第2話-翌日
「ふあ……」
ねっむい、昨日の疲れも取れてない気がする。
見知らぬ人間がいるってのは、テキトーに生きてる俺でも疲れるらしい。
まあ、そんな事も言ってらんないんだけどな。
白石を起こさないように、スポーツウェアに着替えてランニングシューズを履く。
家の中で色々やってると、きっと白石を起こしてしまうから早々に家を出た。
エントランスを抜け、軽くランニングを始めた。
朝早くのランニングとか、道場の朝練でやったっきりで、こっちに来てからはやった事なんてない。
大体は体幹とか、腕立てとか、そんなに面積を必要としない事ばかりだ。
マンション回りの散歩なんてしないもんだから、あんまりにも見慣れない光景が広がり過ぎてランニングがちょっと楽しくなる。
へえ、こんな感じなのか。
走ってる最中に小さな何処に繋がるかもわからない道を見つけたので、道草を食ってみようと右折する。
そしたら、その先にはまるで忘れ去られているような、そんな雰囲気の公園が広がっていた。
ここだったら、軽くシャドーボクシングを出来るかもな。
シャドーボクシングってのは一人で仮想の敵を想定し、自ら立って手足を動かす。仮想の敵からの攻撃を避けながら、パンチを繰り出すなどの攻撃をすることだ。
結構場所を取るので、室内では出来ないままだった。
7時まで……あと30分か。20分シャドーしたら、帰るか。
師範の言葉を思い出しながら、自分の流派の動きだけではなく、ボクシングや合気道の動きも混ぜていく。
とはいえ、俺は合気道がめちゃくちゃ苦手だから、あくまでもイメトレに近い感じはするけど。
「そろそろ帰るか」
スマホの時間を確認して、公園を後にした。
「あ、おかえりなさい」
家に帰ると白石が迎えてくれた。態々そんな事なんてしなくて良いのに……と思わなくもない。
「まず初めに、朝食を勝手に用意してごめんなさい」
そして、俺がリビングを確認する前にそんなことを言う。なんか美味しそうな匂いがすると思ったら、そういう事だったのか。
「いや、ありがとう。色々と時短できるから助かるよ」
勝手に作ったのは、俺が要らないと言うのを避けるためだろう。やってくれて感謝こそしても怒る事はない。
まあ、貴方の為にとか言われたら、気持ち悪くてやらなくて良いって言いたくなるけどな。
「あれ、ゴミとかどうした?」
「元々使ってる奴に片したわ」
ゴミの位置は後でしっかり教えとこう。パッと見じゃわからない事もあるしな。
今回は困らなかったらしいけど。
「用意してくれたんだったら、さっさと食べた方が良いな? 冷めないうちに」
「そうね。そうしてくれると助かるわ」
そう言えば、もう白石は既に制服姿だった。あまり寝巻き姿は見られたくないのだろう。
俺達はソファに座る。
「「いただきます」」
白米のご飯と、味噌汁、それから焼き魚と所謂ベーシックな和食だった。
俺は朝からこんなの作る気にはならないなあ……
「そう言えば、こんなに朝早くに何処に行ってたの?」
「ランニングだよ。まあ、部活に入ってたら朝練……って感じかな。あ、美味しい」
うん、めちゃくちゃ美味い。
俺、作らなくて良いんじゃね?
