第159話 SS:夢に向かって



 生まれて初めて恋をしました。出会いは少しばかり印象的だったけれど、漫画みたいに劇的ではなく、どこか運命的なものでもありませんでした。


 彼の名前は天童龍誠さん。

 中性を通り越して女性的な顔立ちで、とても背の高い人。


 最初は怖い人だな、ヤの付く人なのかなと思った。

 でも話をするようになって、直ぐに普通の人だと分かった。


 きっと何処にでもいるような、ちょっとだけ世間に疎い人。ただ他の人と少し違うのは、とても一生懸命なところ。

 

 いつだって真剣で、全力で物事に取り組んでいた。

 その姿が私には眩しくて、温かかった。


 まるで空みたいな人だなと思った。

 いつも晴れ晴れとしていて、だけど雲のかかった部分もあって、たまに雨が降る。


 それは決まって傘なんかじゃ防げない豪雨だけれど、止まなかったことはない。そして雨上がりの空には、うっとりするような虹が架かる。


 ああすごいな、かっこいいな。

 私も、もっと頑張らないとな。


 天童さんを見ていると、そう思えた。

 だから負けないくらい必死になって、ついに憧れだった漫画雑誌での連載が決まった。


 ずっと前から思っていたことがある。

 連載が決まったら、告白しよう。


 私は天童さんのことが好き。

 どうしてなのかは上手く説明出来ない。


 天童さんの良いところなら、いくらでも話せる。

 だけどヘタレな私は一ヶ月経っても何も言えなかった。


 とても簡単な一言が、どうしても言葉にならなかった。まさかの同棲に浮かれて、満足してしまっていたのかもしれない。


 そんな私の前に、彼を良く想っている女性達が現れた。


 漫画みたいな展開だと思った。

 これが漫画なら奥手な私に勝ち目は無いのだろう。

 だから勇気をだして、精一杯の告白をしてみた。


 その言葉は確かに届いていたと思う。

 ちゃんと伝わっていたと思う。


 一緒にアニメを見ている間、とても冷静ではいられなかった。


 深夜、好意を伝えた相手と二人きり。

 際どいシーンのあるアニメ。


 いつエロ同人みたいな展開になっても大丈夫な準備は出来ていた。だけど天童さんの横顔を見る度、私の目に映るのは、いつもの真剣な表情だった。


 その顔を見て私は思った。

 ああそうか、きっとこういう人だから好きになったんだ。


 天童さんは最近結婚について考えていた。

 正直、私も良く分からないから、上手くアドバイスすることは出来なかった。


 でも、いつかは私も誰かと結婚するのかなとは思う。

 そう考えた時、なら、相手は天童さんがいいなと思った。天童さんがいいなと思っている。


 だから私は、もう一度だけ勇気を振り絞った。


「あの時の返事、聞かせてもらってもいいですか?」




 *




「……応援、ですか?」

「なんていうか、小日向さんには助けられてばかりだったから」

「いえいえ、そんなこと」

「謙遜しないでくれ。本当に感謝してる」


「だから、いつも思ってた。何か小日向さんの為になることが出来ないかって」

「……そんなこと、考えていてくれたんですね」

「ああ。ずっと考えていた」


「なんだかんだで二年も一緒にいるから、何をすれば喜ぶとか、嬉しい時どんな表情をするとか、それなりに知ってるつもりだ。それで……小日向さんは、アニメとか漫画の話をしている時が一番楽しそうだって思った」

