第147話 SS:結衣と檀
龍誠と朱音がレストランへ向かった頃、みさきは檀の部屋で本棚の近くに座っていた。
「……」
「……」
会話は無い。
檀は連載に向けた漫画を描いていて、みさきは漫画を読んでいる。もちろん、子供が読んでも大丈夫な漫画だ。
みさきが読んでいる月刊誌(二月号)では、いくつかの漫画が季節ネタとしてバレンタインデーを扱っていた。みさきの中でバレンタインデーは誕生日と同じ意味の言葉で、実は本来の意味を知らない。
本来というよりも、日本における意味と表現した方が良いだろうか。国によってはチョコではなく花束を送っていたり、物を送るのが女性ではなく男性だったり、宗教的な理由で祝うことを禁じられていたりする。
そんなこんなで、みさきはチョコを作る登場人物達を不思議そうに見ていた。
もしかして誰かの誕生日が近いのだろうか。
みさきならチョコよりもケーキの方が嬉しい。
あっ、誕生日来週だった。
そわそわ。
みさきは落ち着かない様子で周りを見る。
前の檀の部屋には沢山の物があった。
しかし今の部屋には何も無い。
せいぜい本棚とベッド、それから檀が使っているパソコンがあるくらいだ。
そうして周りを見ていると、やがて檀に声をかけられた。
「なにか探してるの?」
みさきは黙って首を振る。
「たんじょうび」
その言葉を聞いて、檀はみさきの誕生日が近いことを思い出した。
それと同時に、今が二月であることも思い出した。
「ブアレンヌっ、トゥアインっ!」
両手で顔を挟んで、勢い良く顔を上げた檀。
そのアメコミみたいな反応を見たみさきは、つられて上を見る。
そこには天井があった。
みさきはよく分からなくて、きょとんと首を傾ける。
一方で檀は、あわあわしていた。
どうしよスッカリ忘れてた来週バレンタインデーあんどみさきちゃんの誕生日だチョコとか作った方がいいのかなそれよりみさきちゃんの誕生日プレゼントを優先していやいや両方用意するべきでもあれこれそれフゥゥゥゥゥゥゥ!
と、その時。
聞きなれない音が部屋の中に響く。
檀はフリーズして、やがて玄関をピンポンする音のマンション版であることに気が付いた。もちろん前のアパートにはインターホンなど設置されていなかったから、この音を聞くのは数年ぶりである。
懐かしいなぁ、と思う檀。
すると二度目の音が鳴り響いた。
「……」
「……」
みさきが檀を見ている。
檀もみさきを見て、そこで気が付いた。
「出なきゃ!」
慌てて玄関まで走りドアを開けた。しかし人はいない。
首を傾けた直後、背後から三度目の音が鳴る。
「アヘっ!?」
ポルターガイスト!?
という意味で声をあげた檀。
「おーい!」
「声まで!?」
檀は恐ろしくなって肩を抱いた。
そのまま小さくなって丸くなる。
今聞こえたのは、子供の声だった。
そして檀の前に、小さな子供の姿が……
「みさきちゃん!?」
「……ん?」
みさきは檀を一瞥して、声のした方に歩いた。
「おーい!」
「っ!?」
檀は声にならない悲鳴を上げる。
そんな檀の前で、みさきはぴょんぴょん跳ね始めた。
「共鳴!?」
瞬間、檀の中で恐怖を打ち消す程の使命感が生まれる。
このままでは、みさきちゃんがあっちの世界へ連れて行かれちゃう!