お金払うから、白石に任せようかな。
むしろ作って欲しいかも。
「あ、白石。うちの親は良いって言ってたから、色々と買いに行こうぜ」
布団とか着替えとか色々、このままだと生活しにくてしょうがない。
「あ、ありがとう。えっと、その、お願いします?」
「はいよ」
流石に食器洗いは俺がやった。作って貰って任せるのはちょっとな。
その後に制服に着替えて、必要な教材をカバンに突っ込む。
「白石、教材は大丈夫なのか?」
「朝一番で職員室に行って、事情を説明してくるわ」
まあ、それが良いだろうな。
「……俺の使うか?」
「えっ、でも……」
「書き込まれたらちょっと困るし、必要な時に無いと困るけど、授業は絶対にずれるからな」
高校は教科担当の先生がいて、基本的にはそれが複数人……って訳でもない。
だから、同じ教科の授業が違うクラスであるって事も……基本的にはない。
「そうね。友達居ないし……頼もうかしら」
「はいよ。時間割教えてくれ」
俺の時間割は1限が現国、2限が数学Ⅰ、3限が倫理、4限が体育、5限が物理基礎、そして最後に、コミュニケーション英語だ。
白石は1限が体育、2限がコミュニケーション英語、3限が現国、4限が化学基礎、5限が数学A、そして最後に数学Ⅰらしい。
取り敢えず教科被りはなさそうだし、お互いに渡し合えば問題もないだろう。
「じゃあ、英語を取りに行く時に数Ⅰと現国の教科書を渡すよ」
「わかったわ。倉本が使わない教科書、借りてくわね」
お互いにカバンの中に教材を詰めて準備を終える。靴を履き、外に出ようとした。
「あ、待って、倉本くん」
「?」
「連絡先、貰っても良いかしら?」
「あ、忘れてた」
白石の言われるまで忘れてた。
連絡先が無いと今後困る事もあるだろう。
某メッセンジャーアプリを起動して連絡先を交換した。
既に8時を回っていた。
無理に離れて歩く必要も無いので、自然と白石と他愛の無い会話をする。
ただ、俺も才女様も残念ながら自分から話し続けられるタイプではなく、お互いに微妙な空気感を味わっていた……と思う。
俺は味わってた。相手は知らん。
「お、琉亜! やっほ……」
涼は俺の隣に歩いている白石を見て、声を萎ませていく。
「ちょ……これ、どういう話なん?」
涼は俺の隣、白石の反対側に位置取り、こっそりと耳打ちする。
「あー、ちょっと家庭の事情でな。白石さんにも紹介する。こっちはクラスメイトの万丈涼。見た目より遥かに真面目だから、ビビらなくて大丈夫だ」
涼の質問に答えて、白石にチャラくて厳つい格好をした涼を紹介する。
「白石美冬です。よろしくお願いします」
「えっ、あっ、万丈涼です……よろしくお願いします……」
こいつ、無駄に陰キャかますよな。
「自己紹介くらいはっきりしろ!」
涼の頭を引っぱたいた。
「いって! 親父にも打たれた事ないのに!」
「お前の外見でそんな事言っても、全く説得力無いから」
なんなら、毎日殴られてそう。
そんな俺たちのやり取りを見て、白石は手を口にあてて笑った。
そんなに面白いか?
「すみません。仲が良いんだなと思ったので」
「まあ、こんなに仲が良いのは涼くらいか」
白石の言葉に素直に頷く。
「お、嬉しいこと言ってくれるねー」
「悲しい事にな」
高校で仲が良い友達を沢山作るのは不可能に近かった。
俺が素っ気なさ過ぎるのが理由なんだけど、それを変えようとも思わないんだ。
「悲しむなよ。俺が居るだろ?」
「ああ、そうだな」
調子に乗るのはウザい。でも、違くなくて返す言葉も無い。
「ええっ!? な、なんでっ!?」
見知った声が後ろで絶叫をあげてる。来島、才女様大好きだもんな。でもな、それに反応してやる気はないんだ。
「おっ、らい……」
反応しようとした涼の口を塞ぐ。目で黙ってろと言えば、彼は簡単に口を噤んだ。
「可哀想では?」
「良いんだ。これくらいで」
流石に白石は後ろが気になるらしい。だが、俺が嫌だ。
「なっ! んっ! かっ! いえっ!!!!」
「!?」
俺の視界が正面に吹っ飛んだ。来島の全力タックルを食らう日が来るとは思わなかった……
「へっ! ざまあ!」
「やり返される覚悟は出来てるんだよな……?」
「えっ、ちょっ」
「今ならジュース一本で許してやろう」
「え、やった! って、先に仕掛けたのそっちじゃん!?」
阿鼻叫喚……とまではいかないが、来島は相変わらず騒がしい。
「てか、どうでも良いよそんなの。なんで才女様が居るの?」
露骨に話を逸らしてきた。
「家の事情でな」
「ほーん……」
来島のジト目はそんなに罪悪感がそそられない。多分慣れてるから。
「まあいいや。来島舞です。お見知り置きを」
「白石美冬です。よろしくお願いします」
「おおお! 挨拶返してくれた! 返してくれたよ!!」
「く……苦しい」
白石の挨拶一つで、来島のテンションがぶち上がり、近くにいた涼の肩を前後に揺らした。
吹っ飛ばされてて良かったな、うん。
来島はここぞとばかりに白石と仲良くなろうと、めちゃくちゃ積極的に話し掛けていた。
そうやって、来島が白石を構い倒しているうちに、学校に着いてしまった。
職員室に用事があるので、白石は途中で分かれた。
「で、なんで?」
「何が?」
「才女様の事、どういう風の吹き回し?」
どうやら来島は家の事情では納得出来ないらしい。
「どうもこうも、俺の意思はあんまり関係ないぞ」
「だって、倉本ってあんまり女子に興味無いから」
「いや、人の話聞け?」
興味無いけど、俺の意思も関係ないって言ったよな?
