第3話-帰省二日目

「桐子さん、昨日はありがとうございました」


 朝の食卓に着くと同時に、美冬は義母さんに頭を下げた。


「良いのよ、別に。色々と気を遣ってたのよね」


 朝の食卓には親父の姿だけが無かった。いつも通り仕事に行ったのだろう。


 実家の朝食は最近食べているモノとは味付けが違くて、昨日食べたのにも関わらず、まだ少しだけ新鮮さを感じていた。


「今日はどうするの?」


 義母さんの視線が俺に向けられた。


「今日は道場と、桐崎家に行ってくる」

「そう。失礼の無いようにね」


 軽い注意を受けて、素直に頷く。


 順番的には桐崎家の方が先かな。道場は道場生と話し込んだりするかもしれない。


「美冬ちゃんは?」

「私は彼に付いて行こうと思ってます」


 明日以降はわからないが、今日はそうするらしい。


「じゃあ、お昼ごはんはどうしましょう?」

「使って良い食材があれば、言ってくれればそれを使うよ」


 無いなら、近くのスーパーに行って買ってくるだけだ。


「そう? じゃあ、特に気にしなくても良いのね」

「気にしなくて大丈夫」


 義母さんに気にされるの、なんか嫌なんだよな。優しさに付け込んでる気がして、あんまり気分が良くない。昨日とか、仕方ない時だけにしたいと思ってる。


 食べ終わったから、俺は食器をシンクの中に入れて洗い始めた。

 昨日は朝練が遅くなったせいで、義母さんと美冬に任せっきりにしてしまったから、今日くらいはやりたかった。


「私もやるわ」


 布巾を持って美冬は俺の隣に立った。


 食器を洗うシンク前に二人も居ると邪魔だから、食器を拭いて棚に戻していくつもりらしい。


「任せた」


 洗い終わった食器を彼女に渡すと、彼女は食器棚に丁寧に置いていく。


 義母さんが持ってきた食器も拭き終わって、洗い物は全て食器棚に戻った。


「一時間後に準備しようか」


 今はまだ午前8時で、今から外行きの格好に着替えるのは、ちょっと速過ぎる気がしてならない。


 桐崎家も、こんなに朝早くから顔を出されても困るだろう。

 道場ならまだしも只の一軒家だから、行く時間には流石に気を遣う。


「でも、本当に私が行っても大丈夫?」

「多分、喜んでくれると思う」


 俺が彼女出来たって言ったら、おじさんもおばさんも泣いて喜びそうだ。


 ……まあ、そうは言わないけどな。


 美冬は見世物じゃないし、しれっと居てもらう程度で、少しだけ喜んで貰えたらって思う。


 美玲先輩が居なくなって、桐崎家はおじさんとおばさんの二人暮らしになってしまったから、だからせめて、美玲先輩から貰った恩を、俺が顔を見せることで返せたらって思ってる。