「み、みさ、み、み!」
情けない声を出しながら、みさきに這い寄る。
そしてみさきの足元まで辿り着いた時、今度は真上から声が聞こえた。
「おーい!」
「 」
檀は一瞬だけ白目になった。
みさきは檀の肩を引っ張って、上を指す。
「……な、なに?」
「……ん」
ひたすら人差し指を上に向けるみさき。
檀は恐る恐る、指を追いかけた。
「アヘっ、インターホン!?」
「ああ! こえ! ママきこえた!? こえきこえたよママ!」
果たしてポルターガイストの正体は、遊びに来た戸崎親子だった。
*
ゆいは先日入ったお風呂が気に入ったという設定で、みさきを連れ出した。
果たして、結衣と檀は机を挟んで二人きりで座っている。
「……あの、お茶、どうぞ」
「ありがとうございます」
にっこり笑って、しかしお茶には手を付けない。
「……えっと、その、天童さんは、外出中でして」
「問題ありません。今日は貴女に聞きたいことがあって来たのですから」
「……私に、ですか?」
「はい」
聞きたいことって何だろうと、檀は身構える。
一方で結衣は言葉を探していた。
もちろん龍誠に会うつもりでここに来たのだが、外出中という予想外のアクシデントを受けて、ならば別件を処理しようと考えたのだ。別件というのは、この女、もとい檀がどういうつもりで龍誠と同棲しているのか知ることである。彼にアピールすることも大事だが、やはりライバルの動向も把握しておきたい。
「貴女は天童くんとどのような関係なのですか?」
結衣は悩んだけれど、果たして直接的な表現を選んだ。
龍誠や娘の前では子供のような醜態を晒しているが、本来の結衣は魔女と呼ばれる程の存在だ。そして彼女が最も得意とするのは、人から情報を聞き出すことである。龍誠のような例外を除けば、彼女は必要な全ての情報を僅かな会話から得られるだけの技術と経験、そして特別な才能を持っている。
彼女の目は感情の動きを見逃さない。
それを活かす為には、今のような表現が最も適している。
……困惑、反感。なるほど、彼女は彼との関係を言葉にすることが出来ないようですね。反感については恐らく私に対するもので、貴女こそ彼とはどのような関係なのですか、といったところでしょう。
「お友達、ですか?」
明確な意図を持って結衣は問いかける。
檀が龍誠との関係を即答できないのであれば、自分にとって好ましい方へ、つまりはただの友達であるという認識へ誘導しようとしているのだ。果たして、結衣の言葉は偶然にも檀に突き刺さっていた。
小日向檀と天童龍誠は、どのような関係なのだろう。
この一週間で檀は何度も自問した。
決まって結論は出なかったけれど、きっと心のどこかで察している。
だけど、もしかしたら。
ほんの少しくらいは、特別な存在なのではないだろうか。
だから檀は何も言えない。
たった一言でも声を出したら、全部が決まってしまいそうだから。
そして、そんな心の動きは結衣に筒抜けだった。
檀の態度はあまりにもあからさまで、きっとみさきが見ても何かあると分かる。
……ふふっ、安心しました。やはり彼女は彼と恋仲ではないようですね。
「こひな「くやしぃぃぃぃいい!」……」
小日向さん。
そう問いかけようとした結衣は、突如として聞こえた声に動きを止めた。
「もういっかい!! みさき!! もういっかい!!」
聞き慣れた大きな声が部屋中に響き渡る。
結衣は直前まで頭の中にあったことが見事に真っ白になって、思わず頬をひきつらせた。
「……」
「……」
直前までガチガチに緊張していた檀は、まるでドッキリのネタばらしをされたみたいに表情を柔らかくする。そのまま顔を上げると、結衣と目が合った。
二人は暫く互いの目を見て、やがて堪え切れずに笑った。
「……えっと、その、楽しそうですね」
「……はい。とても良いことだと思います」
短い会話があって、
「あああああ!! あっ、もういっかい!! もういっかい!!!」
その後もゆいは負け続けて、徐々に涙声になっていく悲鳴を聞いていられなくなった結衣と檀は、同時に席を立った。そのタイミングがあまりにも一致していたから、二人は思わず互いの目を見る。
そしてこの時、結衣と檀は奇妙な友情を感じたのだった。
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