「てか、視線が痛い」
涼がそんな事をボヤく。
「才女様って人気なのな」
興味無さ過ぎて、俺たちを見る視線の多さにストレスしか感じない。
「あのお美しさが、倉本くんにはわからない……?」
「わからん。いや、綺麗なのはわかるけど」
来島は溜息を吐く。
「え、なんだよ」
「なんでもなーい。んね、万丈くんはどう思う?」
来島は何か期待した眼差しで、涼に話を振った。
「ええ……、俺? んー……、でも、俺も琉亜の気持ちわかるかな。ぶっちゃけ、あんまり興味ないよな」
「えぇ、そ、そうなの……?」
来島は一種の絶望と歓喜がごちゃ混ぜになった顔をした。
「あー来島の気持ちもわからない訳じゃないから、えっとつまり、こういうこと。
例えば、来島がイメチェンしたら、俺達は興味を示すと思う。“好きな人でも出来たのかな?”って思ったりするかもしれない。
けれど、あんまり関わりのない人がイメチェンとかしても、ぶっちゃけ……な?」
涼が俺に視線を向けてきたので、大人しく頷いておく。来島がイメチェンしたら多少は気になるかな。
「そ、そうなんだ。ふーん……」
来島はわかりやすく涼の話を流した。
前々から思ってたけど、彼女はいつ告るのだろうか?
彼女が彼を好きなのは、とっくの昔に気が付いてるんだ。
そんなことを本人に聞くような野暮な真似はしないが、見ててじれったいとは思うので、さっさとくっ付いて欲しいと思う。
「朝のホームルーム始めるから、さっさと席に着け~」
そんな思いを他所に、朝のHRが始まった。
二限終わり、白石にスマホでメッセージを送ってから教科書を渡しに行く。白石は確かD組だった筈だ。
「倉本くん」
メッセージを見たんだろう。白石が廊下に出て来ていた。
「じゃあ、これ」
「ありがとう、本当に助かるわ」
白石からも、何冊か教科書を回収する。
「じゃあ、また後でな」
特に話す事がある訳でもないので、そのまま回れ右をして自分のクラスに帰った。
そして、特に変化の無い授業を受け、今日の高校生活は終わった。
「待たせてごめん。目立ったな」
この後は買い物に行こうと話していたので、白石に玄関口で待ってもらっていた。
「ううん、そんなに待ってないわ」
「そか。……それにしては視線が凄いけどな」
白石の言葉があっさりと嘘だとわかってしまうような、そんな視線の数々を感じて、思わず身動ぎしてしまうほどだ。
「なんか奢る」
「いらないわ。こっちが迷惑をかけてるのだから」
んー、ちょっと話が違う気がするから、どっかでさり気なく埋め合わせしよう。
俺と白石は、集まる視線を振り切るように校舎を後にした。
「駅前で良いか?」
「ええ」
特に話題もないので、話す事もない。やがて、駅前のデパートに到着した。
二〇リやらユニ〇ロやら、デパートの割にカジュアル目なお店も入っていて、学生的にはとても助かる。
「服から見ても?」
「もちろん」
まあ多分、それなりの荷物になるから、荷物持ちになるだろうと覚悟はしている。
「倉本くんはどっちが良いと思う?」
「んー……機能性ならこっち、可愛いのはこっち」
ユニ〇ロにて、真っ先に聞かれたのはそんな事だった。
可愛いのはカラフルなモコモコなのだが、機能性を考えるとどうしても暗色のスウェットになる。
「そうよね、どうしようかしら」
「短い期間な訳だし、機能性が高い方が良いんじゃないか?」
白石も自分の部屋に戻れば、きっとデザイン的に良い物が沢山あるだろう。
であれば、節約的な意味合いも含めて、スウェットの方が良い。
「……そうね。じゃあ、そうするわ」
持っていた籠の中にポンポン服を入れていく。やはりというかなんというか、裕福な家の出なのがよくわかってしまう。
「ねえ、ちょっと先に、ニ〇リの方に行ってて貰っても良いかしら?」
「ん? わかった。じゃあ、後でな」
男に見られたくないものもあるだろうし、俺は言われた通りに退散した。
俺は寝具が並んでいる列をうろうろしていた。サイズ的にどれが置けるのかを把握するためだ。
この寝具は置けそうだな、これは置けなさそうだな。
いや……そもそも、しばらく同居人になるなら、俺がリビングで生活した方が良くないか?
だとしたら、寝具は俺のを使ってもらった方が良さそうだ。白石が嫌だって言ったらそれまでだけど。
ピコん
スマホが鳴った。白石からだ。
“今どこ?”
