第19話 俺の幼馴染が望んでくる
その言葉に、俺は戸惑った。
どうしてそんなことを言うのか、俺がそんなことをするとでも思ったのか、俺のことを信頼されてないのか。
そう思って一瞬苛立ったが無言の時間が経つにつれて、次第に俺は察することができた。
椎名がこんな強引な行動をした理由。それは簡単なことだった。
きっと椎名は不安だったんだろう。
まだ俺と椎名は付き合っていない。単に互いを好きと思っている幼馴染というだけの特殊な関係だ。そこに恋人同士という関係は、まだない。
そんな中途半端な関係の時に、俺のことを好きな美人が現れれば、椎名が不安になるのも分かる。
もしそれが本当なら、俺のことを信じてくれないのかとモヤモヤとした気持ちにもなった。しかし椎名にはそれ以外にも不安になる要素が多かったことも大きいかもしれなかった。
遠野さんと幼馴染じゃない。俺のその言葉を信じると椎名が言ってくれたが、きっとそれでも、その心の中に不安な気持ちを隠していたかもしれない。
俺と幼馴染と言い、自分と同じ約束をしたという美人な女の子が現れて、疑いたくなくても俺が嘘をついているかもしれないという不安。そして俺を遠野さんに取られるかもしれないという恐怖のようなモノを椎名は感じていたんだろう。
だからこうして俺が離れないように強引な手を使ってまで必要以上に気を引こうとしたんだと、俺は思った。
他の女の子に気持ちが向かないように。自分だけを見ていてほしい。ただ好きな人を取られたくない一心で。
いつもなら純粋に俺と遊びたい、じゃれたいだけの椎名がここまでの行動をした。
それだけ俺と離れたくない。その気持ちを察するのは今までの行動と今の言葉を思い返せば、理解することだけはできた。
しかし椎名のその気持ちを察しても、俺がムカつかない理由にはならなかった。
「はぁ……」
苛立つ気持ちを抑えようと、深い溜息を吐く。
椎名を無理矢理追い出そうと伸ばしかけていた手を、俺は椎名の顔に伸ばしていた。
そして湯船に顔を半分沈めていた椎名の両頬を掴み、そのまま俺は彼女の両頬を割と強めの力で引っ張った。
閉じていた口を無理矢理開かれて、湯船の中でガボガボと激しい音が鳴る。
そうすると数秒も経たず、椎名は焦って湯船から勢いよく顔を出していた。
「ごほっ! しょーくんっ! 急になにするの!」
「そんなことで不安になる奴がいるか、馬鹿たれ」
咳き込みながら俺を睨んでいる椎名に、俺は少し眉を吊り上げた。
そしてもう一度、俺は椎名の両頬を掴んで引っ張った。
「ひたい! ひょーふん! ひたいっへ!」
「俺がお前以外の女の子のこと好きになるわけないだろ。この馬鹿椎名」
「ふへっ……?」
静かに伝えた俺の言葉を聞いて、椎名がピタリと動くのをやめると、呆けた顔を見せていた。
その表情を見て、俺は呆れた表情で小さく溜息を吐いた。
「こんなことしなくても、俺はお前しか見えてないっての」
「……そんなこと分かんないもん。だって遠野さん、綺麗で可愛いもん」
そう言って椎名が頬を膨らませる。
俺はもう一度、椎名の頬を引っ張った。
ひたいと叫ぶ椎名だったが、俺は更にもう少し頬を引っ張る力を強くした。
更に痛みが増したことに椎名の目に涙が浮かんだところで、渋々と俺は彼女の頬から手を離すことにした。
「もうそんなこと言わないって約束できるか?」
「だってぇ……」
潤む目で俺を見つめてくる椎名を見つめながら、俺が手を見せる。
慌てて両頬を守る椎名を見つめながら、俺は改めて自分の気持ちを言葉にすることにした。
「……昔も今も、俺は椎名だけしか見てない。子供の時から、ずっとお前だけを見てる。どんなに綺麗な女や可愛い女が現れても、俺はお前のことが好きなんだよ。外見も、性格も、何気ない仕草も、全部が可愛くて仕方ないって俺は思い続けてる。だからずっと、どんなに時間が掛かっても俺は待ってる。椎名が俺に勝ってくれるまで、それまでどんな奴にも誰にも負けてやるもんか」
