第122話 SS:みさきと龍誠

 12月25日。


 この日、龍誠は25歳になった。

 そして同時に、彼にとって忘れられない日となった。


 翌日。

 龍誠はいつものように目を覚まし、みさき色の朝を過ごした。


 会社は休みで、今日の予定は特に無い。

 だから寝る前には一日中みさきと一緒に遊ぼうと考えていたのだが、今は違う。



 みさきにクリスマスプレゼントとか渡さなくていいのか?



 龍誠はクリスマスに特別な思い出は無いが、一般常識として知識は持っている。例えばサンタクロースという優しい嘘で子供を喜ばせるとか……それがふと、頭に浮かんだ。


 既にクリスマスは終わってしまっているが、今からでも何かプレゼントするのは間違っていないはずだ。


 そう思ってみさきの方を見る。

 相変わらずのボロアパートにあって、しかしみさきの姿は輝いて見えた。みさきの背後には腐りかけの木材で出来た壁があるのだが、あの壁が最高級の素材で出来ていると言われたら信じてしまう程である。


 ならばみさきの下に敷かれている純白の布団はどうか。

 仮にアレが競りにかけられたとしたら、きっと龍誠は借金してでも手に入れる。


 さておき、プレゼントだ。

 みさきは今朝から絵を描いているようだから、それ関連の道具を買い与えたら喜ぶだろうか。


「みさき?」


 何をプレゼントしようかと考えていたら、不意にみさきが立ち上がった。そのまま紙を片手に、布団の上に座っている龍誠の近くまでスタスタ歩く。


「……」


 みさきは口を一の字にして、紙を両手に持った。

 龍誠は描いていた絵を見せてくれるのかと思って紙に目を向ける。


 そこには、一人の女が描かれていた。

 やべぇみさき超うめぇ! と思いつつ、なにやら見覚えがあることに気が付く。


「りょーくん」


 すかさず、みさきが言った。

 龍誠はハッとして目を見開く。


「ぷれぜんと」


 みさきは少し照れた様子で龍誠に絵を差し出した。


「……みさきぃ!」


 一気に感極まった龍誠は、みさきの両脇を掴んで持ち上げた。みさきは驚いて手足をばたつかせているけれど、その表情はとても嬉しそうである。


「ありがとなみさき! 最高のプレゼントだ!」

「……ひひ」


 くるりと一回転した後、龍誠はみさきを布団の上に下ろした。それから絵を受け取って、幸せそうな表情を浮かべながらダンボールで作った収納箱に入れる。


 そのあと、俊敏な動作で別の箱から着替えを取り出して、服を脱ぎ始めた。


「しゃあ待ってろみさき! りょーくん今からお買い物に行ってくるよ!」


 もはや悩む余地は残されていない。

 プレゼントを買う! 買うったら買う!


「……おでかけ?」


 みさきは龍誠の直ぐ隣にちょこんと立って、首を傾けながら問いかけた。


「ああ、楽しみに待っててくれ!」


 言った直後、みさきがギュッと龍誠の服を掴む。


「……いく」


 ドクンと、龍誠の心臓が跳ねた。


「いっしょ、いく」

「……いや、でも、プレゼントは何か分からない方が」

「いくっ」


 どどどどういうことだと龍誠の心が揺れる。

 こんなにも積極的なみさきは見たことが無い。

 つまり抗う術を龍誠は知らない。


「よし、行くか」

「……んっ!」




 てくてく歩いて、バスに乗って、また歩くこと全部で一時間くらい。龍誠達は最寄りの大型ショッピングモールに到着した。


 道中、龍誠は幸せでいっぱいだった。掴まれた指を通じて感じる体重や、手を繋いでいるからこそ感じられる歩行のリズムなど、どれも新鮮な感覚で、より親っぽい気分になれた。


 あまりにも幸せで思わずスキップを始めそうになったけれど、みさきを引っ張ることにならないようグッと我慢した。


 バスに乗る前、龍誠は昨日降った雪の影響で電車が止まっていて溜息を吐いたが、モールに着くと別の意味で溜息を吐いた。


 クリスマスに向けて用意されたイルミネーションや飾りは残っていて、雪化粧をしたそれを見ていると、まるで違う世界に迷い込んだかのような気分になる。特に中央にある巨大なツリーは圧巻で、きっと夜には周りに沢山の人が集まるのだろう。


