第11話 君と交わした約束。その1


「ちょっと、離れないでよ」


 俺が気を使って離れようとすると、遠坂はすぐに身を寄せてきた。


「なぁ、手を繋ぐ必要はないんじゃないか? 池の中を探し回ったせいで俺の手も結構汚れてるし……」

「いいから……離したら勝手に帰るかもしれないでしょ?」

「でもやっぱり、シャワーまで使うなんて気が引けるし……」

「ばい菌が傷口に入って破傷風はしょうふうにでもなったら大変よ、汚れはすぐに洗い流した方が良いわ。私は医者の娘なの、従っておきなさい」


 遠坂は俺の手を強く握ったまま歩き、まくしたてる。

 さっきまではしおらしい態度だったけど、あの女子グループに「イジメはやめよう」なんて言えるような奴だ。

 根は結構強いのかもしれない。


「それと、私の名前は千絵理ちえりよ。ウチに来たらみんな遠坂なんだから分からなくなるでしょ? 分かったかしら? 流伽るか?」

「お、俺の名前まで知ってるのか?」


 山本という苗字を知ってくれていただけで内心驚いていたので、名前を呼ばれて俺は狼狽する。


「当たり前でしょ。豚男ぶたおが本名だなんて思ってないわ。本当に頭の悪い連中が付けそうな名前よね」

「あはは、なんだか初めて人間扱いされた気がするよ。えっと……千絵理」

「それでいいわ。流伽」


 初めて妹以外の女の子の手を握った上に、女の子を名前呼びしてしまった俺は内心ドギマギしながら遠坂の家に向かう。


 遠坂にだったら豚呼ばわりされるのも悪くない……なんて思ってしまったのは内緒だ。


「ここがウチよ。さぁ、入って」

「で、デッケー……」


 まさに『お屋敷』と形容するには十分な大きさだった。

 親がお医者さんって言ってたし、やっぱり遠坂は良いとこのお嬢様なのだろう。


「おかえりなさいませ、千絵理さん」


 そして、ミディアムヘアーの綺麗なお手伝いさんが出迎える。

 ネックレスは母親の形見と言っていたので、彼女が母親代わりのような存在なのかもしれない。


「私の友人の流伽に湯あみの用意を。私はお部屋に居るお父様と話をしてくるわ」

「おい、千絵理も多少は汚れただろ? 俺より先に使えよ」

「私は後で大丈夫よ。それよりずっと大事なことがあるから」


 それだけ言うと、千絵理はさっさと大きな階段を上って行ってしまった。


「では流伽さん。 こちらへ」


 お手伝いさんに緊張しながら俺はとても大きな石造りの浴場に案内された……。


 ◇◇◇


「――本当に申し訳ございません! 流伽さんのサイズに合うお洋服を備えておらず……」

「いえいえ! こんな大柄な人が来るなんて普通思いませんから! こちらこそ本当にすみません!」


 豪勢な入浴を済ませると、謝罪するお手伝いさんに俺はむしろ謝り倒す。

 服が乾くまでは大きい厚手のシーツを借りて全身を包ませてもらっている。


 そんな恰好で居間の豪勢なソファーに座っていると、千絵理が戻ってきた。


 古代ローマ人のような格好の俺の姿を見て顔を赤らめる。


「そ、そうよね……サイズが合う服なんてないものね。ごめんなさい」

「……なかなか良いテルマエお風呂であったぞ、平たい顔族よ」


 俺がバカげた冗談を言うと、千絵理とお手伝いさんは笑いを耐え切れずに少し噴き出す。


 千絵理は咳ばらいをして仕切りなおすと、その背後から大人の男性を連れてきた。

 とても威厳のある、カッコいい中年男性だった。


「紹介するわ、私のお父様。遠坂蓮司とおさかれんじよ」


 俺は立ち上がってお辞儀をした。


「こ、こんにちは! えっと、お風呂とか、こんなに良くしていただいてありがとうございます!」


 蓮司さんは俺の身体を興味深そうにじっくりと見た後に頭を下げる。


「……話は千絵理から聞かせてもらった。君が辛い思いをしているのに、手を差し伸べてあげられなかったこと。遠坂家の人間として大変恥ずかしく思う」

「な、何を言っているんですか!? 俺はむしろ感謝しているんですよ! 千絵理は勇気を出して俺を救おうとしてくれた!」


 蓮司さんの的外れな謝罪に俺は反論する。

 だって俺は、本当に嬉しかったんだ。


「そうか、君がそう思ってくれているのならなおの事、謝りがいがあるというモノだ。これから、また何かがあったら私を頼りなさい。私はあの学校に多額の寄付をしている、関係者は全員私には頭が上がらないはずさ」


 蓮司さんはそう言って笑うと、千絵理の頭を撫でる。


「千絵理、お前も大したものだ。しかし、まずは誰かに相談しなさい。大人の手を借りることは恥ずかしいことではないんだ。仕事にかまけてばかりだった私も悪かった、これからはもっと会話をしよう」


 千絵理は反省するように顔を伏せる。


「……申し訳ございませんでしたわ」


「お前は私に似て臆病な癖に、母に似て気が強いからな。これまでも友達作りにも苦労していた。だからすぐには声を上げられなかったのだろう。分かってあげてくれるか? 流伽君」


「あはは、確かに千絵理はクラスの人と全然馴染めてませんね。周囲に必死に合わせているような時もありますし」


 そう言うと、千絵理は『余計なことを言うな』とでも言うように俺を睨んだ。

 俺は千絵理のそういう所が好きだから、褒め言葉のつもりだったんだけど……。


 蓮司さんは俺や千絵理の反応を見て笑う。

 そして、再度俺の身体を軽く見まわして口を開いた。


「さて、話は変わるが。君のその身体の病気について話をしたい」

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