とんでもなく恥ずかしいことを言っている自覚はある。顔が赤くなるのが自分でも分かった。
しかしこれくらいのことを言わないと椎名の不安は軽くならないと思った。
そしてそれと同じくらい、椎名の不安を和らげたい方が羞恥心よりも勝っただけ。俺が恥ずかしい気持ちになるだけで彼女が安心するなら、そんな対価は安いものだった。
「はぅ……」
呟くように、椎名が小さな声を漏らした。
呆けた表情で見つめてくる椎名が、俺の言葉を聞くにつれて顔を赤く染めていた。それは次第に耳まで赤くなるほどに真っ赤になっていた。
俺はそんな彼女を見つめながら、続けて伝えた。
「だからこんな強引なことしなくていい。してもしなくても、俺がお前しか見てないことは変わらないんだ。だから安心して、いつも通りのお前でいてくれればいい」
椎名の頭を撫でて、俺は赤裸々にそう伝えた。目を逸らすことなく、しっかりと彼女の目を見て。
俺が椎名からの返事を待っていると、彼女は俺を見つめたまま 身体を動かした。
俺の背中に預けていた身体をひるがえして、椎名が俺に向き合うような体勢を作る。
湯船の中で、バスタオルだけまとった椎名の際立った部分がダイレクトに俺の身体に当たっていた。
以前の手の感触とは比にならない何かが、俺の脳を歪ませた気がした。そんな俺に、椎名は無言で俺を見つめるだけだった。
どれくらい時間が経ったか、ふと唐突に椎名は口を開いていた。
「じゃあ……行動でも、証明してほしいな?」
そう言って、椎名が目を閉じた。ほんの少しだけ口先を俺に向けて。
身体全体に感じる椎名の存在と目の前にある椎名の何かを待ち望む表情。
それが何を望んでいるか分からないほど、俺も馬鹿じゃない。
しかしそれをすると、歯止めがきかなくなる。そんな確信があった。
だから、俺がする行動は簡単だった。自分の心にラリアットして、椎名の頭に中指を近づけた。指の先に、親指を添えるのを忘れず。
なにも力も込めずに、俺は中指を弾いた。
ぱち、と小さな音が鳴った。
「……いじわる」
「それはお前が俺に勝ってからだ」
「我慢できない」
もう一度、椎名が口先を向けてくる。
しかし今度は慈悲はない。俺は椎名の脇を掴むと、勢いよくその身体を持ち上げた。
「別にチューしても良いじゃん」
「付き合ってないのにできるか。それにもしそれをしたら、抑えられそうにない……死ぬほど我慢してるのは俺の方だっての、馬鹿椎名」
湯船から出てる椎名の身体を見ないように顔を逸らして、俺が言えば椎名から不満な声が聞こえた。
「我慢しなくても、良いんだよ」
優しい声で、椎名がそう告げる。
耳に届くその言葉に、俺の心よりも身体の方が先に反応した。
「ん……? なにか足に……?」
「もう良いから! さっさと出ろッ‼」
咄嗟に叫んで、俺は椎名を風呂から無理矢理追い出した。
何が起きたらよく分かってない椎名が首を傾げつつ、不満そうに口を尖らせるが、俺には知ったことじゃなかった。そんなことよりも知られたくないことがあった。
「しょーくんの意気地なし!」
「健全と言ってほしいね! だから早く出ろ!」
「後でしたいって言ってもさせてあげないんだから!」
「絶対言わないから安心しろ! 冷蔵庫にアイス入ってる!」
「後悔しても遅いんだからね! 絶対食べる!」
そう言い捨てて、不満そうな表情で椎名が風呂場から出て行った。
ようやく椎名がいなくなって、焦りから安堵に気持ちが切り替わると、俺はホッと胸を撫で下ろした。
「……危なかった」
バレたら、それこそ歯止めがきかなくなる。
まだ脳裏に残る椎名の感触を忘れるように、俺は頭まで全部を湯船に沈ませた。
簡単に忘れそうにない。湯船の中で頭を抱えながら、俺はそう思った。
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