第114話 ムギの収穫

 昨日はティナを送り届けて屋敷に戻ってから、ティナに婚約者となることを了承してもらえたと父上と母上に報告し、俺は自分の部屋でひたすら悶えていた。


 しばらく時間が経ってからの方が、了承してもらえたことに対する実感が湧いてきたのだ。ティナが俺のことを好きでいてくれている。婚約者になってくれる。

 それを考えたら顔が緩んでしまってダメだった。


「フィリップ様、嬉しいのは分かりますが、顔を少し引き締めた方が良いと思います」

「うぅ……分かってる。分かってるんだけど」


 ニルスとフレディは完全に苦笑いだ。昨日からずっと浮かれてるから、それはこんな表情にもなるだろう。


 俺は両手で頬をバシッと叩いて、少しでも顔を引き締めようと努力した。しかし気を抜くとすぐに頬が緩んで口角が上がってしまう。

 もう諦めよう、王宮に行って仕事をすれば仕事モードになるはずだ。


「ちょっと早いけど行こうか」

「かしこまりました」


 そうして俺は、二人にも父上と母上にも生暖かい視線を向けられながら屋敷を出て、いつもより早い時間に王宮へと到着した。



 王宮に着いてからは二人とは別の場所に向かうので、一人で中央宮殿の中を歩く。最初の行き先はもちろん畑だ。

 畑に一番近い出入り口から外に出ると、緩やかな風が頬を撫でた。まだ時間が早いので風が冷たいな。


 そんな冷たい風に気持ちをシャキッとさせられて、ニワールの鳴き声を遠くに聞きながら畑に近づくと、コレットさんの姿が視界に入った。

 コレットさんは俺の足音に気づいたようで、こっちを向くと丁寧に礼をしてくれる。


「コレットさん、おはよう」

「フィリップ様、おはようございます。本日はお早いですね」

「少し早く着いたんだ。それは今日収穫した卵?」

「はい。こちらは卵料理店に配達する卵、こちらが貴族向けに売るものです」


 平民向けの卵料理店は、ちょうど数日前から試験的に始まっている。まずは店舗ではなく屋台という形だ。毎日少しずつ場所を変えて、王都中を巡ることになっている。

 数日の成果は、すぐに売り切れるほどに好評みたいだ。


「やっぱりもう少し数を増やしたいね。繁殖はどうなってる?」

「最初の頃の卵がいくつか孵化しているところですので、これからは加速度的に増えていくと思います。孵化したニワール達も今のところは元気です」

「それは良かった」


 ニワールの囲いの中を見てみると、ひよこだけが一か所に隔離されていた。小さくてかなり可愛い。この可愛いひよこが一ヶ月後には大きくなってニワールに近づくんだから……生命って不思議だな。


「フィリップ様、もう一つ大切なご報告がございます。実はムギがそろそろ収穫できそうなほどに実っているのです。近日中にフィリップ様に見ていただこうと思っておりました」

「それ本当!?」


 ムギが手に入るのは嬉しい、嬉しすぎる。パンを食べたいしパスタも食べたい。実はアプルを使った天然酵母は成功しているのだ。ちょうどあと少しで使えるやつがあるし、美味しいパンを焼けるかもしれない。


 急いでムギ畑に足を向けると、そこには綺麗に実をつけたムギが風に揺れていた。最高の出来だ……もう今すぐにでも収穫できるだろう。


「コレットさん、完璧だよ。今から収穫しようか」

「かしこまりました。では庭師を呼んで参りますので少々お待ちください」


 庭師の皆は別の場所にある畑でジャモの世話をしていたようで、そっちを切り上げてすぐに集まってくれた。


「フィリップ様、ついにムギの収穫ですか?」

「うん。ちょうど今が一番のタイミングなんだ。収穫の仕方を教えるから手伝ってほしい」

「もちろんです」

「まずは必要な道具なんだけど、鎌ってある? 後は刈ったムギを結ぶための紐も欲しい」


 ムギは根から引き抜くことが難しいので、基本的には根本部分を刃物で刈り取るのが一般的だ。そして残った根の部分は、後で掘り返して土と混ぜると肥料になってくれる。


「こちらで良いでしょうか?」

「うん。大丈夫だと思う。じゃあ俺が指示を出す通りにやってみてくれる?」

「かしこまりました」

「まずは一つの束になっているムギを左手で掴んで、根本部分を切りやすいようにまとめるんだ」


 今回は野生のものを植え替えて育てたから、しっかりと束になっているわけじゃなくて刈りづらそうだ。次からは収穫のことも考えて種まきしないとだな。


「まとめられたら左手は離さずに、鎌で引くようにして根本部分を刈り取って欲しい」

「……意外と頑丈な茎ですね」


 束にしたからか切れなくて苦戦しているようだ。これはムギがどうこうというよりも、鎌の切れ味が悪いんだろうな。

 

「砥石ってないの?」

「あるにはありますが、貴重なものですので剣を研ぐのに使われていて、農業用具の方には回ってこないのです」

「そうなんだ……」

「よしっ、刈れました」


 一束を刈るだけで汗を流している庭師を見て、俺は砥石を確保しようと心に決めた。


「ありがとう。そしたら次は、その束のまま解けないように紐で結んで欲しい。ムギは一週間ぐらい天日で干すと美味しく食べられるようになるから、紐で縛って干しやすくしておきたいんだ」

「ムギは干さないといけないのですね。では頑丈に縛っておきます」


 大々的に栽培するようになったら、ムギを乾燥させる専用の場所が必要になるだろう。でもとりあえず今は……洗濯物を干してる場所を少し借りるとか、その程度で事足りるかな。


「このままでは食べられないのでしょうか?」

「食べられるよ。でも乾燥させた方が保存が効くようになるし、ムギって製粉するんだけど、それが乾燥させてた方がやりやすいんだ」

「そのような理由があるのですね」


 それからは皆で手分けしてムギを収穫していき、一時間ほどで全てを天日に干すところまで作業し終えることができた。


 これで後は一週間待って、ちゃんと乾燥できたらついに製粉だ。一週間あるならお試しで、製粉専用の魔道具を作っておこうかな。

 そしてムギ粉が手に入ったら、ついにはパンが作れる! 俺は焼きたてのふわふわパンを想像して、お昼まではまだ時間があるのにお腹が鳴ってしまった。


「皆ありがとう。雨が降りそうなときは建物の中に避難させて欲しい。それ以外は外に出したままで大丈夫だよ」

「かしこまりました」

「じゃあコレットさん、さっき教えた通りに皆と種まきをやっておいてくれる? 俺はこれからファビアン様達と会議があって、ここにいられないんだ」


 仕事は畑だけじゃなくて他にもたくさんあるので、ずっとここにいるわけにはいかない。俺としては今一番気になるのが畑の作物だから、戻らなければならないのが少しだけ憂鬱だ。

 でも他の仕事もかなり大切なものだから、手を抜くこともできない。……頑張るか。


「しっかりと次の収穫ができるよう、種を植えておきます。お任せください」

「ありがとう。よろしくね」


 そうして俺は後をコレットさん達に任せ、急足で執務室に戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る