第8話-花火大会/中編


「人、集まってきたわね」


 喧騒の海に一つの雫を落とすように、私は言葉を発した。


「だな。早く来て場所取って正解だったな」


 始まるまで、まだ1時間近くはあった。

 けれど、喧騒と人の多さを見ると、これで良かったとホッとする。

 逗子市の花火大会は海岸線上で行われる。砂が脚に入って少し気持ち悪いけれど、こればっかりは仕方がない。むしろ、そこまでを含めて夏の風物詩と言える。


「レジャーシート、持ってきてるから座ろう」


 彼は小さなカバンから、ホントに小さな八つ折りのレジャーシートを取り出した。


「用意周到ね……?」


 準備をしてくれるなんて思ってなかったから、流石に驚いてしまった。だって、私が誘ったのよ?


「悪いとは思ったけど、ちょっと調べたんだよ。楽しみたくてさ」


 彼は少し悪戯っ子みたいな、けれど、無邪気な笑みを浮かべた。

 ちょっっっと、心臓に悪かった。

 胸の鼓動が高鳴る……なんて、使い古された表現だけれども、今まさにそれを体感していた。


「……ありがとう」


 一呼吸を置いて、やっとの想いで感謝を言葉にする。

 暗いから、表情が見えてない事を願う。ホントに、心臓に悪いとはこういう事だ。

 今日は伝えようと思ってるから、きっと、それもあって余計に意識してしまう。けれども、そんな事をされたら、きっと、もっと好きになってしまう。

 手を取ってくれた時も、今見たいに気遣ってくれるところも、あの時立ち向かってくれた彼の不器用さを知っているからこそ好きだ。

 座っていた彼の隣に、膝を折って腰を下ろした。


「楽しみだな」

「ええ、私も」


 親が親だから、本当に色々な所に行ったりもしたけれど、でも今日は、今日だけは何かが違った。

 程良い緊張と、色鮮やかな感情が自分の中にあって、けれども、振られたらどうしようって灰色に燻って、そしてまた虹色になる。

 小説なんかによく出てくる恋はピンク色のイメージが殆どだけれども、私の心には単色なんかではなく、様々な色彩が塗りたぐられていた。


 花火が終わったら伝える。ええそうね、逃げるのは趣味じゃないの。



 **


「そろそろ時間だな」

「そうね」

 

 人がごった返して、海岸線から抜けるのも一苦労になっていた。

 そろそろ、花火が打ちあがる。

 

「買ってきたやつ、食べるか」


 焼きそばとたこ焼きを、海岸線に向かう途中の屋台で買った。

 でも、不思議と今まで手はつけていなかった。

 なんとなく、花火が打ちあがってから食べてみたいと思ったから。

 本当はこのタイミングで食べるのは、カキ氷とか夏の風物詩っぽい物の方が良いんだろう。でも、早くに海岸線に陣取る予定だったから、溶けてしまうなと思った。


「そうね」


 ぱちぱちぱち、と、プラスチックの容器から輪ゴムを外す。

 ふわりと蓋が空き、冷めてしまった焼きそばが顔を出した。


「私も焼きそば、少し貰っても良い?」

「良いよ」


 折角の花火大会、ケチケチするのは違う。

 勿体ないなと思う。


「たこ焼き、要る?」

「欲しい」


 美冬は焼きそばをがさっと攫っていく。その代わりにと、まあるいたこ焼きを一つ空いた場所に嵌めこんだ。


「ありがとう。我儘に付き合ってくれて」


 彼女は優しく、けれども楽しそうで、嬉しそうに微笑んだ。


「俺なんかで良ければ、いつでも付き合うよ」


 これは噓偽りの無い本心だ。

 彼女と過ごすのであれば、まあ良いかな……と、そう思えてしまう。


 海岸線を照らしていた光がフっと消えた。

 本当に始まる前なのだろう。

 花火を見に来た海岸線に居る老若男女問わず、少し、いやわかりやすく、ソワソワとし始める。

 きっと、俺も彼女も傍から見たら、ソワソワしているように見えるのだろう。

 市長の演説や、その他もろもろのアナウンスが流れ、やがて、カウントダウンが始まった。


『5』


 一つ目のカウントダウンに、周りの人々は声を合わせる。


『4』


 一つ目でわからなかった俺達も、釣られて声を出す。


『3』


 お祭りって、こんなにもわくわくするモノなのか。


『2』


 ふと横に視線を向けると、彼女はとても待ち遠しそうな視線を空に向けていた。


『1』


 彼女の視線を追って、俺も空を見上げる。


 色とりどりの光が、けたたましい音と共に空へと線を描いて、そして、花を咲かせた。


 **


 花火は大きかった。海の向こうの大きな浮船から、一筋の光が、一定の間隔を保って夜空を飛んで行く。

 一回、二回、三回、なんて数えていたら、気が付いたら花火の色々な表情に飲まれて、数がわからなくなっていた。


 ぱちぱちぱち……


 そんな余韻が一つ一つにあって、少し煙った匂いが流れてきて、それに海の匂いが混ざって、……ああ、本を読んだりしてるだけじゃ、ホントにわかった気になるだけなんだな。


 金色だったり、青色だったり、赤色だったり、それから緑だったり、形も花開く奴ばかりじゃなくて、円だったり、たまにはハートだったり、ハートなのに緑色だったり、本当に様々だった。