 そうして立ち止まった龍誠の隣を若い集団と家族連れが次々に通り過ぎる。


 なんとなくみさきに目を向けると、直ぐに目が合った。みさきはパチパチと瞬きをして、口を一の字にする。


 なんだろうと思った直後、みさきの鼻から白い息がふんわりと出る。それを見て龍誠はみさきが笑ったことに気が付いた。


「なんか面白かったか?」


 問いかけると、みさきはサッと俯いた。

 

「みさき? どうかしたか?」


 目を逸らされたと思った龍誠が慌てた様子で言う。

 みさきは暫く俯いたままだったが、やがてゆっくりと顔をあげた。


「……りょーくんと、おでかけ」

「おう、そうだな」


 数秒だけ間があって、


「うれしい」


 みさきは満開の笑顔を見せた。


「みさきぃ!!」


 果たして感極まった龍誠がみさきを持ち上げてグルグル回る。みさきは手足をバタバタさせるけれど、その顔はやっぱり嬉しそうだった。


 そんな彼等の横を「あらあら仲の良い親子ね」と通り過ぎる人がいるのだが、二人の目には互いの姿しか映っていない。


 やがて地に足が着いたみさきは、ちょっと回転数が多かったのかフラフラと足踏みして龍誠にもたれかかった。


 それは単純にバランスを保てなかっただけで、決してりょーくんにくっつきたかったからとかそういう理由ではないわけがない。


「……かたい」


 むにむにと龍誠の脚を触るみさき。

 そのあと自分の脚をむにむにして、


「ぷにぷに」


 不思議そうな顔で交互に脚をむにむにするみさき。

 龍誠は面白いことをしていると思って暫く見守った後、楽しそうな声で言う。


「みさきは女の子だからな」

「おんなのこ」


 まゆちゃんとお風呂で話したことを思い出したみさき。どうしてりょーくんは一緒に入らないの? という質問をした時に、同じような返事を得た気がする。


「だんじょ、ちがい?」

「そう、男女の違いだ。そんな言葉も知ってたんだなみさきぃ〜」


 くしゃくしゃ頭を撫でる龍誠。みさきは龍誠が撫でやすいように背伸びして頭を差し出す。


「ちなみにどこで覚えたんだ?」

「まゆちゃん、いってた」

「そうか、小日向さんか〜」


 アレなマンガを描いている小日向さんのことだから、きっと丁寧に教えてくれたのだろうなと龍誠は思う。最初は小学校の低学年で教える内容なのだろうかと疑問に思ったが、なるほど小日向さんなら安心だ。


 あんしん……なのか?


「ちなみに、どういうことを教えてもらったんだ?」

「んー、いろいろ?」

「そうか、いろいろか」


 小日向さんを信用したい気持ちはある。

 だけど、確認しなければならないという使命感のようなものもある。


 短い葛藤の末、龍誠は隣人を信じることにした。


「そろそろ行くか」


 手を差し出す龍誠。

 みさきはコクリと頷いて、その手を掴んだ。


「みさき、何か欲しい物あるか?」

「……おもいで?」

「おもいで?」

「ん」


 思わず聞き返した龍誠に向かって、みさきは嬉しそうな声で言う。


「みさき、りょーくん、いっしょ」


 いつもの様に独特な言葉遣いで、しかしいつもよりもハキハキとした声で、


「おもいで」


 あらためて、みさきは言った。


「みさきぃ!」


 もちろん感極まった龍誠は再びみさきを持ち上げてくるくる――


「いつまでやってんだ!」


 完全に不意を付いた攻撃を、しかし龍誠は紙一重のタイミングで回避する。長い脚を活かしたバックステップで襲撃者から距離を取った龍誠は、みさきを守るような格好で抱きかかえ、襲撃者を睨みつけた。


