第5話-変化と傷跡
「ふう……」
シャワーを浴びて、ソファに腰を掛ける。
「美冬? ……また寝てるのか」
隣で耳障りの良い寝息を立てる彼女はやっぱり綺麗ではなくて可愛く見えた。最近は自身の感想に自分で疑問に思う事が多い。
彼女は可愛いモノ、と世間的な話をすればそうなのかもしれないが、可愛いモノに対する可愛いとは違うな……と、でも、確かに“可愛い”という表現がぴったりと当てはまる。
急にハグされた時はとても驚いたが、でも、嫌じゃなかった。
「お疲れ様」
冷房が効いているから流石にそのまま眠るのは寒いだろう。薄手のブランケットを彼女に掛けてやる。そんな彼女とは対照的に何となく眠りたいとは思えなくて、ついつい、テレビのリモコンに手を伸ばした。
先に電気を消そう。
明るいままよりは暗い方が良いだろう。リビングの電気を切ったと同時にテレビの電源を入れる。音量を俺が聞こえるか聞こえないかくらいまで下げて、また、ソファに深く腰を下ろした。
何か興味のある番組が無いかとコロコロとチャンネルを変える。そんなモノがある筈は無くて、ついつい、自嘲気味に笑みを浮かべた。
元々、大してテレビに興味なんて無かっただろうに。バラエティーやニュースに興味なんて、持ったこと無いだろうに。
開いた傷が暗がりに赤を溢していた。どうせ普通には生きられないのに、普通な興味なんて持てないのに何を期待していたのだろう。
「苦しいな……」
ふと思ってしまう。普通に楽しんで、普通に笑って、それはとても居心地が良くて、……いつまで続くのかって。簡単に消えることがないのはわかっている。それは杞憂だってわかっている。なのに、ふと鈍器で心臓を殴られたかの様な苦しさを感じる。
こんな内面を持っている俺よりかは、きっと、彼女の我儘の方が余程正常で普通で当然に思える。純粋に甘えられることが、甘えられて初めて嫌いじゃない事を知って、そのぬくもりを知ってしまって、いつ消えてなくなるのだろうって、意味無いのにな。
どうして彼らは俺の前から消えてしまったのだろう。なんて、大切に思うからこそ昔の記憶を掘り起こしては答え探しをしてしまう。もっと苦しくなる。
これは良くない。何かで時間を潰さないとどんどん息苦しくなる。
いつもどうしてたっけな。
もう補導の時間だから外に出る事は出来ない。勉強は……美冬が寝てるからな。せっかく暗くしたのに付けるのもな。キツイな、気を紛らわせないのはキツイ。
「んう……?」
「あ、おはよう」
「なんか今日、とても疲れてるみたい……」
美冬が目を覚ました。ちょっとホッとした自分がいた事に驚いていた。
「琉亜……?」
「ん?」
「……何かあったの?」
テレビが光ってるとは言え、暗がりであんまり見えないはずなのに彼女はそんなことを言う。俺があんまり上手く取り繕えていないのか、それとも、暗がりでわかるほど変な顔をしているのだろうか。
はいそうですかと話す気にはなれなくて、話してしまったら弱味を彼女に投げているのと同義な気がして、弱いから助けてくれって言ってるようなモノで、それは俺が目指している姿とは真逆な姿でしかなくて、追いかけている人とは正反対で。
「ん」
彼女の手が、そっと俺の手をとった。指と指が絡んで、そして、力強く結んだ。
やっぱり温かいなと思う。ふっと硬直していた筋肉が弛緩したのを感じる。その優しさを甘受してしまって俺は本当に大丈夫なのだろうか。
……やっぱり、怖い。
「ねえ、琉亜は何を考えてるの?」
彼女の声音は優しくて、実家で昔話を聞いてくれた時とは少し違っていて、聞こう聞こうって感じではなくて、ただ軽やかに答えてくれなくても全然良いと思ってるんだろうなって感じだった。
「色々と、かな」
上手く言葉には出来なかった。言語化出来ない声を外に押し出す事は出来なくて、彼女にはやっぱり敵わないなと思う。
自らの弱さを不完全ながらに伝える事を選べる彼女みたいには、俺はきっとなれないんだろうな。
「貴方って、いつも事実を淡々と話そうとするじゃない?」
気負った感じではないが、気負った感じに聞こえる言葉を彼女は並べた。
「そうだな」
彼女の言葉は俺自身も自覚している事柄で、だからこそ、すんなりと頷くことが出来た。
「私ね、貴方が色々と気を回してくれるから、本当に助かってるのよ。凄い大切にされてるなって思うの。私も勝手に不安になったりして、しんどくなって、気が付いたら貴方の手を取ってることもある。ほら、今日の帰りだって、ね?
