第77話 諜報員

「じゃあ、また明日」


「バイバイ」


 放課後、リア様達と女子寮で別れるとそのまま俺は男子寮へと向かう。


 男子寮へと続く道から少し脇に逸れ、あまり人通りのない所に来たところで足を止める。


 そして背後から伸びてくる腕をノールックでガシッと掴む。


「そんな……」


 漏れた驚きに満ちた声から察するに相手は女性であることがわかる。


 俺は後ろを振り向き、その姿を目にする。


 黒いローブを羽織り、顔が見えないようにフードを目深に被っている。どこかで見たような……


「なんのつもりだ?」


 その女性の手に握られている注射器のようなものを見れば友好的でないことがわかる。


「作戦失敗ね」


 そう呟くとその女性は俺の手を振り払い、大きく後退する。


 そうしてその場で地面を勢いよく蹴り、逃げ出す。



 ♢



「なに、なんなの? あいつ」


 黒いローブを羽織った少女、カトリーヌは走りながらそう愚痴る。本来ならば黒いローブを着ている者が走っているのは目立つはずだが、その人並外れた脚力と状況把握能力により騒ぎにどころか噂話にもならない。


 学園を走り去り、かなり経った頃合いだろうか。


 もう大丈夫だと判断したカトリーヌは被っていたフードを外し、少し乱れた呼吸を整える。


「……調べでは大した能力を持った奴じゃないはずだったのに」


 勿論、選考試合で優勝したことは知っているが、かなり地味な能力だったため、寧ろ決勝で負けたリーンフィリア公女殿下の方が実は強くて、油断したのではないかと思っていたのだ。


 しかし、その評価も先程のことで少し揺らぐ。


 長年裏で諜報員をしており、凄腕の集団である「王国の影」の一員の彼女の隠密からの攻撃をまんまと見破り、挙句の果てにはこちらを向くことなく睡眠薬の入った注射器を持つ手を止められてしまったのだ。


「あーあ、隊長になんて言えばいいのよ」


 任務失敗。初めてのことに動揺が隠せない。失敗を告げようとポケットにしまっているコミュニティカードを手さぐりで取り出そうとするも、一向に見つからない。


「お探しなのはこれかな?」


「ああ、ありがとう。どこかで落としちゃってたのね」


 カトリーヌは大事なカードが見つかったことにホッとして受け取ろうとするが、その声の主の顔を見て絶句する。


「あ、あなた……」


 そこには先程撒いたと思っていたクロノの姿があった。



 ♢



「それで昼間から付け回していたのは何が目的だったんだ?」


 俺は目の前で硬直している少女に向かってカードを放り投げながら問いかける。


「ちょ、ちょっと!」


 完全に顔をさらけ出している紫髪の少女は俺が投げたカードを慌てて受け取るとサッと懐に隠す。


「……気付いていたの?」


「まあな」


 今更遅いと思うのだが、紫髪の少女は顔を隠しながらそう告げる。


「実力を見誤ったわね」


 少女はそう告げると今度は観念したように顔を隠す手を退けてこちらに向き直る。


「あなたには我々とともに付いてきてもらいたいのです。ご同行願えますか?」


 先程までの口調から一転した丁寧な口調になると、少女はそう告げる。


「俺はあんたの素性を知らないしそもそも襲ってきた相手にノコノコとついていくとでも思ったか?」


 俺がそう言うと、少女は慌てる。


「失礼いたしました。私はメルディン王国諜報部隊に属しておりますカトリーヌと申します。現在、あることを調査中でして、あなたの身元に関して少々お尋ねしたいことがあるのです」


 身元か……この様子だと俺が元エルザード家の長男だということはバレていそうだな。


 まあ、どちらにせよリア様に危害が加わらないように元からついていこうとは思っていたから良いか。


「良いだろう。ただ妙な動きを少しでも見せたらその時は……分かってるよな?」


「はい。ご協力感謝いたします」


 そうして俺はカトリーヌと名乗る女性の後ろを付いていくのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る