“三階の奥、寝具のコーナー”
“そっちに行くわ”
「待たせたわね」
白石はすぐにやってきた。
「そんな待ってないよ。それより部屋の割り当てなんだけど、良かったら俺の部屋を白石さんが使わないか?」
「え?」
「帰ったら邪魔な物は、リビングに移すから」
筋トレ道具とか木人とか色々あるから、結構移動させるのは面倒くさいけど。
「でも……」
「リビングに白石さんが居ると、色々と俺が気を遣っちゃうから。もちろん、嫌な理由があったら、全然リビングで良いけど」
朝起きた時とか、テレビでゲームしたい時とか、流石に眠っている白石の隣で……とはならない。
寝顔を見られるのだって、好きでもないやつにされたら嫌だろうし、俺にあらぬ疑いを掛けられぬ為に、むしろ俺の部屋を使ってほしい。
「わ、わかったわ」
「あと、荷物持つよ。女子にだけ沢山持たせてるのは、周りの視線も痛いし」
わかっていた事なんだけど、白石の荷物はかなり多かった。
「じゃあ」
そう言って四つの袋のうち二つを渡してきた。
これで半分、みたいな感じか?
その二つの袋を片手に纏めた俺は、布団類を買うためにレジに向かった。
「だ、大丈夫?」
「ん? 見た目が重そうなだけだ」
寝具はそんなに重くない。ただ、膨らんで無駄に大きく見える。
「ねえ、せめて一つ、何か私に持たせてはくれないかしら?」
「じゃあ、これ」
さっき代わりに持つと言った時に渡された袋の、更に小さい方を渡した。
「……はあ」
それを見た彼女は大きな溜息を吐いた。
「ん?」
「なんでもないわ……」
なんだろうとは思うが、掘り下げて聞く気にもならない。
「さっさと帰って、色々と準備しよう」
今日も時間が限られている。だから、急がなくてはならない。
家に帰ってきた俺達は、分担をしてそれぞれの仕事に取り掛かった。
俺は部屋の模様替え、彼女は夕食の準備だ。
自室にあった筋トレ道具と木人をリビングの端に追いやり、自分のベッドシーツを新しい物に取り替える。
それから、自分が使えないと困るものを自室からリビングに移動させた。
「倉本くん、出来たわよ」
「助かる。ちょっと待っててくれ」
最後に、復習で使う教材を自室から引っ張り出した。
「その……あの、それ、凄いわね」
「ん? ああ、これな。結構いい値段するんだ」
筋トレ道具を見て驚いていたので、ドヤっておく。女子は馴染みが無さそうだよな。
「これはなんなの?」
彼女は特に木人を指さして聞いてきた。
頭の上にハテナが浮かぶのが目に見えるようだ。
筋トレ道具以上に見ない道具がと思うし、その反応に驚きはない。
「これは木人って言って、所謂サンドバッグの硬い版……かな」
「えっ、これを……こう?」
彼女は可愛らしく拳を握って、パンチのモノマネをする。
「そうそう、こんな感じに」
木人に拳を叩きつけると、白石はとてもおっかなびっくりな顔をしていた。
「……痛くないの?」
「初めての時は痛かったけど、慣れればそんなにだな」
「ふぅん……」
「って、そんなことは良いんだよ」
「あ、そうね。冷めないうちに食べないと」
夕食を食べて、自室の話をして、交互に風呂場を使い、今日の一日は終わった。
**
「はあ……」
彼の自室に入って、大きく溜息を吐いた。
鍵を無くしたり、家庭の事情もあってお世話になる事になったけれど、やはり、その、滅茶苦茶に申し訳ない。
ベッドに横になり、天井を眺める。
嫌な事は無い。彼は相当に気を遣ってくれているから。
彼は優しい人だと、凄くシンプルに思った。
私と彼が同居する事で起こる無用のトラブルを、極力避けようとしているのが感じられるし、私に対して性的な視線を向けて来ないのも、個人的に特殊な人だなと思う。
だって、私は見目は整ってるから。
毎日毎日ひっきりなしに告られていれば、流石に自意識過剰だとも思えないし、それは別に中学校の頃から変わってない。
……まあ、彼だったらそういう視線や考えを向けられても良いかな……なんて、少し思わなくも無いけれど。
今まで告ってきた男子って、結局は私より勉強も運動も出来ない人達で、極めつけ優しくもない人ばかりだったから、彼だったらまぁ良いかなとか思えてしまうの。
だって、付き合えないって解ってるのに想いを伝えるとか、今まで関わりも無かったのに付き合えると思っているとか、そんなの、どう考えても思い遣りが無く頭の悪い考え方だし、つまり、勉強も運動も私以下で更には、勉強以外も頭が悪い人達だったから、ちょっとだけ彼の事が輝いて見えなくもない。
彼の事はテスト順位が張り出されるまで知らなかった。
けれど、今はとても興味があった。
もう少しだけ、どんな人物が知りたいと思ってしまった。
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