でもそれって、事実とはちょっと違った話だと思うのね」
少し照れくさそうに彼女は言う。
「……まあ、確かに、今起こった出来事じゃないからな」
「でも、それを受け止めてくれたのは貴方じゃないの? だったら、少しくらい事実じゃないことを私に話してくれても良いんじゃない?」
ずいっと身を乗り出した彼女と視線が交錯する。彼女の表情は少し不満気であった。
「……事実以外ってさ、上手く言葉にするの難しくないか?」
俺が事実以外を口にしないのは、話す事に抵抗があるのもあるが、それ以上にどうやって言語化すれば良いかわからないことが多い。
「無理に言葉に当てはめようとするからじゃない?」
「つまり……?」
「誰にでもわかる言葉を並べる必要は無いのよ。漠然とした不安って話した相手に伝われば良くて、他の人が傍から聞いてわからなくても良いの」
なる…ほど? わかったようなわからないような、そんな感じだ。
「私には貴方の事実以外の気持ちに、向き合う覚悟くらいあるわよ? だから、ちょっとくらい話してくれても良いんじゃない?」
そう言われても、どういう切り口からどういった話し方をすれば良いのか皆目見当もつかない。結局上手く口は回らずに、黙り込んでしまって申し訳なさを感じた。
「……ちょっと待ってて。電気、つけても良い?」
頷きを返すと美冬はすたすたと電気を付けに行って、それからキッチンに立った。何をするのかとキッチンに居る彼女を眺めていると、俺がよく使っているインスタントの紅茶を取り出した。
「何飲みたい?」
「何でも」
「ん」
やがて電気ポットが湧いた音がして、夏には似合わない温かな紅茶が運ばれてきた。
「ベランダ、行かない?」
「……良いけど」
彼女の誘いを断る理由も無くて、彼女から受け取ったカップを持って俺達はベランダに出た。生暖かい風が少し強めに流れていた。
「夏場に温かい紅茶なんて……、あんまり出来たチョイスではなかったわね」
「……そうかな。俺は好きだけど」
ゆっくりとゆったりと過ごしたい夜に温かい飲み物は特に丁度良いと思う。例えば今みたいに、彼女とゆっくり話そうというならピッタリなのだ。俺が言葉に出来るかはまた別問題だが。
「今は苦しい?」
「いや、楽になったよ」
なるべく彼女に多くの情報を伝えられるように、彼女が振ってくれた話題に多くの情報を返そうと心掛けてみた。きっと俺は自分から内面の話を、事実ではない話をすることは出来ないだろうから。
「私も時折、辛くなったりするけれど、あんまりきっかけとか理由とかわからないのよね」
「俺もわからない。普段は感じても放置するから、余計に人に伝える方法がわからないんだよな」
苦しくなって息が出来なくなって、でも、それを人に話す事は無い。知らないフリをするのが殆どだから、自分の事を言語化することが出来ない。原因はわかるんだけどな……
「誰の事を考えてたの?」
「……美冬のこと?」
ちょっとだけ気恥ずかしくて、そう言う事が正しい事かもわからなくて自分で吐き出した言葉に疑問を持った。
「何で疑問形なのよ? ……まあ良いわ、私に言いたいことでもあるの?」
「いや、それはない」
美冬のことは確かに考えてたけど、彼女に伝えたい言葉があったわけではない。
「それって、私が聞いても良い話?」
「……まあ、問題は無いかな」
「じゃあ、教えてくれる? 何を考えてたか」
彼女は軽く俺に肩をぶつけた。シャンプーだかリンスだか甘く柔い匂いが風に乗った。
「……美冬は綺麗じゃなくて可愛いなって」
「え、そんなことで苦しんでたの?」
「それはないから、その目を向けるのは止めてくれ」
ジト目で憐みが籠った視線を向けてきた。最初から話そうとしただけなのに、やっぱり要らないことを口にしたらしい。
「……それで?」
