第119話 再会
最初に感じたのは驚きだった。
その後は昔のことを一気に思い出して、少しだけ怖くなった。
話したいことが山のようにある。
しかし何から話せば良いのか分からない。
朱音は、どう思っているのだろうか。
どうやら最初は俺が生きていたことを喜んでくれたようだ。
では、その後は?
しかし直後に彩斗が俺達を引き離したから、会話が始まることは無かった。
それから仕事を始めたものの、集中することは難しかった。
ほとんど彩斗が一人で喋り続け、あっという間に昼休憩の時間になった。
「なに、元カノ?」
「違う」
昼休みの間、俺は彩斗に拘束され、朱音は従業員達に拘束されていた。
午後の仕事でも彩斗が常に隣でサポート、もとい監視していたから会話のチャンスは無く、結局なにも話せないまま終業時間を迎えた。その分だけ仕事の話は出来たと思うのだが、あまり記憶に残っていない。
そして帰り道。
ここでも彩斗が騒いだが、従業員達が気を回してくれたことによって、俺と朱音は二人で駅まで歩くことになった。しかし再会してから時間が経ってしまったせいか、どちらも口を開けずにいた。
「……ここ、どっちだ?」
「……あ、えっと、右」
結局、駅に着くまでにあった会話は道の確認だけ。
この駅は線が二つしか無い無人駅で、向かい合うホームが簡易的な柵で囲まれているだけ。ホームの様子は外からも丸見えで、どうやら駅の周辺には俺と朱音の二人しかいないようだ。
「……」
「……」
俺は足を止めて、言葉を探していた。
朱音も足を止めて、きっと同じように言葉を探している。
俺が一番話したいことは、あの時のことだ。偉そうな事を言ったくせに何も出来ず、最後は何も言わずに朱音から逃げてしまったことを謝りたい。許してもらえるとは思っていないけれど、何も言わずにはいられない。だけど、どうしてか口に出すことが出来ない。直前で何かに押さえつけられて、息が苦しくなる。
朱音を一瞥すると偶然にも目が合って、反射的に目を逸らした。
彼女は何を考えているのだろう。俺と同じように、あの時について話そうとしているのだろうか。
果たして無言のまま時間が流れ、電車の接近を知らせる自動音声が流れた。
「俺、この電車だから」
「……そっか」
「朱音は?」
「……逆」
ワンテンポ遅れた会話は、どうしようもなくぎこちない。
声も小さくて、目を合わせることも出来ない。
やがて踏切が電車の接近を知らせる音を鳴らし、俺はそれを合図にして改札を通った。
「龍誠!」
その直後に呼び止められて、振り返る。
朱音は真っ直ぐに俺の目を見て、ようやく重い口を開いた。
「また明日」
「……ああ、そうだな」
こうして、奇跡的に再会したというのに、俺達は大した話をすることなく別れた。それは明日も会うことが出来るという安心感からか、それとも昔の話をすることへの恐怖心からか……。
恐怖心だとしたら、朱音は何を恐れているのだろう。彼女には一切の非が無いのだから、何も恐れる必要は無い。むしろ一方的に俺を糾弾出来る立場に居るはずだ。
ならば、朱音にも何か心に引っかかっていることがあるのだろうか。そうだとしたら、その勘違いを正す責任は俺にある。
そう頭では理解していても、行動に起こすことは出来なかった。
次の日も、その次の日も、この日と同じような時間を過ごした。
一方で仕事について。
人手不足を機械によって解消したいという相談には、初日の午前中に提案を済ませた。朱音はそれを快諾し、その日の午後から具体的な設計が始まった。
俺がアイデアを言って、彩斗がダメ出しをする。それを繰り返しながら、より良い物を目指す。そういうやり方をしていた。きっと彩斗が考えれば一日で終わるようなことなのだろうが、彼は俺のサポートに徹していた。
朱音とは、仕事について必要最低限の話をするだけだった。
果たして自動化が完了して工場を去ることになっても、仕事以外の話はしなかった。
だがこれで会わなくなるということは無くて、システムの保証期間として一年間は不具合に対処することになっている。
この仕事が終わってからは、初めての仕事に不具合が出て欲しく無いという思いと、また朱音に会う機会が欲しいという思いが頭の中でグルグル回っていた。
しかし思ったよりも上手な仕事が出来たようで、一ヶ月以上経っても呼び出されることは無かった。みさきの夏休みが終わった頃、それについて安堵すると同時に、少しだけ落胆した。
