第4話-道場②

 昨日と変わらず、私達は道場で稽古をしていた。


 琉亜が隣で基本的な技を、私とは比べ物にならない完成度で、繰り返し行っている。


「ちょっと捻り過ぎかな」


 そう言われて、ちょっとだけ拳の向きを緩める。


「こっちの方が良いかも」


 緩めたら、些細な違いを彼の手で正された。


 こういう時に、私はなんて返せば良いのかわからない。


 声音はなるだけ柔らかくて、けれども、かなり真剣な表情で動きを訂正してくるから、本当に反応に困る。


「そろそろ飽きないか?」

「ん? そんなことないわよ」

「いや、だって、2時間ぶっ通しで……」


 道場の壁にかかってる時計を見る。もうお昼の時間ね。


「動きが良くなってくのがわかるから、楽しくて」


 私は昨日からずっと、正拳突きの練習をひたすらに繰り返している。

 彼のアドバイスもあって、段々と上手くなっていくのが、たった一日しかやってないのに感じられる。


「やっぱり、美冬上手いな。あ、でも上手いってより、練習するのが上手いのかな」

「練習するのが上手い?」

「こういう練習って、毎日毎日こうやったら良いかも、ああやったら良いかもって、一々考えてやらないんだよ」

「……技がどうやったら上手くなるかってこと?」

「そうそう」


 正拳突きというのは、武術の中で最も基礎的な動きで、そんな動きですら、私と琉亜の動きでは天と地の差があるから、そんな彼の動きを見てると、否が応でも考えさせられる。


「逆に、考えない人が居るのね?」

「居るみたい。俺はわからないけどさ」


 琉亜は私と同じ……と。


「美冬にとって、俺の動きが理想になれて嬉しいよ」

「だって、とても綺麗よ?」

「それがわからない人も多いんだよ。実際さ、技が幾ら綺麗でも、実戦で使えなきゃ意味無いって言い出す人も居るんだから」

「へー、そうなのね?」


 確かに、綺麗さだけだと敵は倒せなさそうよね。


「でも、技は綺麗に打つべきだよ。一つずつ丁寧にな」

「そうなの?」


 彼が断言したということは、彼なりのポリシー的な何かが、技の綺麗さには含まれているのかもしれない。


「そうだよ。だって、綺麗に技が使える奴は雑に使うことも出来るかもしれないけど、その逆は無理だから」

「……それは、何にでも言えるわね」


 それはとても当たり前な事で、私は頷く以外の選択肢がない。


「あとはまあ、技って精密なモノも結構あるからさ。正拳突きもしっかり使えると、色々と応用効くし」

「へえ〜」


 精密で応用が効くって、イマイチ想像出来ないけれど、彼がそう言うってことはそうなのよね。


「美冬、ちょっと」


 正拳突きをひたすらに繰り返していたら、急に手を引かれて背中に隠された。


 彼が目線を向けた先には、私達と同い年くらいの男子が立っていた。



 **



「おいおい、久しぶりに帰ってきたと思ったら、道場内に女連れ込んだのか?」


 そんな挑発的な言葉を吐いたのは、佐条来人さじょうらいとという男子だ。

 俺と同い年で、俺に勝てないからって、何度も何度も突っかかってきたのを覚えてる。


 彼は乱暴な性格をしてるから、美冬を背中に隠した。


「紳士気取りかぁ?」


 一歩、また一歩と彼は足を進める。チャラっぽくて、言動も粗暴で、間違っても友達に紹介出来ない人物だ。


「そこで止まれ。それ以上近付くなら、実力を行使する」


 大方、俺達に近付いて嫌がらせ紛いな事をするつもりなんだろう。彼は昔からそうだった。


 俺の言葉を聞いた彼は、瞳を丸くして驚いた。


「お前、変わったな」

「知らないな。お前が苦手なのは今も変わらないが?」


 全力で睨みつけると、彼はたじろいだ。


「いや、変わっただろ。お前が怒るのは、いつも俺がちょっかいを掛けてからだった」

「……もし、彼女にちょっかい掛けてみろ、二度と表を歩けないようにしてやる」


 この距離なら、お前がどう動いても三手で終わる。


「マジかお前。ベタ惚れじゃねえか」

「知るか」

「……ああ、お前は知らないだろうけどよ。今、門下生の中で一番強いの、俺なんだぜ?」


 陵先輩が居なくなって、俺も居なくなって、その次に一番になったのはお前だったのか。


 ……まあ、だからなんだって話だが。


「俺を倒せるって?」


 お前は道場内の頂上すら知らないだろ?


 高校生の身で、当主であった善一さんを打ち倒した陵先輩の全力を、お前は見たことがないだろ?