「そう」

「うん」


 田舎で閉塞的だからこそ、近所付き合いは強くなる。

 しかもそれが、命を救ってくれた人の親だったら、縁なんて切っても切れなくなる。……と思う。

 俺自身も、桐崎家に行くのは流石に緊張する。どんな立場で行ってんだよって言われかねないのもわかってる。

 でも、それでも、美玲先輩が居なくなったから、美玲先輩の周りなんて知りません。……なんて、出来るわけがなかったんだよ。


「琉亜」

「ん?」

「部屋、戻りましょ?」

「だな。時間あるし」


 ちょっとだけ、考え込んでしまった。彼女に悟られないように、軽く笑みを浮かべて返事をした。



 **


「琉亜ー?」


 そろそろ時間の筈だから、私は隣に座っている彼に声を掛けた。


「服、着替えるか。俺が脱衣所行くから、こっちで着替える?」

「そうね。そっちの方が助かるわ」


 彼はキャリーケースから服を取り出して部屋を出て行く。私はそれを見送ってから着替え始めた。


 普段ならデニムのパンツに、半袖の少しフワッとした物を着るのだけれど、少しカジュアル過ぎる気がする。

 彼は気にしないだろうけれど、彼の大切な場所に行くのだから、もう少し真面目っぽく見えても良いかも。


 初日に着ていたワンピースは、もう洗濯してしまっていて、桐子さんに頼んで干して貰ってる。

 無地でレースの入った白いワンピースを取り出した。私の顔立ち的にも、こういう服の方が清楚っぽく真面目に見える……と、勝手に思ってる。


 ワンピースとか可愛い清楚系を着るとトラブルに巻き込まれるから、あんまり着ないけれど、彼が居れば大丈夫だろう。


 上から被るように着て、長く伸びた髪を後から払うように外に出す。


 扉がノックされた。


 ノックの返事の代わりに、私は扉を開けた。廊下には琉亜がいつも通りの余所行きの姿で立っていた。


「他に準備することはある?」

「日焼け止めがまだで……」

「席外してた方が良い?」

「ううん、大丈夫」


 彼の前で日焼け止めを塗ったり、軽く顔を整えたり、なんてしたことが無い。

 ……山下公園の時は皆で塗ったからノーカンよ。


「化粧って大変だよな」


 日焼け止め兼コスメ道具を散乱させてると、彼がそんな事を言った。


「慣れればそうでも無いわよ。もっとも、私はあんまりしてない方だけど」


 洗顔とかそっちに力を入れているから、正直に言えばノーメイクで外に出ても、幼く見えるのが少し気に入らないけれど、人に見せられない顔ではない。


「ふーん」


 彼は間抜けな声を発した。よくわかってないのがわかった。わかったフリをされるよりマシ。


 手鏡で軽く整えて、日焼け止めを腕と脚に塗った。


 髪も真面目っぽく清楚っぽく魅せるために、三つ編みにして二つに分けた。


「待たせてごめんなさい」


 結構時間が掛かった。


「いや、むしろ、その、ありがとう」

「……どういたしまして?」


 なんとなく、どれに向けての感謝かは予想が出来たけれど、それを受け取るべきか否かわからなかった。


「ちょっと休憩した方が良いか?」

「ふふっ、大丈夫よ」

「そっか」


 気を遣い過ぎだと思うこともあるけれど、彼なりの歩み寄りが見えた。


「じゃあ、行こうか」


 キャリーケースから肩掛けの小さなポーチとサンダル、折り畳み傘を持って、私達は部屋を後にした。

 お洒落をする時の為に、念の為にヒールのある肌色のサンダルを持ってきて良かった。今日以外に使う事は無さそうだけれど。


「ん」


 差し出された彼の手を取って、私達は真夏の空に繰り出した。


 **


 折り畳み傘を広げているのにも関わらず、コンクリートから反射した陽射しが肌に突き刺さる。


 真夏の晴天は、素直に喜べない程に強烈な陽射しと、美しい青を広げていた。


 美冬は真夏日に似合わない涼し気な顔をしていて、いや、普段から涼し気な顔をしていることが多いが、何だか心做しか清涼さを感じる気すらする。


「綺麗ね」


 美冬は雲一つない青空を仰ぎ見る。


「だな。真っ青だ」

「やだ、なんかそれ違うわよ」


 彼女はくすくすと上品に笑った。


「桐崎家の人ってどんな人なの?」

「良い人。美玲先輩がカッコイイ人だったから、なんか、ああ、納得ってなった」


 この人達が美玲先輩の親なんだって、らしいなって、そう思った。


「美玲先輩って、凄い人の?」

「俺みたいに勉強してないのに、成績はめちゃくちゃ良かったし、それ以上に、自分が正しいと思った事を曲げない人だった」


 陵先輩は程々に頭が良くて、美玲先輩は文武両道で全てのスペックが高いって感じ。

 でも、美玲先輩の本当の凄さは、全ての経験と知識と力と縁を使って、絶対に自分を曲げないことだ。


「ふぅん」

「毎日が全力って感じだったよ」


 俺があの生活を抜け出すキッカケを作ったのは、間違いなく美玲先輩で、それに影響された陵先輩が"しゃあねえなぁ"って感じで、俺の手を一緒に引っ張ってくれたんだ。


 美玲先輩の綺麗な部分を、陵先輩は守る事に意味を見出していた。


「なんか、妬くわね」


 美冬は少しつまらなさそうに呟いた。


「あー……、そっか、止めた方が良いのか?」


 女性の前で、しかも彼女の前で別の女性の話をするのは良くなかったよな。


「そういうことじゃなくて。……そうやって貴方の為に動いた、美玲先輩って人に妬いたのよ」

「??」


 どういうことだ?


「わからなくていい」

「えぇ……」


 彼女はぷいっと顔を背けてしまった。


「一つや二つ、言いたくないことがあっても良いでしょう?」

「……まあ、それもそうか」


 お互いに色々と話せてしまうから、何でも共有しようとすると思い込んでいた。

 でも確かに、共有出来ない事も、共有したくない事もあるよな。


「でも、今後に関わるなら話してくれるよな?」

「それはもちろん。約束するわ」


 それは一種の、臆病な答え合わせみたいなものだった。


「ここだな」


 桐崎家の前に着いた。この近所には珍しく少し洋風な一軒家だ。

 そりゃあ四ヶ月前に挨拶に来たばっかなんだから、変わってないのは当たり前なんだ。それでも、なんだか時が止まってしまったような気がして心苦しい。


 あの人達はもう居ないのだ。


 いつもここに来ては、足が竦む。


 変わらないで欲しかった現実が、消えてしまった事実に変わったことを、強制的に証明された気分になるのだ。


 居なくなった人間は帰ってこない。


 警察や公的な機関が動いても、あの人達の痕跡は何も見つからなかったから、それはもう死んだのと変わらないこともわかっていて、わかっているからこそ、じゃあ、残された側は何を想えば良いのかわからない。


「琉亜」

「……?」

「しっかりしなさいよ。いつもどうしてたの?」


 彼女の瞳に映る俺の顔は、とても人に見せられたモノではなくて、けれど、しっかりと美冬に見られてしまっていた。


「いつも、こうやって苦しくはなってたかな。恥ずかしいけど」

「そう。別に恥ずかしくはないわよ」


 恥ずかしいと思ってるのはお前だけだと、そう言われた気がした。美冬らしいと言えば、らしい反応だ。


「いつも目の前まで来て戸惑うんだよ、足が進まなくなる」


 いつまでもここに居るわけにもいかないんだ。突っ立ったままで良いわけがないんだ。

 毎回毎回、来る度にそんな事を思って、重たくなった指でインターホンを押す。


 今回も、いつもと同じだ。

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