せめて、みさきの前では悩んでいる姿を見せないようにしよう。
そう思っていたのだが、どうやら結衣には気付かれてしまっていたらしい。
みさきと買い物に行った日、あいつと話をした。
そこで俺は、このままではダメだと強く思った。
きちんと話をするべきだ。
そうしないことには、前に進めない。
昔の俺は物事を深く考えることは無かった。やりたいことを思うがままに実行していた。そのせいで手痛い失敗をして、何かをすることが怖くなった。だからみさきと出会ってからは、いつも悩んでいた。悩んで悩んで、だけど時間は待ってくれくて、最後はいつも目を瞑って飛び込むかのような感覚だった。それでも上手く行ったのは、支えてくれた人がいるからだ。
だけど今回は、他の人を頼ることは出来ない。
きっと、ようやく自分の力だけで歩き出す時が来たのだ。
朱音と話をしよう。今度こそ逃げずに、きちんと話をしよう。
そして俺が覚悟を決めるのを待っていたかのように、会社に連絡が入った。
再び訪れた工場は、前に来た時よりも恐ろしい場所に思えた。あの時と違って隣に頼れる先輩は居ない。けれど仕事については何の不安も無くて、俺の緊張は全て私情によるものだ。
相変わらず働く場所を間違えているとしか思えない従業員達に好奇の目を向けられながら黙々と作業を続けて、昼休みが始まる前にはシステムの正常な稼働を確認した。不具合といっても、事前に想定していた内容について機械が警告を出しただけのことで、解決するのは容易だった。
それを責任者である朱音に報告し、詳細を説明した後、今日の本題を口にした。
「昼休憩、少し付き合ってくれないか」
朱音は、
「……分かった」
僅かな間の後、静かに頷いた。
工場の付近には、ほとんど何も無い。最寄りのコンビニは歩いて十五分ほどの所にあり、とても近いとは言えない。だから朱音と従業員達は事前に昼食を用意している。俺も今回は飲み物だけを事前に購入した。
それを飲みながら工場の出入口で待つこと数分。昼食を持った朱音が、一人で現れた。
「……お待たせ」
「いや……大丈夫だ」
いきなり気まずい。
「近くに、座れる場所はあるか?」
「……無い。けど、日陰になってるところは、結構涼しい」
「なら、そこに行こう」
「……分かった」
俺は平静を装ってはいるが、心拍数はやばいことになっていた。それを悟られないように努めながら、歩き始めた朱音の後に続く。
それから少しだけ歩いて、朱音はいつかと同じように壁際に腰を下ろした。俺も少し遅れて、彼女から一人分くらい離れた位置に腰を下ろした。
朱音が言った通り、この場所にはどこからか風が吹き込んできているようで、そこそこ涼しい。だが景色はコンクリートばかりの殺風景で、見る物を探しても空に浮かぶ雲くらいしかない。
俺は乾いた口を潤す為に、残った飲み物を一気に飲み込んだ。
そして右手を強く握り締め、口を開く。
「懐かしいな、こうやって昼飯を食べるの」
声のトーンはいつも通りだったけれど、その代わり面白いくらいに震えていた。
「……そうだな。七年振りだ」
朱音もまた、仕事の時とは違った調子の声を出した。
「そうか。そんなに経つのか……」
「……そうだ。そんなに経ったんだ」
その言い方に、少しだけ緊張が解れたような気がした。
朱音は最後に会った時よりも大人びて見えて、かなり印象が変わっていたのだ。身長こそ逆転したものの、それ以外の所も逆転してしまっているような印象を受けたのは記憶に新しい。
あの頃の朱音は手のかかる子供という感じだったが、工場に居る朱音は立派な大人に見えた。だけど少し話してみて、その言葉遣いや口調が昔と変わっていない事に気が付いた。
「朱音、大人っぽくなったな」
「……そうか? 龍誠は、背が伸びたな」
朱音の方に目を向けると、彼女は俯いて首の後ろに手を当てていた。そのせいで表情は見えないけれど、なんだかとても懐かしい気分になる。
「朱音は、身長はあまり変わってないな」
「……龍誠と会ったくらいから止まってるっぽい。完全に」
「早熟だったんだな」
「……そうかもな」
あっさりと、拍子抜けするくらい簡単に会話が続いた。当たり障りの無い内容だけれど、少し前はこんな会話すら出来なかったのだ。こんな簡単な会話をする為に、随分と時間がかかってしまった。
