第3話-白石家襲来③
「着いたみたいね。降りるわよ」
父さんの車が駐車場に収まったのを確認して、私は琉亜の手を引いて外に連れ出した。
「高校生と言えば、これくらいな感じが良いと思ってね」
「ありがとうございます」
父さんの声に彼は軽く頭を下げた。随分とぎこちない彼に新鮮さと面白さを感じた私はきっと、ちょっとだけ性格が悪い。
「琉亜くん、そんなに硬くならなくて良いのよ?」
「あはは、出来るだけ肩の力を抜けるように頑張ります」
父さんの車で連れて来られたのは、大通り沿いにあるチェーン店の焼肉屋だ。私達は高級店に行くこともあれば、こういうカジュアルな店に行くこともあって、比率的には丁度半々くらい。
今回は琉亜も居るし、連れて行くならなるべく気を遣わない所が良いって言ったらここになった。
……琉亜は気を遣わないかもしれないけれど、一歩間違えれば私は夕食が無くなっていたかもしれない。
いやだって、常識的に考えたら好きな相手に沢山食べられる姿を見られたくないと思うわよ。何故父さんも母さんも私が少数派の人間だと思ったのかしら、普通に気にしてるわよ。なんて心の中で言ったって、口に出したって笑って流されてしまうから仕方がない。
せめてもの救いは琉亜がそれを気にしないこと。うん、本当に助かった。
「食べ放題、四人分で」
父さんは席に座るなりそう言った。しかも、一番上のランクの食べ放題にしてるし……
「あ、あの……」
琉亜があわあわしてる……
「気にしない気にしない。稼ぎが多いのが取り柄みたいな物だから」
「ブラックジョークが過ぎませんかそれ……」
母さんの言葉に琉亜が頭を抱えた。流石に可哀想だと思って助け舟を出す。
「母さん達はいつまで日本に居る予定なの?」
「一か月くらいかしら。その間に美冬の玄関の鍵も取り替えたいと思ってるんだけど、……取り替えなくても良い?」
母さんの視線はまるで私の内心を見透かすかのようで、その問いかけでトドメを刺された気分だった。助け船を出すつもりが泥船になった。
「琉亜くんが良ければ別にね?」
「は、はあ、別に私はそれでも……」
「ダメよ、ダメ。琉亜もソファで寝る事になれないでっ」
「ソファも良いけど」
「そういう問題じゃないっ! 迷惑を掛けてる私が言える事じゃないけれど……」
確かになるべく一緒に居たい気持ちはある。けれど、それとこれとは話が別だ。
「ああ、そうだ」
父さんの通った言葉が一気にテーブルを支配した。
「その一件についてだが、琉亜くんに改まって御礼を言おうと思っていたんだ。娘の事を守ってくれてありがとう」
その言葉を聞いて、私は思わず身体を硬くした。
「い、いえ、出来るからやっただけですから」
「それでも、だよ。本当に沢山の世話を掛けたね。感謝してもし切れないよ」
父さんの言葉の通りで、私は下手すれば死んでいた可能性だって無きにしも非ずなのだ。私は彼に大きな借りがある。彼は気にしなくても良いと言うけれど、私の心の中で積み重なったそれは大き過ぎて気にしないなんて出来なかった。
「そ、そうですか……」
彼は言葉に迷って、そのまま閉口してしまった。
「貴方、楽しい雰囲気を壊したわね?」
「いやだって、君は電話とは言え御礼をしたかもしれないが、僕はまだ御礼の一つも彼に言えてなかったんだぞ!? 娘を助けて貰った御礼一つしないまま、このまま過ごすのは僕には無理だ」
「はあ……、そういう所は本当に直らないわね」
父さんの慌てっぷりに母さんのやれやれ感、時たま帰ってきた父さん母さんが私に見せてくれていた変わらない光景だった。
「美冬」
「ん?」
「いや、何でもない」
琉亜は肩を竦めた。
「何よ。気になるじゃない」
「呼んだだけだよ。どこか上の空だった気がしたから」
彼にはバレてしまっていた。驚きはなかった。只ちょっとだけ心が陰った気がした。
**
焼肉の食べ放題なんて初めてだったから、最初は慣れるの苦労したけど、段々と食べ方がわかってきた。
食べる方に集中し過ぎて、あんまり会話が出来てなかった気がする。申し訳ないなって気持ちが少し膨らんだ。
「あー、食べた食べた」
猛さんはそんなことを言って軽くお腹をさすりながら、車が停められている場所に向かって歩いていた。
「父さん、ダサい」
「ぐほぉっ!?」
容赦ない美冬の言葉が突き刺さった。
猛さんと美冬が前を歩いていて俺はゆっくりと後ろからそれを眺める。あんまり話せる話題も無くて、何を話すべきかもわからなくて、終始頷くくらいしか出来なかったな。
「琉亜くんは美冬の何処が好きなの?」
「!?」
美穂さんが突然後ろから現れた。気配が本当に無かったから割とちゃんと驚いた。
「そんなに逃げなくても良いじゃない」
「す、すみません」
緊張してたから気配がわからなかっただけなのか、俺が完全に気が付かずに後ろを取られるって相当に珍しい出来事だ。だからこそ、飛び退くくらいには驚いた。
「でー? どうなの?」
美穂さんは美冬の面影を感じられて、けれども、彼女は決してしないであろう揶揄を含んだ表情をしていた。
「優しい所です」
「私は美冬が優しいとは思わないけどな〜」
「優しいですよ」
試されてるのかわからないが、誰に何と言われようがそれは変わらない。
「どんな所が?」
「そう言われると難しいですけど、強いて言うなら所作とか振る舞いが、ですかね」
美冬はなるべく相手を傷付けないような立ち振る舞いを心掛けている気がする。
その上で、だからこそ、一転した態度で違うと感じた事に違うと言える彼女は優しいのだと思っている。
「へー?」
「……どうしました?」
「まあ、外見に興味無さそうだもんね〜」
「それはそれで何か傷付きます」
実際興味無いし、可愛いからと言ってテンションが上がるようなタイプでもない。
「可愛くはないの?」
「え、可愛いですよ?」
「あらまあ……」
「琉亜っ!」
前を歩いていた美冬に聞かれたのか、彼女は顔を紅くして詰め寄ってきた。
「母さんの質問に真面目に答えないっ!」
「いや、それは無理だろ」
「恥ずかしくて死ねるからっ」
「いや、でも、この立場だと言うしかないだろ……」
聞かれたら"こういう所が好きです"くらい言わないと、親の立場からしたら不安になりそうだが、実際の所はどうなのだろうか?