 ふと、見た事がある人だったら、こんな光景をどんな風に見ているのか、気になってしまった。


「あっ」


 美冬の方に軽く視線を向けると、目が合った。


 **


 花火が始まった。初めてではないから、初めて見た時の感動に比べれば、少し寂しいものなのかもしれないと思った。

 

 鮮やかな色が夜空を照らして、微かに見えたはずだった星の光を完全に消してしまう。


 それがなんだか寂しいようで、けれども、それはまるでお休みだと言っているかのようで。


 ああ、結局、寂しいと感じた気持ちは思い込みだったのかもしれない。だって、さっきまであった胸の高鳴りが、今の今まで鳴りを潜めていたのだから。


 そんな事を思うと、思ってしまったから、私は無性に彼の事が気になった。だって、初めてだって言ってたから。


 ……そうじゃない、彼がどんな表情でこの光景を見たかったのか、気になったんだ。


 そうして、物音を立てないように彼の横顔を見る。


 高鳴った心臓が止まるかと思った。


 いつもは冷静で、少し気だるげな彼の瞳には童心のような物が宿っていて、その視線は心の底から感動……というよりも、未知の物を見つけたかのような、楽しい世界を見つけた無邪気な少年のような、そんな顔だった。


 いつもの表情ではなくて、怒りの様な炎ではなくて、でも確かに、彼の瞳の中には何かが宿っていて、気が付いたら彼の瞳に写る花火を眺めていた。視線を反らせなくて、私がぼーっとしてしまった。


「あっ」


 私が正気に戻ったのは、彼の瞳がこっちに向いてからだった。


 **


「……どうした?」


 彼女の表情が何処かに飛んで行ってしまった感じがしていて、つい、煌々と輝く海岸線で、似つかわしくない訝し気な目線を向けてしまった。


「んえ、えっと、何でもないわ」


 珍しくしっかりと動揺した彼女の表情は、なんだか面白かった。


「え、笑うの?」

「いや、ごめん」


 つい笑いを堪えた動作をすると、美冬が破顔した。なんだか、謝らなきゃいけない気がして、つい、口から零れていた。


「なんで謝るのよ?」

「何となく……?」


 俺自身も訳がわからなくて、首を傾げてしまった。


「なにそれ……、謝るなら……」

「大丈夫か?」

「……大丈夫よ。花火」


 彼女が細い指で空を指差す。そこでやっと気が付いた。


 ここまで来たのに、ついつい、花火ではなく彼女との会話を楽しんでしまったことに。

 こんなにも綺麗な花火を見て、カラフルな色付きを感じているのに、つい、美冬に意識が行ってしまったことに。


「そろそろ終わるわよ」


 美冬の声が、花火の破裂音に差し込むように耳に届く。


 大きな金色の花火が打ちあがった。


 おお……と、思った矢先に、もう一発もう一発と、まるで雨が空に打ちあがるかのように、何度も何度も空を打ち付けて破裂して、やがて空は金色一色に染まっていく。


 打ち付けて、破裂して、余韻が海に落ちていく。

 

 打ち付けて、破裂して、余韻が海に落ちていく。

 

 打ち付けて、破裂して、余韻が海に落ちていく。

 

 ただそれだけを、ほんの数瞬の間に何度も何度も繰り返していた。


 そして、気が付いたら、花火の時間は止まっていた。


 余韻が何処なのか、最後に打ちあがったのが何時なのか、音が鳴った最後は何処なのか、何何度も繰り返されたせいで、俺は明確な終わりのタイミングを逃してしまったらしい。



 **

 

「終わったわね」


 海岸線が人工的な光に照らされて、花火大会が完全に終わってしまったことが伺えた。


「……終わったのか?」


 琉亜は目をきょろきょろさせて、私に探る様に言った。なんだかその表情が、あまりにも彼らしくなくて、


「ふふっ」


 結構しっかりと笑ってしまった。だって、面白いんだもの。


「笑われるようなことしたか?

「ええ、とても間抜けだったわよ。いつもと違ってね」


 そう言ってやると、彼はもっと間抜けな顔をした。


「……まあ、初めてだし」

「そうね、初めてだものね」


 つまんなそうな顔では無くて、困った顔をしていた。


 私も、そろそろ覚悟を決めないと。


「ねえ、琉亜。好きよ」


 その言葉は去り気なく、けれど、何よりも真っ直ぐに、彼の顔に突き刺した。


 人が多い中で、けれど、余韻に最も浸れている今が良いと、私は思ったから。


「そっか」


 彼はただ頷いた。動揺も無く私を見据えていて、その表情はいつもの彼だった。真っ直ぐな瞳を見ていると怖気づきそうになる。気後れしてしまう。


 でも……


「私と付き合って欲しい」


 先に進むと、私はもう決めていたから。

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