しかし今日の目的はこんな会話をすることではない。
きちんとあの日の事を謝るんだ。
「朱音、あの時のこと」
話そうとした瞬間、酷い目眩に襲われた。あの日の後悔が、消すことの出来ない過去が一気に浮かび上がって、今直ぐにでも逃げ出したいくらいに手足が震えた。背中は冷や汗で冷たくなっていて、少し前に飲み物を含んだばかりの口は砂漠を長時間歩いたかのように枯れている。
……逃げるな。言うんだ。
「あの時のこと、謝らせてくれ!」
やっと口にすることが出来た言葉は、自分でも驚くくらい力が入っていた。
「偉そうな事を言っておいて、結局何も出来なかった。そのせいで、朱音に辛い思いをさせた。全部俺のせいだ。本当に、悪かった」
地面に手を付いて頭を下げた。
そのまま朱音の言葉を黙って待っていた。
どんな非難でも受け入れるつもりでいた。
「……聞きたいこと、いろいろある」
どれくらい時間が経っただろうか。
朱音は小さな声でそう言った。
「……あの後、どうして何も言わずにいなくなったんだ?」
予想外の言葉だった。
「俺は……逃げたんだ」
その時の事を思い出しながら、俺は言う。
「朱音に会うのが怖くて、逃げた。それだけだ」
言い訳はしない。ただ正直に、理由を言った。あの時の俺は、とにかく何も考えたく無いと思っていた。何もかも忘れて、どこかへ逃げ出したいと思っていた。
「……なんで、オレに会うのが怖いと思ったんだ」
「それは……きっと否定されたくなかったからだ」
朱音の問に即答することは出来なかった。だから少し考えて、こう答えた。
「……どういう意味だ?」
「俺は、朱音に否定されることが怖かった。お前のせいだって、お前のせいでこうなったんだって、はっきり言われることが怖かったんだ」
「……そうか。そうだったのか」
どうやら俺の言葉を聞いて朱音は納得したらしい。
果たして彼女はどう思ったのだろうか。俺は何度だって殴れられる覚悟をして、次の言葉を待った。
「……オレのことが嫌になったわけじゃ、無かったんだ」
だから、この言葉は聞き間違いなのではないかと思った。
しかし朱音は嬉しそうな声で言葉を続ける。
「オレ、てっきり龍誠に嫌われたのかと思ってた」
「なんで、そんなこと」
「だって突然いなくなるから」
「それは、だから……朱音こそ、俺のことを恨んでたりしないのか?」
「恨む? なんでだよ」
「俺がいなければ、もっとマシな結果になってたはずだ」
俺が必死な声音で言うと、朱音は耐え切れなくなったような様子で笑った。
「……ばーか」
「なっ……」
そのまま、腹を抱えて笑い始めた。
呆然とする俺の前でひとしきり笑った後、朱音は俺の方を向いて言う。
「あれが最高だったに決まってんだろ。なんだ、龍誠、そんな風に思ってたのかよ」
朱音は心底楽しそうに、
「龍誠だけが、オレの味方だった。他のオッサン達みーんな逃げたのに、龍誠だけは逃げなかった。それだけで、オレがどんだけ嬉しかったか分かるか?」
目には安堵したような涙が浮かんでいて、
「絶対ムリって誰でも分かるような状況なのに、龍誠だけは諦めなかった。結局ダメだったけど、あの後、辛いことがあるといつも龍誠の事を思い出した。オレも頑張らなきゃって、そう思えた」
とても懐かしい声で、朱音は言う。
「龍誠は、オレのヒーローだ」
その一言で、限界だった。
「……相変わらず、優しいな、朱音は。でも無理するな、正直に言ってくれ」
「全部ほんとのことだ。オレが嘘付いたことなんて無いだろ?」
顔を上げると、景色は少しぼやけていた。
そこには、ずっと昔に見慣れて、だけどもう二度と見ることは無いと思っていた笑顔があった。
「……ああ、そうだったな」
結局、この話のオチはこんなことだった。
俺が一人で勝手に思い悩んでいただけで、朱音は少しも俺のことを恨んでなんかいなかったのだ。
こんな簡単で、これ以上無いくらい幸せな答えを知るために、俺はどれだけ回り道をしたのだろう。
「やーい、龍誠泣いてるー」
「うるさい、目にゴミが入っただけだ」
絶対に取り戻せないと思っていた時間は、しかし手を伸ばせば直ぐ届くところにあった。
それが言葉に出来ないくらい嬉しくて、涙になって次々と溢れだして、止まらなかった。
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