「今日あった事とか思い出して、驚いたなーとか思ってさ」
「うん」
「で、テレビをつけたんだよ」
「そうね。真っ暗の中でテレビって良くないわよ?」
「……それはそうだけど、眠る気になれなくてな」
至極真っ当に注意をされてしまって、ちょっとたじろいでしまった。
「テレビがさ、面白くなかったんだよ」
「まあ、そもそも最近のテレビってつまらないじゃない?」
「そうだけど、人が楽しいって思えるモノを楽しめないのは昔と変わらないんだなって、そう思ってさ」
「うん」
「そう思ったら、そりゃあそうだよなみたいな。俺なんかが一般的に楽しいと思えるモノを共有出来るわけないよなって」
「テレビなんて、つまらない番組ばかりだから仕方がないと思うけれど……。……それで?」
「普通って無理なのかなって、思ってさ。普通になりたいんじゃなくて、普通を幸せに感じるというか、大切だなって思うというか」
彼女に話してて思った。何でこんなに論理が飛躍したのかと。
テレビがつまらないことと、自らが普通に生きられるかは互換性なんて殆ど無いはずなのに、何で俺は苦しくなったんだろうか。
普通ってどういうことだ?
俺が欲しい普通ってなんなんだ?
そもそも、どうして普通が良いって思ったんだ?
「……一人になりたくないのかもしれない」
ふと口をついて出た言葉はあまりにも酷い願望で醜いモノで、恐らくは彼女の前で発して良いモノではなかった。こんなことを口にして彼女を困らせないわけもないと思った。
「それは誰だってそうじゃない? 私も貴方と出会うまでは一人で良いって思ってたけれど、苦しくないって思ってたけれど、今は無くなったら嫌だなって思うもの」
そんなに変なことじゃないのはわかる。だが、それは口に出しても許されるのかと問われると違う気がする。
「でも、聞けて良かった」
「気を遣われるとちょっと、なんか嫌だな」
それじゃあまるで、彼女を縛っているようなものだ。
「私ね。何処まで貴方とくっついて良いのかとか、考えるようになったのよ。手を繋ぐのは良いの? ハグするのは良いの? それとも……なんて、思ったりするようになったの。だって、不安に感じるから」
「……それはなんか、ちょっと恥ずかしいかな」
「やめて、それを態々掘り返さないで」
「……」
彼女の顔は赤くなっている気がした。藪蛇になりそうだから何も言わないことにする。
「私もね、本当は貴方に沢山甘えたいの。ねえ、もっと甘えても良い? くっついても良い?」
「俺は良いけど……」
「じゃあ、沢山甘えるから、辛かったり苦しかったりしたら言って? なるべく傍に居られるように頑張るから」
彼女はカップを持っていない片腕を俺の片腕に絡ませてきた。そして、腕を沿うようにして指を絡ませてくる。
「そんな事されなくても一緒に居るつもりだから、大丈夫だよ」
美冬も俺と同じでちょっとズレてるなと感じることがある。例えば、こうやって等価交換っぽい話に持っていこうとする所とか。
「……それは、そうね。ありがとう」
彼女は軽く目を細めた。きっとそれは彼女自身も自覚があるのだろう。
「でも、私がしたいから言ってくれる?」
「善処する。じゃあ、俺ももっと大切にしたいから甘えてくれるか?」
「……時と場合によりけり」
「それはなんだってそうだろ」
温くなった紅茶を一気に煽った。
「戻るか」
「ええ」
「ありがとう。助かったよ」
腕を振り解き彼女の頭を撫でた手で窓を開けた。こうやって苦しくなる度に、不安になる度に擦り合わせが出来るなら、大きな間違いは起きないのだろう。
こうやって擦り合わせが出来ることに対する幸せを、美冬が優しい人であることに対する幸福を、俺はしっかりと噛み締めていた。
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