 ……自惚れるなよ。


 俺はずっと、そこを目指してるんだよ。


 門下生の中の一番になる事を目標に、頑張ってるわけじゃないんだよ。


「言葉を選べよ? 割とイラついてるからな?」


 いつもの軽薄な言葉を並べてみろよ。この場で二度と口が聞けないようにしてやる。


「……なんで、そんなに偉そうなんだよ」

「違うな。お前の目標と俺の目標を同列に並べられたのが気に食わないんだよ」


 強くなりたい程度の理由と、俺の憧れを一緒に並べるな。


「わかったわかった。ごめんって、回りくどいのやめるわ」


 彼はイラついた俺の心を遮るかのように、パンパンと手を叩いた。


「?」

「そう不思議そうな顔をするなよ。久しぶりにお前と組手したいってだけだ」

「……最初から、それが目的か」


 組手を……か。俺はあんまり組手が好きじゃないからな。

 楽しいと思える組手相手が居なくなってから、本当に懇願されないとやらなくなった。


「わりぃな。俺がお前に対して何処までやれるのか、気になるんだ」

「……最初からやめろよ」


 中学時代からそうだけど、ちょっかい出されるのは普通にイラつく。


「まあでも良いよ。俺も今自分がどれだけ動けるのか気になってたから」

「おっし、そこで待ってろっ!」


 俺の言葉を聞くや否や、彼はバタバタと師範の所に向かって行った。


「……琉亜?」

「あ、ごめん」


 後ろに隠してた美冬を離した。彼女はなんだか珍しいモノを見るような視線を向けてきた。


「……何かあった?」

「いつもの琉亜じゃないなって」

「うっ……、ごめん……」


 道場内だと、陵先輩の話が絡んでくると感情的になっちゃうんだよな。


 ……悪い癖だ。


「彼の事は嫌いなの?」

「んー……、いつもちょっかいばっか掛けてくるから、美冬に近付かれたく無いって思った……かな」


 彼は俺にちょっかいを掛ける為に、美冬の事を困らせたりするタイプの人間だから、彼女に近付かれること自体が嫌だ。


「例えば?」

「足を引っ掛けてくるとか」

「……幼稚」

「そういう奴なんだよ……」


 俺にやるならまだしも、美冬にやられるのは本当に困る。


「善一師範が見てくれるってよ」

「わかった、今行く。……美冬は見てたい? それとも、練習してる?」

「じゃあ、見学させて貰おうかしら」


 彼の言葉を聞いて、美冬を連れて善一さんの前に向かった。



 **


 琉亜と佐条くんって人が、向かい合って立っていた。


 私が気が付いた時には、練習していた門下生が全員見学モードに入っていて、誰も自分の練習してる人は居なかった。


「じゃあ、そろそろ始めるぞ。始めの合図はこのホイッスルで行う」


 善一さんがホイッスルを片手にそう言った。道場なのに、なんだかまるで、リレーでもするみたいね。


 琉亜と佐条くんはお互いに構えた。琉亜と佐条くんの構えは違かったけど、それが何を意味するのかも当然私にはわからない。


 やがて、ホイッスルが鳴った。


 琉亜の前に置かれていた左手が、佐条くんの顔面を殴った。


「っつ」


 彼が怯むとその次の瞬間に、琉亜は右脇を殴った。でも、それには顔色一つ変えずに、膝蹴りを返してきた。


 琉亜はそれをあっさりと片手で受け止める。


「っつ!?」


 その手で何をしたのかわからないけれど、佐条くんは顔を歪めた。何処かが痛いの……かも?


 琉亜は彼の地面から離れていない脚を、強引に足で払って、彼を転倒させた。


 私に教えてくれた正拳突きを、倒れ込んだ彼に叩き込もうとした。


 佐条くんはその正拳突きを、脚で絡めて抑え込んだ。


 脚が首に巻きついていて、琉亜は身動きが取れなさそう。


 琉亜の口から、大きく息を吸う音が聞こえた。その次の瞬間、大きな踏込み音と共に佐条くんは弾き飛ばされた。



 私がわからない攻防がひたすらに続いて、やがて、組手が終わった。


 琉亜が勝ったらしいけれど、彼も佐条くんもどういう意図があってどの動きをしたのかとか、まっったくわからなかった。


「練習に戻ろうか」


 彼はいつもの調子で私の元に戻ってきた。


「ん」


 私は頷くしか出来なかった。動きは目で追えるけれど、意味がわからないモノを見せられると、感想なんて持ちようがなかった。


「美冬にはちょっとつまんなかったかな」

「私が知らないことが多過ぎて、わからなさ過ぎたわ」


 つまらないとは言わないけれど、意味不明は間違いなかった。


「あー、それもそうかもな。これからゆっくり、教えていくよ」

「お願いします?」


 こうして、彼の実家に帰っている間は、私も彼と同じように道場で練習を続けるのだった。

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