「え、あれ、避けられた?」


 きょとんとした表情で自分の手を見る襲撃者。

 このアマ何が狙いだコラと臨戦態勢に入ろうとする龍誠は、ふと相手に見覚えがあることに気が付いた。


「なんだ朱音か。ビックリしたじゃねぇか」

「なんだって何だよ」


 ちょっと不機嫌そうな表情を見せる朱音。

 そのまま長い髪を揺らして二人に近付く。


「この子、なに?」


 龍誠が抱いているみさきをじーっと見て言った。


「だれ?」


 絵面的には怖そうなギャルに睨まれているみさきは、しかし堂々とした態度で聞き返す。


「みさきはみさき。こっちは朱音だ」


 龍誠の紹介を受けて、互いの顔をじーっと見る二人。

 やがて、朱音はみさきを見たまま龍誠に声をかけた。


「親戚か何かの子供?」

「いや、見ての通り親子だ」


 義理だけどな、と心の中で付け足しながら言う龍誠。


「……龍誠、結婚してたのか?」

「してない」

「でも親子って今」

「まぁいろいろあるんだよ」

「いろいろ……?」

「あぁ、いろいろだ」


 龍誠の返事を聞いた朱音は眉をしかめて黙り込む。

 何やら首を振ったり睨み付けたり忙しそうだが、彼女が何を考えているのかは本人にしか分からない。


「だいじょうぶ?」


 みさきに声をかけられ、朱音はハッとする。


「おまえ、なに」

「んー?」


 哲学的な質問にみさきは首を傾ける。

 龍誠は朱音の態度が厳しいように感じながらも、みさきは気にしていないようだし、なにより反応を見ているのが楽しかったので黙って見守ることにした。


 あれから時間は経っているが、目の前に居るのが龍誠の知っている朱音なら害は無いはずだ。


「この人はおまえのパパ?」

「りょーくん」

「お兄さんなのか?」

「りょーくん」


 これはダメだと察した朱音が、説明を求めて龍誠に目を向ける。


「みさきとの関係を話すと長くなる。まぁ、気にするな」

「……気になるから聞いてんじゃんか」


 小さな声で呟いた後、もう一度みさきを見た。

 数秒後、龍誠に目を戻して言う。


「用事あるから。また今度ゆっくり聞かせろ」

「分かった。ところで用事って何だ?」

「パーティみたいなやつ」

「そうか、楽しんで来いよ」


 朱音は頷いて、もう一度だけみさきの顔を見てからその場を去った。

 何度も振り返る朱音を見送った後、龍誠はみさきに声をかける。


「みさき、なんかあいつ機嫌悪かったけど、怖くなかったか?」

「……ん」


 へーき、と頷いて、


「おっきい」

「はは、そうか。確かに背が高いよな、あいつ」


 くすくす肩を揺らす龍誠の腕の中で、みさきはゆっくり目を動かした。


「だんじょ、ちがい」

「あいつ、女だぞ?」

「……ん」


 分かってる、龍誠の胸の辺りを見ながら頷くみさき。

 龍誠は「どういうことだ?」と思いつつ、みさきを地面に下ろした。


「よし、行くか」


 再び手を繋いで、今度こそ歩き出した二人。

 その直後、前方に良く知った顔を発見する。


「よっ、今日も仕事か?」


 スーツを着た結衣を見て声をかけた龍誠。

 その隣で、みさきも低い位置から「よっ」と手をあげる。


「……」


 いつもなら無駄に皮肉を交えながら挨拶をする結衣が、しかし今日は無言だった。


 なぜだろうと固まる龍誠。

 やがて結衣は鋭く息を吐いて、早口に言う。


「はいそうです仕事ですでは」


 そうして、すたすた歩いて龍誠達の横を通り過ぎた。

 その背中を見送った後、龍誠はみさきに声をかける。


「なんか、不機嫌だったな」

「……ん」


 そうだね、と頷いたみさき。

 なんだか今日は不機嫌な知り合いに出会でくわす日だなと思いつつ、龍誠は今度こそ歩き始めた。


「この流れだと、小日向さんにも会いそうだな」

「……ん」


 そうだね、と頷いたみさき。

 果たして檀と遭遇することは無く、このあと二人は楽しく買い物をしたのだった。

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