初体験と言ったが、僕も女性から告白されるのは初めてだ。しかも、相手は学校一の完璧美少女だ。多少の戸惑いは許して欲しい。


 しかし、いつまでもこのままではいられない。

 再び彼女の顔を見ると、新たな一歩を踏み出し吹っ切れたようだ。それを見て僕の答えは決まった。いや、最初から決まっている。


 自分の気持ちを伝えてくれた天川に対し、僕は彼女の期待や不安を感じている目を見て口を開いた。


「天川……。それは勘違いだ」

「えっ?」


「今の君は、いわゆるつり橋効果を体験しているだけだ。それは本心じゃない。それに、僕は別に君の為に戦ったわけじゃない。ただ、僕自身の為に戦っただけだ。その過程でたまたま君を救っただけだ。だから……僕は君の白馬の王子様じゃない」


 僕は天川に対して「君」といった少し突き放した呼び方をして、僕との間に線引きをした。


「……そう。あなたの気持ちは分かったわ。今日のところは帰るわね。じゃあ、明日学校で」


 天川は、想像していたよりも素直に僕の言葉を受け入れた。


「ああ、また明日」


 彼女は少し暗い顔をしたが、すぐ僕に気丈な笑顔を見せて長い階段を下りて行った。


「さて、小遣い稼ぎの続きでもやるか」

「おい。色男」

「ん、何だ? クコ、起きてたのか?」

「まあな。それより、あれでよかったのか?」

「あれでって、何のことだ?」

「あの小娘の事じゃよ。我には及ばんが、あれも中々上物の部類じゃないのか? お主のようなこじらせ小僧にとっては、二度と来ない好機じゃないのか?」

「第一に、僕は何もこじらせていない普通の健全な男子だ。第二に、別にこれは最後のチャンスじゃない……多分。第三に、これは彼女の為でもあるんだ」

「あの小娘の為じゃと?」

「そうだ。彼女は長年苦しんできた。その結果、妖怪にも取り憑かれた。でも、これからやっと新しい人生を歩むんだ。僕みたいな、妖怪と縁のある人間とは関わりは持たない方がいいんだよ」

「ふっ、やっぱりお主はこじらせておるわ。でも、そういう所が嫌いじゃないんだがな」

「なんとでも言え」


 そうだ、これは彼女の為だ。そして……僕の為でもある。今の僕は、誰が好きだの嫌いだのをやっている暇はない。


 僕は自分の両手を見た。その後、うちの神社の後ろにある裏山に目をやった。

自分のやるべきことを再確認する為に――。

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