第110話 ティナを招待

 今日はついに……ティナが屋敷へと来る日だ。昨夜は緊張して上手く寝付けず、さらに今朝も日が昇る前に目が覚めてしまった。


 あんまり緊張しないかもとか思ってたけど、実際に当日になったら全然ダメだ。本当に緊張してる。心臓が脈を打ちすぎて大丈夫かなと心配になる。


「ニルス……緊張ってどうしたらなくなるかな」

「深呼吸をしてください。……それから私が聞いたことがあるのは、人差し指と中指を交差させると良いらしいですよ」

「交差って……こういうこと?」


 こんなので緊張がなくなるのだろうか。全く信じられないけど、今は信憑性が低い情報にも縋りたいのでとりあえず両手でやってみる。


「フィリップ様、お食事会のお召し物はこちらでよろしいでしょうか?」

「うん、それで大丈夫。ありがとう」


 ティナが来るのはお昼の少し前だ。うちの馬車を迎えとして、孤児院まで出す予定になっている。俺は屋敷で出迎えないといけないので、ティナを迎えに行くのは使用人だ。

 ティナが来るまであと二時間ぐらいかな……はぁ、緊張する。


「お兄様、失礼します!」

「あにうえ、しつれいします!」


 緊張して意味もなく部屋の中を歩き回っていたら、マルガレーテとローベルトが元気に俺の部屋へと入ってきた。ローベルトがマルガレーテの真似をしていて可愛い。


「ティナお姉ちゃんはまだこないの?」


 二人はティナと会えることをずっと楽しみにしていたので、お昼が来るのを待ちきれないみたいだ。ちなみにティナについては、俺と仲の良い人とだけ伝えてある。


 マルガレーテはもう六歳なのでその意味をなんとなく理解しているようだけど、ローベルトはまだ四歳になったばかりなので、ただ友達が来るんだぐらいの認識だ。


「あと二時間ぐらいかな」

「そっか〜。あにうえ、かっこいいね!」


 ローベルトが俺の服装を見て、無邪気な笑顔でそう言ってくれた。二人が来てくれたことで少しだけ緊張が和らいだ気がするな……指を交差するのより全然こっちの方が効果が高い。


「ありがとう。ローベルトも似合ってるよ」


 今日は家族全員がいつもより豪華な服装を身に付けているのだ。母上が張り切って新しい服を購入した。


「お兄様、私はどうでしょうか?」

「もちろんマルガレーテも似合ってるよ。凄く可愛い」

「ありがとうございます!」


 そうしていつもより興奮している様子の二人と話をしていると、母上がやってきて俺だけ食堂に連れていかれた。

 そしてその後は食堂の最終確認やエントランスの飾り付けの確認など、母上に色々と連れ回されて緊張している暇もなかった。



 ――それから二時間後。ついにティナが来る時間だ。


「そろそろ来るかしら。楽しみだわ」

「とても良い子みたいだからな。私も楽しみだ」

「早くお話ししたいです!」

「ぼくも! ティナお姉ちゃんと、おともだちになれるかな」


 家族皆がそんな会話をしている横で、俺は緊張しすぎて言葉を発せない。こうして何もすることがない時間が来ると、途端に緊張が襲ってくる。


「あにうえ、だいじょうぶ?」

「……うん。大丈夫だよ。ありがとう」


 ローベルトに心配されてしまった。兄としてもっとしっかりしないとダメだな。


「あっ、馬車が見えました!」

「本当ね。二人とも、家庭教師に習っていることを忘れずに、しっかりと挨拶するのよ」 


 馬車はゆっくりと庭を縦断し、エントランスの前に静かに止まった。そしてまずは使用人が馬車から降りてくる。ステップを置いて降車準備を整えて……ティナが馬車のドアから姿を現した。


 ――綺麗だ。


 俺はティナのドレス姿に心を奪われて、目を離すことができなくなった。元々凄く可愛くて綺麗だと思っていたけれど、ドレスを着て髪型を整えてと支度をすると、こんなにも変わるのか……


「お、お初にお目にかかります。ティナと申します。この度は昼食会に招待していただき、誠にありがとうございます」


 ティナはかなり緊張している様子ながらも、しっかりと正式な礼をして挨拶をした。


「丁寧な挨拶感謝する。私はライストナー公爵家当主、アルベルト・ライストナーだ。ティナ嬢、我が家へようこそ」

「私はヴィクトリア・ライストナーよ」

「私はマルガレーテと申します」

「ぼくは、ローベルトです!」


 ティナは家族皆の挨拶を聞き、ローベルトの様子を見て少しだけ肩の力を抜いたのが分かった。


「ティナ、今日は来てくれてありがとう」

「いえ、こちらこそお誘いくださりありがとうございます。本日を楽しみにしておりました」


 俺がティナに話しかけると、家族だけでなく使用人の視線まで集めているのが分かる。なんだか緊張というよりも、普通に恥ずかしくなってきたかも……


「今日は公式な会でもないし、緊張しすぎないで楽しんでほしい」

「かしこまりました。ありがとうございます」


 ティナは少し緊張が解けてきたのか、俺に向けていつもの微笑みを浮かべてくれた。俺はその笑顔を見て、なんだかホッとして自然と口角が上がる。

 そうして俺とティナが二人で微笑み合っていると、苦笑を浮かべた父上が口を開いた。


「では中を案内しよう」

「あっ、ありがとうございます」


 ティナは父上の言葉で我に返ったのか、慌てて返事をして促されるまま屋敷の中に入っていった。


「あにうえ、ティナお姉ちゃんきれいだね」

「ローベルトもそう思う?」

「うん!」

「そっか……」


 俺はローベルトの無邪気な賞賛を嬉しく思いつつも、将来的にローベルトがライバルになったりしないよな? と少し不安になった。

 しかしすぐに、そんなことを考えてしまった自分に呆れ、変な考えは振り払う。ティナのことになると心が狭くなるんだよな……


「あにうえ? どうしたの?」

「なんでもないよ。じゃあ中に行こうか。ティナお姉ちゃんを案内しないといけないからね」

「うん!」


 俺がローベルトと少し遅れて屋敷の中に入ると、ティナは母上とマルガレーテに囲まれていた。とりあえず、ティナが楽しそうだから良かったな。


 母上は今日のために頑張って準備をした、食堂までの廊下に敷いてある絨毯や、花が生けられた花瓶についてティナに説明をしている。

 この屋敷には廊下に絨毯なんてものはなかったし、花瓶なんて実用的じゃないものは置いてなかったけど、今回のために準備したのだ。


 前世の記憶からしたらこれでも質素な屋敷だなという感想になってしまうけど、この国の屋敷だと考えたら相当豪華になっている。


「花瓶とは、とても素敵なものですね」

「そうなのよ。お花を集めると綺麗になるでしょう?」

「はい。見ていてとても楽しいです。ステンドグラスを見ているかのように、色彩豊かですね」


 花瓶や生けた花というものは、この国にはほとんど浸透していないので、ティナは新しいものを見た感動に瞳を輝かせている。


 ちなみに花は育てているのではなく、自然に外に咲いている花の中から綺麗なものを選んで、皆で相談しながらなんとか綺麗に生けた。この国にはわざわざ観賞用の花を育てる余裕はまだないのだ。

 でもそのうち、花を育てる人や売る人、買う人も現れるだろう。母上がかなり気に入っているようだから、公爵家主導の事業になるかもしれない。


 そうして食堂までの短い廊下をゆっくりと時間をかけて進み、俺達はついに食堂へと到着した。ここからは食事の時間だ。

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