普通の幼少期を過ごしていれば、想像出来得ることなのだろうか。
「美冬、そんなに責めないの」
「元とは言えば母さんが悪いんでしょっ!?」
「ごめんなさい、ごめんなさいって」
キッと美冬に睨みつけられた美穂さんは、両手をヒラヒラさせて逃げ出そうとした。
「今度可愛いぬいぐるみ買ってあげるから」
「むう……」
いや、ぬいぐるみで黙るの単純過ぎないか?
今日は思ったより、彼女の沢山の一面が見れるな。なんかちょっと感慨深いというか、いつもキッチリしてる彼女がふにゃふにゃになってるのを見ると、素直に微笑ましい気持ちになる。
「何よ……?」
「いや、可愛いなって」
「むう……」
照れた。けど、ただ黙り込むだけだった。
「帰るよ。マンションまで送っていくから乗って」
猛さんの言葉に頷きを返して俺は車に乗った。美冬も反対側から後部座席に乗り込んだ。
美冬も俺も普段から色々な事を話しているから、態々この場で話そうと思えることはそう多くない。行きの高速道路も俺が経験した事のない事柄だったから話題に上がっただけで、それ以上でもそれ以下でも無いのだ。
「琉亜くん、良かったらこれ」
美穂さんが俺に自分のスマホを見せてきた。そこにはメッセンジャーアプリのQRコードが表示されていた。
「美冬、これは……」
彼女に受け取っても良いのかと聞こうとしたが、彼女は窓に寄り掛かって何度も繰り返して差し込まれる街灯に寝顔を晒していた。
「嫌なら受け取らなくても良いけど……」
「あ、いえ、そうではなくて。頂きます」
美穂さんのアカウントを追加した。その後に“倉本琉亜です。よろしくお願いします”とメッセージを送った。
「色々と迷惑を掛けているみたいだから、もし、何か困ったことが有ったら気軽に相談してね」
「いえ、そんな、迷惑だなんて」
むしろ、助けて貰ってるのは俺の方だ。過去の傷跡に寄り添ってくれたのも彼女で、毎日食事を作ってくれているのも彼女で、俺がちょっとだけ女性不信から立ち直れたのも彼女のおかげだ。
つまらない、息が詰まるようなモノクロの日常に色を付けてくれたのは彼女だ。
「むしろ感謝してます。俺は家の事情がちょっと複雑なので、その」
なんて説明すべきかわからない。端的に説明できる気がしない。
「そうなのね。まあ、私達も世間一般的な普通に比べたら、やっぱり美冬には苦労を掛けてしまっているし、何より、物分かりが良過ぎるから、きっと彼女がしたかった事も私達には口にしてないんだろうなって思うのよ」
美穂さんはあっけらかんと口にした。
「そう……かもしれませんね」
確かにそういう美冬の在り方は俺にも心当たりがある。けれど、
「でも、こうやって、言い方は悪いですけど、彼女の幼さが垣間見える振舞いは今日初めて見たので、きっと、気にしないで良いわけでは無いと思うんですけど……」
下手にフォローしようとして言葉は回らなくなって俺は閉口した。
そもそも何様のつもりだよってなったし、それ以上にこの現状を肯定する事は即ち、美冬の“ちっぽけなやりたい”を抑え付ける事を肯定するみたいで、俺にはとてもじゃないけど言葉には出来なかった。
「そっか。そうやって、君は美冬の事を見ているんだね」
「……」
猛さんの言葉に少し戸惑いながら頷いた。
「ああ、いや、特に変な意味は無くてね。僕達から見える彼女と君から見える彼女は全く違うものだろうから、今後もそうやって彼女の事を見てあげてくれると僕達としては嬉しいかな」
それはそうだよな。なんて、簡単過ぎる納得をして頷きを返した。
そこで会話は途切れ、後部座席には静寂だけが残った。
暗闇に何度も何度も白い灯りが射し込んでは抜けていく。
それに照らされては暗闇に消えていく彼女は、いつもと変わらずに綺麗で幻想の様な儚さを感じさせた。
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