第18話 俺の幼馴染が強引になる
結局のところ、椎名と遠野さんの言い争いは終わらなかった。
言い争う二人を止めることを放棄して時間が経てば、気付けば昼休みが終わっていた。
それによってもれなく昼飯を食べ損ねた二人が午後の授業中にお腹を鳴らすなんていうアクシデントが起きたのは、自業自得というやつなんだろう。
その結果、早弁ではなく遅弁なんてごく稀なことをする二人を見ることになったのは、端から見ていて面白かった。
椎名は朝子に呆れられ、遠野さんも登校初日なのにクラスメイトからそんなことでからかわれるとも思ってなかったに違いない。正直、悪いが遠野さんにはいい気味だと思った。
午後に関しては、特に目立ったトラブルもなかった。遠野さんが休み時間の度にクラスメイトに囲まれて身動きができない状況だったは、俺にとって好都合だった。
これなら余計なトラブルを起こすこともない。俺には実に良い時間だった。
しかし午後の授業が終わると必ず訪れる放課後。そこで何か遠野さんが面倒事を起きないか心配だった。
何か余計なことを遠野さんがすると思っていたが、俺の予想を裏切るように意外とそれは起こらなかった。
「申し訳ありません。本来なら勝也さんと素敵な時間を過ごせる放課後だったのですが、どうしても外せない用事がありまして……ですので明日は勝也さんの都合が良ければ、私と放課後デートしてくださいな」
放課後になって、遠野さんが俺のところに来てそう言うなり、早々と帰って行った。
「しょーくんは毎日私とデートでーす!」
「なら私も混ぜてもらうことにします。三人で、楽しく、遊びましょう? 私と勝也さんの二人の素敵な雰囲気に負けて、先に帰ってしまっても構いませんよ?」
「私のしょーくんのらぶらぶが見たいならご・じ・ゆ・う・にっ!」
帰り際に椎名と睨み合うのも忘れない辺り、昼休みの件がまだ尾を引いているようだった。
当然だろう。この二人が仲良くする光景なんて俺には想像もできない。
遠野さんの望んでいた椎名達と友達になるという願いも、もう叶うことはないだろう。元より叶うはずもない願望だったが。
それよりも二人が教室の中でいがみ合うのは控えてほしかった。この二人が険悪になれば、おのずとその原因となる俺に矛先が向くことになるのだから。
「本当に二股してるのかよ……」
「アイツ、どっちか選ばないで二人とも侍らせるつもりなんじゃね?」
「それだったらマジクソじゃん」
こんな風に、遠野派となるクラスメイトから背中を突くありがたい言葉を受けることになる。
言葉だけなら別にどうとでもなる。下手にいじめに発展しないだけ、マシだと思うことにした。
その内、変に正義感を振りかざす奴や実力行使してくる奴が現れるかもしれないと考えると気が重くなった。
「まだ言ってるねぇ……見てる分には面白い」
「俺と変わるか?」
「両手に花っていうのは男なら当然憧れるが、今は遠慮しておくわ」
いつも通りに接して来る浩一に、心の中で感謝を送る。自分にも味方がいると思えるだけ、ありがたかった。
「勝也? 今日は?」
「いつも通りだろ?」
そう言って俺が鞄を持って席を立てば、後はもういつも通りの流れだった。
椎名と朝子の二人と合流して、放課後に四人で適当にぶらつくかどこかに遊びに行く。
それは四人の誰に特別な用事でもない限り起こる、帰宅部である俺達の日常だった。
今日も四人で適当に遊んで、家に帰るだけ。それも中学の頃から変わらない日々だった。
この日常がただ一人の女の所為で変わるかもしれない。そう思うと、頭が痛くなりそうだった。
◆
「ふぅ……!」
何にも邪魔されない時間は、誰だって必要だ。
湯船に浸かりながら、俺は溜息のような吐息を漏らした。
自宅に着いて早々に準備して、俺は風呂に入っていた。時刻は六時を過ぎた頃、椎名も自分の家に用があって一度帰ると言っていた。彼女が俺の家に夕飯を食べに来るまで、ある程度時間は掛かるだろう。