「そう、かもしれないですね」


「もちろん小日向さんの全部を知ってるわけじゃないけどな。でも、楽しそうに話してる小日向さんを見てると俺まで楽しくなるし、なんつうか……とても魅力的だと思った」

「魅力……」


「目がキラキラしてて、声も何だかキラキラしてて……とにかくキラキラしてる」

「……キラキラ」

「上手く言えなくて申し訳ないが、まあ、そんな感じだ」

「そう、ですか。ふひひ、自分じゃ良く分からないですけど、そう言ってもらえて嬉しいです」


「それで、俺は……小日向さんには、ずっとキラキラしていて欲しいと思った」




「だから、応援したい」

「それは、えっと、その……どういうことですか?」








「小日向さんは漫画を描くべきだ。俺なんかが間に入ることは出来ねぇよ」








「その為に東京に行くのが一番なら、そうするべきだ。俺は、それを応援したい」

「……そう、ですか」




「あの、漫画を描くことなら、今ならどこでも出来るんですよ?」

「ありがとう。だけど、みさきの世話までしてもらって……」

「みさきちゃんのことは負担になんて思っていません。むしろ、良い息抜きになるというか、私も一緒にいると嬉しいといいますかっ」




「……」

「天童さん?」

「小日向さんなら、世界一の漫画家になれるよ」




「……私とは、一緒にいられませんか?」

「……俺とは、一緒にいないほうがいい」




「頼むよ、小日向さん」

「…………プレッシャー、ですね」




「わかり、ました。私、がんばり、ます」

「……ああ」




「応援、していて、くださいねっ」

「……もちろんだ」




「……えっと、部屋のこと、どうしましょうか?」

「部屋のこと?」

「家賃、とか、いろいろ」

「大丈夫だ、気にしないでくれ」


「でもっ」

「大丈夫」

「……そう、ですか」




「……そろそろ寝ましょうか」

「……そうだな」


「……」

「……」


「小日向さん」

「……はい」




「漫画、全部読むよ」

「……ふひひ、なんだか緊張しますね」




「アニメになるの、楽しみにしてる」

「……はい、頑張ります」




「それから……いや、なんでもない。おやすみ、小日向さん」

「……はい、おやすみなさい」




 *




 檀が部屋を出たのは、二週間後だった。

 新居については、彼女の担当編集が持っているコネを頼りにして、引越しというより親戚の家に居候するような感じで決まった。


 みさきには漫画を描く為にお引越しすると伝え、たった一言ずつ会話をして別れた。


 がんばって

 うん、ありがとう


 龍誠とは当たり障りの無い会話しかしなかった。

 この二週間、二人は何事も無かったかのようにしていたが、それはかえって不自然で、どこか他人行儀で、檀は辛かった。


 だけど、だからこそ、別れの時は精一杯の笑顔を作って、明るい話をした。


 それから駅まで歩いて、電車に乗って大きな駅へ向かい、また少し歩いて新幹線に乗った。


 車内にはぽつりぽつりと人がいるだけで、話し声は聞こえてこない。微かに感じる揺れと音はノイズにも似ていて、まるで無音のヘッドホンをつけているみたいだ。


 窓の外を見ても目に映るのは真っ暗な夜の風景だけ。あと何分かすれば眠らない街の明かりが見えるのだろうが、その前に、檀はそっと目を閉じた。


 瞬間、あの夜の会話が思い出される。


 ただただ優しくて悲しい表情で、誰かに言い聞かせるようにして話す姿が、目を閉じる度に浮かび上がる。ほんの数分の会話が何度も何度も繰り返される。

 

 あの時もしも嫌だと言えたら、もっと我がままになれたら、何か変わったのだろうか。


 もっと踏み込んだ話が出来れば、せめて本音を聞くことが出来たのだろうか。


 あの時もしも……そんな経験したことのないような後悔が、檀の中でグルグルと暴れている。


「……言えるわけ、ないじゃないですか」


 そんな呟きと共に開かれた檀の目尻からは、搾りかすのような涙が零れた。


 彼は檀のことをそれなりに知っていると言った。

 同じように、彼女も龍誠のことを知っている。


 嬉しい時の声や辛い時の表情。

 何かに迷った時、どれだけ真剣に考えられるのかということ。

 

 それを彼女は知っている。

 だからこそ、彼の出した結論を強く否定することは出来なかった。


 正直なところ、檀はこの結果を予測していた。

 彼を想う女性が集まった時、龍誠の姿を見て、その時からなんとなく感じ取っていた。


 まるで長年連れ添った気の置けない夫婦のような関係だった。

 自分と話している時は、いつも遠慮した様子なのに、彼女達と話している時は、そうじゃなかった。


 もしかしたら自分が特別なのかもしれない。

 そう思ったけれど、やっぱり違ったらしい。


 そういう意味で、心の準備は出来ていた。

 そのうえで、二週間が時間が経っている。


 だけど、いつまでも心にポッカリと穴が開いたような感覚が消えてくれない。


 ふと、ネットでよく見る言葉を思い出した。


 男は名前を付けて保存。

 女は上書き保存。


 これが事実ならば、何か他の記憶で上書き出来るのならば、どれだけ楽になれるだろうか。

 むしろ簡単に代用品が見つかる程度ならば、そもそもこんな気持ちは知らずに済んだのだろう。



「……だめ」


 

 檀は少し上を向いて、自分の頬を強く叩いた。

 いつまでもくよくよしている場合じゃない。


 思いだせ。

 自分は何の為に東京へ行く?


 他でもない、漫画を描く為だ。

 大好きな漫画を描いて一番になる為だ。

 一番高いところでキラキラする為だ。


 キラキラ。

 彼が言ってくれた言葉。


 キラキラしている姿が魅力的だと言ってくれた。

 応援してくれると言ってくれた。


 だったら全力で頑張ろう。

 彼に負けないくらい、一生懸命になろう。



「……よしっ」



 震える声で檀は自分を奮い立たせた。

 ちょうどその時、窓の外から眩い光が飛び込んできた。


 少しだけ目を細めた後、どこか幻想的な世界をしっかりと見る。

 キラキラと輝く夜の都会を見ながら、檀は強く唇を噛んだ。


 彼女が言った通り、今なら東京へ行かずとも漫画は描ける。

 ビデオ通話などの技術を駆使すれば、離れていても実際に会っているかのようなやりとりが可能だ。


 それでも東京へ行くのは、覚悟を決めたからだ。

 だから泣くのは今日で最後にしよう。


 だって、応援してくれる人がいるのだから。

 誰よりも大好きな人が応援してくれているのだから。


 絶対アニメ化して、彼に届けよう。

 その時は……私ではない人が彼の隣に居るのだろうけれど、きっと笑顔で伝えよう。



 だから……だから今だけは。

 今だけは――

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