Case.7
バスを降りた僕と富樫さんは今、警察官の先輩であろうスーツ姿の男性に案内されて、建物の中を移動している。
ここは警察庁本部庁舎。僕ら警察官の間では、通称『セントラル』と呼ばれている。文字通り、この国の首都であるセントラルシティの中心に位置し、全国に配置されている各警察組織の中枢というだけでなく、国民の平和を守るための最重要機関としてその存在を誇っている。そういう訳だから、建物の大きさから敷地面積、出入りする人の多さも、他の地域の警察関係の建物とは桁違いだ。僕らがいる本館は、地上20階建て、地下3階。フロアごとに刑事課や交通安全課、犯罪組織対策課などの各課がおかれている。市民の方が訪れる相談窓口もあるけれど、そっちは別館の方で、この本館とは離れている。ちなみに、別館は敷地内にいくつか点在していて、その殆どは訓練施設だ。というのはまぁ、警察学校の講義内からの情報なんだけど。
時折、富樫さんとアイコンタクトをとりながら先輩の後ろを歩いていると、制服姿の僕らを見かけたが何名かが、オフィスから顔をだして「頑張れよ」と笑顔で歓迎してくれた。もちろん、僕らの前を歩くその人も会話を振ってくれて、通ったオフィスや設備の簡単な説明や、ちょっとした世間話をしてくれる。そんな風に歩いていると、突然、「あ……」と、何かに気づいたように彼が立ちどまる。そしてこちらを振り返ると、困ったような顔をしながら、こめかみをかいた。
「ごめん、自己紹介してなかったよね。今更だけど、僕の名前は
よろしく、と手を差し出してニコっと笑う稲葉さん。僕の視線よりも20cm程低いところから向けられる笑顔は、優しくゆったりとしていて、唇の間から覗く前歯が愛嬌を生んでいる。
(かっ、かわいい……!)
咄嗟にその言葉が胸に浮かんで、下手すると口に出してしまうそうだった。だけど、相手は年上、それに部署は違えど上司にあたる人で、しかも初対面。そんな相手にかわいいだなんて、結構失礼だよな……と、なんとか出かかっていた言葉をこらえ、差し出されたその手を富樫さんと交互で握り握手を交わすと、稲葉さんの頭上から生える白くふわふわとした耳が、ピクピク、と楽し気に弾んだ。
「えへへっ……。あ、じゃあ、気を取り直して行きましょう!」
パチン、と手を叩き前に向きなおる稲葉さん。その歩みは先ほどよりも軽快で、こころなしか少し跳ねているような歩き方に変わっていた。
(この人、やっぱり可愛い……!)
思わず制服の胸元をギュッと握った僕のそばで、富樫さんが「可愛い……」と呟き、次の瞬間にはハッとしたような顔をして慌てて自分の口元を抑えていた。
わかる、わかるよ。その気持ち。と、うんうん頷きながら歩いていたら、稲葉さんが再び立ち止まる。
「さて。僕の案内はここまで。ここから先は、関係者といえども全員が入れるわけじゃないからね」
そういって指をさしたのは、広い廊下の突き当りにあるエレベーター。その周りには、全くと言っていいほど人気がなかった。
「エレベーターのすぐ隣に網膜スキャンと、警察手帳をかざすところがあるんだ。君らの情報は登録済みだから、まず、手帳をかざしてから網膜スキャンをすると、エレベーターの隣が開くよ」
さ、行ってみよう。と僕らの後ろにまわり、背中を押してくれる。
「あそこに入れるのは、君ら『ハンドラー』と『K-9』の獣人たちだけだからさ」
言われるがままに踏み出し、エレベーターの前まで行く。振り返ると、稲葉さんは後ろに手を組み、まだ僕たちを見守ってくれていた。そこで、新人らしい大きな声で呼びかけることにした。
「稲葉刑事! 案内ありがとうございました。これからよろしくお願いします!」
「こちらこそ、君らに会えてうれしいよ。また次会うときは、『相棒』も一緒にね」
ばいばいっ! と手を振り、来た道を戻っていった稲葉さん。それに凄い勢いで手を振り返す富樫さんが、姿が見えなくなっても振り続けていそうなので、「行こうか」と声をかける。
手元にある警察手帳を開き、端末に向ける。ジジッ、という音がしたかと思えば、今度は網膜スキャンの機械がチカチカと点灯した。
いよいよだ。
青い画面に目を向けながら、僕はごくり、と唾を飲み込んだ。
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