折角の一人の時間、楽しまないと損だ。思う存分に楽しませてもらう。
別に椎名と一緒にいるのが嫌などではなく、単純に一人の時間は誰だって欲しいと思う。考えごとをするにも、なにも考えずに呆けることも、たまには必要だ。
今日の学校は疲れた。身体ではなく、精神的に疲労が溜まっている。心の癒しは最愛の人と過ごす時間と風呂に決まっていると母さんがよく言っている。
俺もそれに習って、風呂を楽しんでいた。何も考えず、この心地良い時間を怠惰に過ごすのは悪くない。むしろ好きだった。
どうせ夜になれば日課の椎名とのチェスが待っている。頭を使って疲れるんだから、心の休息も必要だった。
「あぁぁ~」
情けない声をあげて、湯船に癒しを求める。
このままずっと入っていたい。デカい温泉に行きたいと思いたくなる。
そんなことを思っていた時だった。
「しょーくん? お風呂~?」
風呂場の外から椎名の声が聞こえた。
え、来るの早くない?
そう思って俺が風呂の扉に視線を向けると、扉の影に椎名のシルエットが映っていた。
「お前、用事はどうしたんだよ!?」
「すぐ終わったよー! 明日のお弁当作るのに足りない調味料取りに行ってただけだもん!」
「足りなかったら帰りに買えば良かっただろ!」
「だって少ししか使わないんだもん!」
扉を挟んでいたので割と大声で話す俺に、椎名が同じく大声で答える。
溜息を吐きそうになるのを我慢しながら、俺は肩を落とした。
「わかった! もうすぐ出るからリビング待っててくれ!」
「ん? しょーくん、お風呂入ったばっかりなんだ……そっか! わかったよー!」
俺の言葉にそう返事をして、扉に映る椎名のシルエットが消えていく。
一瞬、もしかしたら椎名が風呂に入って来るのかと不安になったが、それは要らない不安だったらしい。
流石に高校生にもなって、男女で風呂に入りたいなんて思わないだろう。
……いや、待てよ。少し前、椎名が妙なこと言ってなかったか?
首を傾げて俺が思い返した時、ハッと脳裏に椎名の言葉がよみがえった。
『私、しょーくんと一緒にお風呂入りたいのに……』
俺がそう思った瞬間、それはやってきた。
ガチャっと音を立てて、勢いよく誰かが風呂場に入ってきた。
「しょーくん! 私と洗いっこしよ!」
「お前は馬鹿かッ⁉︎」
風呂に侵入してきた椎名の顔を見たと同時に、俺は勢い良く彼女に背を向けていた。
しかしそれでも、俺の目には映っていた。どうにか見ないように努力したが――到底間に合わなかった。
椎名が風呂場に入ってきた時、片手にタオルを陽気に持っていた。つまり、コイツは身体をまったく隠そうとしてないかった。
人間の視野というのは一部分だけではない。思いの外に見える範囲は大きい。
だから俺の目は否応なしに見えてしまった。衣服を一切着ていない椎名の裸体を、シミすらない白く綺麗な素肌と女性らしい身体。
そして平均よりもかなり大きく育ったその一部分を、俺は見てしまった。突然の光景に、フラッシュバックで昨日の夜に偶然触ってしまった椎名の胸の感触が左手に蘇ったような気がした。
片手で掴み切れない大きさまでに育ったあの柔らかい感触が、俺の血圧を大きく上昇させた。それは湯船に入っている所為、そう自分に言い聞かせる。
唯一の救いは、下半身が見えていなかったことだろう。それだけがせめてもの俺の救いだった。もし見ていたらと思うと……頭を抱えたくなった。
「馬鹿椎名ッ! タオルを付けろッ!」
「えー! お風呂にタオルはマナー違反だよ?」
「それはッ! 男がいない風呂場の話だッ! 俺は男だぞッ!」
「そんな水くさいこと言わないでよー! 裸のお付き合いって言葉もあるでしょ?」
「それ同性の話な!? 男女だと意味が違うだろ⁉︎」
俺は必死に叫んで、シャワーを使い出した椎名を見ないように背を向け続ける。
そんな俺の態度が、椎名に伝わったんだろう。彼女が「え~!」を不安の声が聞こえて、風呂場の扉が開く音が響いた。
……もしかして、素直に出て行ってくれたのか?
たまには俺の言うことを聞いてくれるじゃないか、珍しいこともあるもんだ。
俺はそう思って、何気なく振り向いた。
「……これなら良い?」
「そういうことじゃない!」
そう叫んで、再び俺は背を向けていた。
何故かバスタオルを身体に巻いた椎名が普通に立っていた。さっきの扉が開く音は、近くにあるバスタオルを取っただけだと思い知らされた。
むしろバスタオルを巻いた時の方が、俺の目に毒だった。先にシャワーで身体を流していた所為で身体のラインにバスタオルが張り付いていた。
それによって妙に強調された椎名の身体。余計な想像を掻きたてるには十分な光景だった。
目を瞑って、変な気分にならないように心を鎮めようと試みる。
しかし椎名は、そんな俺をあざ笑うような行動をした。
「それっ!」
ザバンと大きい音と共に、顔面に激しい水しぶき。そして俺の身体の上に、ほどよい重さの何かが乗っかっていた。
顔面に受けた水滴を手で拭ってみれば、俺は更に顔を強張らせた。
「あ~! やっぱりお風呂って気持ちいいよね~!」
湯船に入る俺の身体の上に、椎名が乗っかっていた。
俺の身体を背もたれにして、椎名が椅子のように俺にもたれかかっていた。
全身に感じる椎名の身体。男とは根本的に違う、柔らかい肌の感触を全身で感じてしまった。
咄嗟に湯船の中で渾身の力を込めて自分の脇腹を抓って自制を保つだけで、精一杯だった。
心を乱さないように意識を保ちながら、椎名の気の抜けた声を聞いて俺は目を吊り上げた。
「おい! 早く出ろ!」
「えー! もう入っちゃったから別に良いでしょ? 一緒にお風呂楽しもうよ!」
「そもそも身体洗ってから入れって!」
「さっき家でシャワー入ったし、かけ湯もしたから大丈夫! 汚くないもん!」
「そう? じゃあ別に――って違うッ!」
一瞬納得しそうになったが、俺は首を横に振っていた。
それで俺と一緒に風呂に入っても良い理由にはならない。今も感じている椎名の身体の感触が思考を激しく鈍らせて来る。
「早く出ろ!」
「いや!」
「いいから! 本気で怒るぞ!」
一刻も早く椎名を風呂から出させる一心で、俺は叫んだ。しかし珍しく、椎名が意固地になっている気がした。
俺が本気で怒る時、俺の雰囲気で椎名は察して身を引く。例外も勿論あるが、大抵は分かってくれることの方が多いはずだった。
そのはずなのに今日の椎名は、どうにも強引な気がした。口では入りたいと言っても、ここまで強引に風呂に入ってくることなんてことは今までなかった。
どうにも風呂から出ようとしない椎名を無理矢理にでも出そうとしたところで、彼女はそっと俺の身体に背中を乗せていた。
「だって、これくらいしないと……しょーくん、遠野さんのこと見ちゃうかもしれないもん」
そう言って、椎名が顔を湯船に沈ませた。
ぶくぶくと不満ですと言いたげに風呂の中で椎名が音を鳴らす。
予想外の態度に、俺は咄嗟に反応できなかった。
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